第9話 勇気ある撤退?



 9月11日 よく晴れた天気とはウラハラにダルイ。頭がくらくらする。どうやら熱を出したらしい。9:00のチェックアウトのぎりぎりまで寝ていた。昨日、あんなにスタミナをつけたのに。頑強なはずの俺のバディも考えてみれば、ここ何日かずっと頭がボーっとしていたような気がする。

 特に前半は雨にうたれ続けてのツーリングだった。そしてそろそろ旅の疲れも出はじめているのもあるし、名寄のライダーハウスで濡れた寝袋でそのまま寝てしまったのが今になって影響したのかも。

 料金の精算をしようとカウンターに行く。すると昨夜のうるさいおばさんが、「あんた、すごい顔色悪いよ。今日はどこまで行くの」と訊くかれた。函館方面に向かう応えると「ダメよ。お医者さんに行かないと」と言われ、すぐ近くの病院へほとんど無理矢理行かされた。

 旅の常識として当然保険証は持参している。医者に横浜からツーリング中である旨を話すと、薬だけでなく注射もうってくれた。

 宿に戻るとロビー(というほどのものではないが)のソファーでしばらく横になって行きなさいと言われ素直に従った。

 ウトウトしているうちお昼過ぎになる。おばさんが「朝ご飯も食べてないんでしょ」と言っておにぎりと熱いみそ汁を作ってくれた。「うるさいおばさん」とか思っていて何とバチ当たりだったことか。

 横になりながら、いろいろ考えた。もちろん旅は続けたい。でも旅先で無理をして、これ以上カゼが悪化したら大変だ。道南方面は、またいつでも来れる。無念だけど「勇気ある撤退」だな。それにしてもこの言葉、誰が言い始めたんだろう。悲しいくらい今の状況にマッチしている。

 午後になって、少し具合も良くなったので苫小牧のフェリー埠頭を目指すことにした。おばさんにすっかり面倒をかけたことを心から謝し、いざ出発しようとしたら、おばさんが何とCBのタンクに交通安全のお札のワッペンを貼っているし・・・

 ダーティな750ライダーを気取っているつもりだった俺は大ショック。でも親切心で貼ってくれたおばさんには、お礼を言うことしかできない。複雑な心境で札幌を撤退した。

 苫小牧までは、1時間ちょっとで到着する。フェリーの乗船手続きをとり、待合室の椅子に腰掛け、ぼんやりしていると「あれ〜、キタノさんじゃないですか」と話しかけられた。屈斜路湖の和琴湖畔キャンプ場の同じバンガローで痛飲したフナハシではないか。お互いに偶然の再会を喜び合った。

 フェリー出航、あたりが暗くなり苫小牧の街の灯が遠のいていく。胸が熱くなった。このツーリングであったいろんなことが頭をよぎる。さらば北海道、俺は、ここに必ずに還ってくる。

 10日間だが、何だかとても長い間、北海道に居た気がする。

 一期一会。

 俺の猶予の時代のフィナーレにどれほど多くの人に出会い魅了されたことか。そして大切なものを拾うことができたようだ。

 帰宅すれば来年にひかえた就職のことを考えねばなるまい。現在、内定をもらっているところに就職するか。あるいは、講師をしながら何年かかっても教職の道を目指すか悩むところだ。

 でもこの旅で、人との出会いの素晴らしさに痛感してしまった。人との関わりを持つ職業、もう一度教員を目指すのも悪くないか?でも結局なれなかったらどうしよう。まっ、帰ってからもう少し悩んでみよう。

 完全ではないが体調も良くなってきた。やっぱり、もう少し居ればよかったかなとフナハシへぼやく俺が居たが、もう遅過ぎたようだ。

 2等の客室では、他のライダーたちと旅の武勇伝で遅くまで花が咲いていた。





Boys, be ambitious!

Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement,

not for that evanescent thing which men call fame.

Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.



 青年よ。大志を抱け!

しかしそれは金のためや利己的な満足、

そしてうたかたのように消えてなくなる名誉とか名声のためではない。

 人間が人間として世のため人のためになり得ることを達成するための大志でなくてはならない。

 - クラーク博士の言葉より -




FIN



一期一会(1987年北海道ツーリングの手記)より



記事 北野一機



2000年12月吉日UP完了



          
                   編集後記