第4話 オホーツクを駆ける



 9月6日 天気は晴れだ。和琴半島から望む屈斜路湖の湖面はとても美しい。

 実は昨夜、バンガローに戻ると部屋でも宴会になっていた。他のバンガローからも結構参加者が来て7・8名くらいにはなったろうか。そこでまた飲んだのでかなり酩酊したのだ。

 このくだりはアップしてよいものなのかかなり悩んだが、赤裸々なコンテンツゆえ敢えて事実を忠実に再現することにしたい。

 彼らの話しの中で印象に残ったのは他のバンガローからの参加の某の話しだ。彼は、かなり長い期間北海道ツーリングをしていて、ちょっとしたことから道内の女性ライダーとねんごろになった(一同、とんでもねぇ〜野郎だと激怒する)。以後、彼女のナビゲートで甘く楽しく道内ツーリングを続けた。

 ある日、釧路でおじさんが寿司屋をやっているからと誘われ店に行った。ところが寿司屋のはずのそのおじさんが、パンチパーマ・45度キンブチ・黒のベンツ560等、どう考えてもその筋の者に見える。そして姪をよろしくなとドスの効いた声で呟いた。

 それ以来、すっかり気持ちが萎えてしまったらしい。そして隙を見つけて彼女から逃げようとするもまったく隙がない。またよく考えると自宅の住所まで教えてしまっている。幸いアパートなのでうまく逃げ切れたら、すぐ引っ越すつもりだ。そしてここは男女別のバンガローなので、やっと離れることができ、すごく安堵感があると語っていた。

 みんな「身から出た錆びだ」、「責任とって結婚しろ」、「酔っ払い運転で今逃げれば」とか冷やかしながら笑っていた。でも本人は相当悩んでいる様子だ。

 誰かが「正攻法がいいよ」と言った。逃げることばかり考えていては何の解決にならない。正面から彼女に正直な気持ちを話すべきだ。後のことは後のことだ。

 まったく同感である。武人の僕が恋愛論など論ずる気は毛頭ないが、男女関係の場合、逃げれば追われる、追えば逃げられる。数少ないがこんな僕にだって、過去には身を焦がすような純粋な恋愛体験をしたこともあった。そして、その過去引きずることを責められ、後年の彼女から別れを告げらるという哀しくて辛いドロドロの秘話などもあった。つまり自分も気をつけなきゃと思うなり。(その必要はないか)

 その後、話しはさらに旅先での怪談にもつれこみ深夜2時くらいまで痛飲した。

 一夜が明けた。昨夜、かなりの量の酒を飲んだ割には、すっきりと目覚めた。そして同室のフナハシやスズキと3人で話しながら湖畔を散策する。後ろからチャロもついて来る。

 神奈川県民のフナハシは日大の2年生で自宅から通学しているそうだ。また桐蔭学園時代に甲子園に出場した経験のある高校球児だった。でもベンチ入りはしても試合には出れなかった。つまり補欠だ。付属中ではバリバリのレギュラーで活躍したが高校になると各地から全国レベルの有名選手が続々とスカウトされてきた。付属組(超進学校の付属だから勉強はよくできる)はスカウト組に野球ではまったく太刀打ちできなかったが「甲子園でベンチ入りができただけでもラッキーですよ」と彼は屈託のない笑顔で話していた。

 スズキは、キツネ目をした名古屋の住人だ。既に北海道を10日以上ツーリングしていて、ここ以外はすべてYHか民宿に宿泊していたそうだ。「みんな節約しながらギリギリの旅をしているのを知って、なんだか申し訳なくて」と語っていた。なんもなんも僕だって金さえありゃーそうするよと言ったが、貧乏なればこそ、ここでこういう出会いが出来たのかもしれない。

 フナハシたちに僕は4回生なので、来年からはもう北海道ツーリングは無理かもしれないと話したら「そんな寂しいこと言わないでくださいよ」とたしなめられた。

 8:00 レストハウス前でヘルパーからサービスのコーヒーをもらう。すぐ脇で他のヘルパーが、いもだんごを焼いていた。当時の和琴のいもだんごの製法は、煮込んだじゃがいもをすりつぶし、たぶん餅をつなぎにして、塩・コショーで味を整えながら鉄板で炒めていたと思う。それがやたら美味しそうなので、出来立てを1つ(100円)購入し朝食とする。 

 レストハウスの中のおばさんに挨拶しに行ったらチャロが大喜び出迎えてくれた。おばさんは湿気が多い日が続いているので、お茶漬けしか食べたいと思わない。なのにあんたらよく油濃いやつばかり食うねと呆れつつ「ほんとに事故には気をつけて行くんだよ」と心から言ってくれた。

 昨日、宿泊の説明をしてくれた控えめで真面目そうな19歳の孫娘が1個50円のキーホルダーに何か書き込んでいる。なに書いているんだと訊くと売り物にホントはいけないけど色をつけたりして落書きをしていたそうだ。それをみやげに5・6個買った。当時は、まとめ買い割引という格安の制度があった。そして「来年も来たらいいしょ」と言われた時に少しだけ込み上げるものがあった。

 カブおんちゃんやM氏達はレストハウス前でバイクを暖気し、一服しながら談笑していた。

 そして、カブおんちゃんは、しばらく網走の鮭工場で自給650円で3食付きのアルバイトをしながら資金稼ぎをすると言い残して美幌峠方面に向け出発して行った。つまり、後年のシャケバイだ。

 M氏もやはりカブおんちゃんの紹介で網走の鮭工場に行ってシャケバイをしてみることにしたが、向後2・3日は林道ツーリングを満喫し、それから合流すると言って出発した。そしてその直後、フナハシたちも。

 たった今まで笑顔だった人も出発するときは一瞬だけど一様にシビアな顔になる。

 出会いはいいが、別れのこの瞬間がすごく苦手だった。

 僕もそろそろ出発しないと。とりあえずオホーツク海側に出たい。すごく寂しい気持ちになりつつ、皆さんの見送りを受け、セル一発始動のCBで出発した。

 名残を惜しむようにしばらくゆっくりと暖気しながら走る。すると高校生世代の大木凡人みたいな顔をしたチャリダ−が「がんばれよ。何だバイク750じゃねいか。お前!」と僕に叫んだ。多分、ここにしか既得権のようなものが存在しないヤツなのだろうなあ。思わずブチキレる。

「明らかに年長者の他人に向かって、今なんと言いやがった」

 怒鳴ってしまう。そして、少年?を落ち込ませちゃったらしい。いくら気持ちが開放される北の旅でもだめだよ最低限の礼節は守らなきゃと、多少、説教たれて再び出発する。あんまり赤の他人には関わりたくない性分なのだが、後年も無礼者にはこの程度のお説教は幾度かしたこともあった。

 ひたりきっていた気持ちを凡人くんが全部ぶち壊してくれて、いや現実に戻してくれた。

 気を取り直して美幌峠へ向かう。

 ワイデングをクリアしつつ美幌峠展望台到着。屈斜路湖がほんとにきれいに一望できる。和琴半島も見える。これを見るとまた名残が尽きないので、すぐ出発した。 

 美幌町を抜け網走市内に入る。ここは何と言っても刑務所と流氷が有名な街だ。R39から眼鏡橋を渡ると赤い煉瓦塀が見えて来た。これが網走刑務所か。洋風のアーチ型をした建物が正門だった。

 なんかおしゃれでクリーンなイメージだな。資料館では、受刑者の作った工芸品の展示・販売やこの刑務所の歴史などが綴られていた。いろいろ見てると凶悪犯人のイメージが強かった刑務所もそれは昔の話しで、今は比較的罪の軽い受刑者が入所しているようだ。どちらにしても外から見ているだけに留めたい。ちなみにここの住所は映画と同じ「網走番外地」。

 網走から1時間弱くらいかな。サロマ湖が見えて来た。サロマ湖って地図にもカタカナ標記されている。何となく日本ばなれした神秘的な感じがして中学くらいの頃から実はちょっと憧れていた。でも漢字で佐呂間町という看板を発見。少しがっかりする。

 サロマ湖は、オホーツクと直結しているのでホタテや確かシマエビなどの海産物でも有名である。湖とオホーツク海の間には、竜宮岬とワッカ岬という2つの岬が海への玄関口だ。それにしても見事な景色だ。

 サロマ湖を抜けるとオホーツク側の海岸に沿って走る通称オホーツク国道(R238)をひたすら北上した。地図で見ると北海道のオホーツクに面す広大な海岸線は弓型になっている。地図帳と同じ【のような弓型の光景を走りながら、ビジュアル的に体験できた。

 オホーツク沿岸は、釣り人でびっちりだ。鮭ねらいだろう。川に遡がったやつを採ると違法だが、海で釣る分にはお構いなしらしい。そう言えば和琴レストハウスにも鮭ねらいのライダーがいたな。

 網走から走り始めて何時間たったろう。この間1度も休憩を入れていない。浜頓別あたりまでと考えたが、きれいな夕陽が見えてきた。このあたりが限界かな。雄武町のスタンドで給油した時、民宿を紹介してもらった。

 国道から海岸の方に降りて行くと小さな漁港があり、そのすぐ手前が今宵の宿だ。宿は、おばさんと若い嫁(かなり美人だった)だけで切り盛りしている。でも、すでにオフシーズンのためか客は俺1人、料金は4000円だった。

 ゆっくりと風呂に入る。たまにひとりの夜もいいかもしれない。でも腹が減った。

 料金が料金なだけに料理には期待していなかった。ところが次から次と海の幸を出して来ること、怖くなるくらい。気の毒になってきたのでもちろん別料金のビールをオーダーした。ホントに腹一杯。

 部屋にもどると、よく糊の効いた布団が敷いてあった。中に入り、この清潔な匂い4日ぶりかと思うや否や泥のように熟睡していまう。青嵐の時代は、腹一杯食べて酒を飲めばすぐに眠くなってしまうものなのだ。