第5話 最北端にて




 9月7日 9:00に起床する。思いっきり寝坊だ。感覚的にそれほど疲れていると思っていなかったのだが、やはり溜まっていたのだろう。朝食の準備をしてくれているおばさんたちに申しわけない。急いで洗面し、1階和室の食堂に降りた。

 すると他に2人、明らかに旅行者らしき若い男達が座っていて、さわやかに「おはようございます」と挨拶された。確かに夕べの泊まりは俺1人だったはずだ。とりあえず挨拶を返した。

 話しを聴くと2人は、夜遅くお互い逆方面から別々に宿に入ったチャリダ−だった。彼らは、とっくに朝食を済ませている。でももう1人ライダーが泊まっているというので寝坊した僕をわざわざ待っていてくれたらしい。悪いことをしたな。でも何て気のいい連中だろう。北の旅人は情が厚い。

 1人が、自転車ではとても内陸部まで足を伸ばせないので海岸線をただ走っているだけだ。次はオートバイで来たいと言いながら、ご飯をよそっていた。何だ食べ終わってなかったのか。あんまりたくさん食べるので大丈夫かと訊いたら、ご飯がチャリのガソリンだってさ。食べ終わっているんだけど話していると、ついご飯をよそっちゃうそうだ。体力勝負のこの連中を男らしいと心から思った。

 その後、しばらく歓談して、1人は僕と同じ北周り、もう1人は南周りの一周の旅へと先に出発していった。朝、突然出会った2人なので名前は記録できなかった。もちろんもう覚えていない。風のようなチャリダ−たちだった。

 宿代の精算を済ませ、小さな漁港の町を歩く。いい天気だ。でも誰も居ない。みんな漁から帰ってきて一息ついている時間帯なのかも知れない。防波堤にカモメがたくさんとまっていたのが印象に残る。

 パッキングが終わり、挨拶に行くとおばさん1人しかいなかった。そして表まで見送りに出て来てくれた。また機会があれば来てみるからと言うと、「その頃には嫁の代になって私はいないかもねぇ〜」と寂しそうに笑っていた。どんな事情か知らないけど「お元気で」としかいえなかった。おばさんは、「午後から雨になるから気をつけてね」と呟いた。

 オホーツク国道を北に向かい30分も走ったかな。前方に先ほどの北周りチャリダ−がやや登りの道をせっせとペダルをこいでいる姿が見えた。普段は気にも留めなかったが改めてチャリダ−の実態を観察すると、ほんとにこりゃ食わないともたないわ。中には1日に150キロ、いや200キロ以上もヘタをするとツーリングライダー以上にペダルを漕ぐ猛者もいるらしい。まるで修行者だな。敬服ものだ。

 少しだけ並走して、目線を合わせると彼からいい笑顔が返ってきた。そしてピースサインを送り健闘を祈りながら追い越した。バックミラーを見ると今朝会ったほんの1時間ばかりの友人がにこにこしながら手を振っている。彼の姿がやがて点になり、そして消えていった。

 2時間くらい走ると好天の空の北の端が雲で暗くなっている。北に向かっているのだから当然暗い空の圏内に入ってきた。やがて小雨となり本降りとなってくる。民宿のおばさんの予言が当たった。カッパに着替え最北端「宗谷岬」を目指す。

 宗谷岬到着。ライダーだらけだった。ここが正真正銘の日本最北端の地か。ここに来ればゴールイン。ツーリングの使命は果たしたような気になりそうだが、実際はそんな感慨はあまり湧かない。まず岬というにはなだらか過ぎる。晴れていれば樺太が見えるらしいが曇天で何も見えん。国道沿いにあって派手な色の土産物屋が目立ち過ぎるなどが理由に挙げられる。

 海岸に立つ日本最北端の地の碑は、北緯45度31分にあやかり4m53cm。北極星をイメージしているそうな。そして世界地図に間宮海峡の名を残す間宮林蔵のブロンズ像。男の大事な所まで腐れ落ちるほどの凍傷でボロボロになりながらも執念で樺太を北上した。そして前人未到の地で世界史的な発見をする偉人である。ここから異国に奪われた樺太を眺め続けるなどさぞ無念であろう。

 ほかに「宗谷岬」の歌の楽譜(吉田弘作作詞、船村徹作曲)が刻まれた音楽碑もあった。とりあえず最北端の地の碑の前で旅人から記念写真を撮ってもらい宗谷岬を後にした。

 日本最北の島「礼文」に渡るべきかと悩みつつ、稚内に到着する。カブおんちゃんから聞いた礼文の桃岩荘YH(狂喜乱舞のミーティングで勇名を馳せる)に若干の興味もあるが悪天候のため断念する。その代わりフェリーターミナル近くの民宿食堂で憧れのメニュー「ウニ丼」を食べてみた。まあまあ、美味しいかな。

 R40に入り、雨中サロベツ原野を横目に見ながらひたすら走りに徹する。自衛隊のトラックがピタリと法定底度で巡行している。荷台のホロの中を覗くと皆さんぐったりしていた。訓練で疲れたのかな。そして一気に追い抜いて、しばらくすると小用がしたくなりCBを停める。するとトラックが追い抜いていく。また追いついて追いぬく。「おっ!いい景色だ」と思ってCBを停め、写真撮影をしているとまた追い抜いていく。また追いついての繰り返しが続く。自衛隊の皆さんには迷惑をかけたようだ。

 サロベツ原野内陸部を雨の中、ひた走った。何十キロもあたりに民家が無かったにもかかわらず音威子府付近で小学生がランドセルを背負って歩道を歩いている。あの子はどこに行くんだと思ったが深く考えるほどの思考能力など無い。頭の中を有象・無象の現実が錯綜する。自動操縦装置に切り替わっているようだ。すなわち頭の中は、ボーっとしても手足は勝手に動いてる状態だ。ランナーズハイではなくライダーズハイとでもいうべきか。 

 あたりが暗くなった頃、名寄の市街地に入った。スタンドで給油した時、RHを紹介してもらった。帯広のRHは、すごく混んでいたが、ここはガラガラだった。中にいたライダーは、たった1人、俺を含め2名ということになる。挨拶をし、お互いに自己紹介をした。先着のライダーは、ツノダ氏といい、27歳、千葉のバイク屋に勤務しているそうだ。

 冷蔵庫を開けると(すぐ食べ物のことを考えてしまう)以前にここに泊まったライダー達が残していってくれた食料やアルコール類も含めた飲み物が充実していた。うれしい。山小屋みたいだ。

 2人で冷蔵庫の中のものをつまみに酒を酌み交わし旅の話しなどをする。ツノダ氏は、口数こそ少ないが実直そうな好人物だ。僅かな休みを利用し、林道を中心に道内を周っているそうである。北海道以外では、僕の地元の裏磐梯を周ってみたいと語っていた。明日は一緒に大雪方面に行く約束を交わし早めに就寝しようとシュラフに入った。すると冷たい。濡れている。シュラフを雨の中、ビニール袋に入れ忘れて走行していたのだ。なんたる不注意。

 疲れと自分自身への怒りのためのやけくそでそのまま寝てしまう。しかし、それが後に僕の旅路へ深刻な結末になってしまうとは、この時は知るよしもない。