第3話 和琴レストハウス



 9月5日 早朝起床。外はやはり雨だ。カッパを来て出発の準備をしていると昨夜語り合ったライダーのひとりが起きてきて写真を一枚撮ってくれた。彼の「気をつけて」の一言に見送られ道東を目指して出発した。以後、カッパと親しい日々が続く。 

 雨にうたれながら道が広く草原や畑が地平線まで広がる景色のなかを漠然と走り抜けた。いつの間にか松山千春の生家のある足寄町に入る。彼の曲のもとは、こういう景色の中で生まれたんだなと思うと納得。大きな駐車場や売店、デカデカとかかげられた肖像画などがある生家は、この町の観光名所になっているとか。

 そこに行くほど酔狂ではないが腹が減った。食堂を見つけ、豚丼でブランチとする。足寄のたまたま入った店だが、そこは、ご飯を食べると無料で泊めてくれる高名な「大阪屋」であった。人の良さそうな親父さんが黙然と料理をしている。ライダーも多く、帰りに居合わせた皆さんと駐車場で記念写真を撮り小雨の中、出発した。

 途中、阿寒湖、摩周湖(もちろん霧で見えない)を経由して、14時頃屈斜路湖到着。湖岸で砂を掘ると温泉がふきだしてくる砂湯は凄いと思った。ここで雨脚が強くなって来たので川湯温泉駅の構内にビバークし、今夜の宿泊の検討をすることにする。それがまたドラマチックな出会いを生むのだ。まさに事実は小説よりも奇なり。 

 思案中、スーパーカブ50(京都のナンバー)の荷台に大きな木箱を積んだ中年の男性が入ってきた。口髭がありメガネをかけ細身の男だ。なんとなくオーラが出ている。まさかこっちに来て話しかけてこないよなと思(願)っていると案の定、「今夜、どこ泊まるんでっか」と話しかけてきた。

 僕はそっちの気(け)がある?人かと思った。「カンベン」と祈りながら決めてない旨を話すと「夜にボリュームのあるジンギスカン定食がついてバンガローに泊めてくれ、朝、コーヒーがつく。それで千円のとこあるよ」と教えてくれた。疑いつつも夢のような話しだが北の大地ならありかも知れん。のったあ。

 夕方まで時間があるのでカブおんちゃん(本当にそういう渾名だった)と小雨の中、硫黄山中腹にある露天風呂に向かった。後年のように有料パーキングなどない。この露天風呂を管理しているYH(後年閉鎖)に200円ばかりの料金を支払い悪路を進む。途中で道無き道となり、湿った火山灰の地面は粘土状、カブおんちゃんのは軽いカブだからスイスイ行けるけど、さすがにCB750は重過ぎる。ついに後輪がスリップして動かなくなった。仕方がないので、そこから標高512mの硫黄山中腹付近まで歩く。カブおんちゃんもつき合ってくれた。

 大汗かいて登るっていると安っぽいむき出しのプラスチック水槽発見。これが露天風呂か。そこにホースでいかにも効能がありそうな源泉が引いてあった。さっそく熱めの湯に入り、カブおんちゃんといろいろ語り合う。

 カブおんちゃんは、6月1日(現時点で9月5日)にねぐらのある京都を出発したそうな。途中、金が尽きると旅館・民宿あるいはYHでバイトを重ねながらゆっくり北上してきた(中には1日千円のバイト代のところもあったらしい)。もちろん定職はもたず旅を趣味に生きている。まあ後年のフリーターってやつだ。去年は九州をくまなく走り回り、薩摩半島の民宿で食べた(宿のオヤジ自ら釣った)タイの刺身の味が何とも忘れられないと語っていた。そして今年は完全に道内を網羅する予定だ。いずれは海外ツーリングの野望もあるとか。

 就職は考えないのかという俗物的な質問をしてしまう。「人生旅人なりだ」とポツリと答えた。う〜ん松尾芭蕉の感性だな。なるほど「こういう生き方もあり」かと思った。俺にもガキの頃からちょっとその傾向がみられた。いわゆる放浪癖だ。高校時代の夏休み、親に無断で10日間(最初は2日間の予定だった)ほど地元の海岸で釣りプラス、キャンプ生活を大いに堪能し、家に戻って、こっぴどく叱られた経験もある。

 就職活動でかなり神経をすり減らしている時期なので、ジプシー的な生き方に憧れてしまうのかな。迷うけど俺にはちょっと無理か。でもジャパニーズ・ジプシー?と初めて語り合い、そして興味深い話し・生きざまを聴かせてもらっただけでも奇貨とすべしだろう。

 とりあえず僕については教員を目指していたがダメだったとのみ答えた。すると意外にも「あきらめずにまた頑張ってみろよ。いつかきっとなれるよ」と返ってきた。仙人様に言われたみたいな感じだった。人それぞれの生き方があると遠回しに言いたかったのかもしれない。

 風呂からあがりカブおんちゃんの先導で今夜の宿に向かう。着いたのは屈斜路湖和琴半島の和琴湖畔キャンプ場のレストハウスだ。バンガローがたくさん並んでいる。確か「ミンミン蝉生息」の北限だったな。さらにここはクッシーの出没エリアではないか。テレビで見たことがある。だいたいウグイが多少いる程度(当時は)の湖に謎の巨大生物が本当にいるのかと常々疑問に思っていた。でも見れたら最高だな。ロマンがあってよろしい。

 レストハウスハウスに向かうとオーナー?らしき中年の男性(椅子の上に)と茶色の老犬(地面に)が店先で暑い暑いと言いながらゴロンとしている。犬の頭を撫でてやるも無反応。店の中の年輩の女性(こちらがオーナーか?つまり店先の男性の母親らしい)にカブおんちゃんが俺のこと説明している。彼はここの常連らしい。おばさんが俺の方をチラッと確認したとき目線が合ったので会釈した。

 「チャロ(犬の名)は夏バテしてるよ」とおばさんが俺に言った。そして混んでいてバンガロー1つにつき5人くらいで泊まるようになるかもしれないがそれでもいいかと聞かれた。もちろん承知する。

 9月になりかなりライダーの数が減ったものの8月の全盛期にはバンガローに客を収容しきれなくなった日もあったそうだ。そういう日は近くの親戚の旅館にお願いして、そっちの大広間に回す手配などでたいへんだったらしい。思わせ振りが無く面倒見のよいおばさんだなと思った。

 ヘルパーらしき純情そうな若年の女性から指定のバンガローの場所やその他諸々の説明を聞いた。バイトか?と聞いたらニコッと笑いここの娘だと彼女は答えた。バンガローに向かうとチャロが俺の足にじゃれついてくる。そしてバンガローまで着いて来た。何だお前、バテてたんじゃないのか?

 バンガローに入ると既に3名のライダーがくつろいでいた。挨拶し名乗りをあげる。彼らもひとりひとり丁寧に自己紹介を返してくれた。1人だけ名古屋で、他はなんと同じ神奈川県民ではないか。そして全員が学生だ。皆、口コミでここの存在を知り立ち寄ったそうな。よく訊くと俺のアパートの近所の日体大生もいた。共通の話題で盛り上がると名古屋の彼だけが浮いてしまい、かわいそうなことをした。

 夕飯の連絡が入り、皆一緒にレストハウス向かいの広場に行く。野外テーブルの上にはたっぷりとマトンの乗ったジンギスカン鍋が用意してある。日によってタレが醤油味・味噌味に変わるそうだ。宿泊者は50人以上はいるな。もちろんライダーばかりではない。チャリダ−なども多いし、鮭釣り目的の1ヶ月連泊者もいる。やがてご飯が運ばれてきた。味噌汁はカニ汁、北海道では鉄砲汁ともいうらしい。うれしいね。

 食事中、ヘルパーのひとりから「鮭」・「ジャガイモ」の産直品の説明が入る。格安だ。鮭のサンプルは連泊者が、きょうオホーツクで釣ってきたものだ。そして食後、任意で会費500円の宴会があるという連絡があった。

 宴会に参加することにした。同じバンガローからの参加は俺ひとりだけど。キャンプファイヤーを囲み、酎ハイをがぶがぶ飲みながら歌を熱唱し大いに盛り上がる。参加者は、ざっと30名といったところだ。やがて皆酔いが回り、それぞれ数名単位に円陣を組んで話し込むかたちとなった。我々のグループの一角に座る年輩のM氏の旅のきっかけが印象に残った。

 M氏は福岡県出身の46歳・独身である。去年まで母親と酒屋を経営していたそうだ。しかし母親が急逝し兄弟で遺産相続のもめごとが起き、すべてが嫌になって弟夫妻に酒屋の権利を譲った。そして、ある程度まとまった手切れ金を手にするも仕事一筋に生きてきた毎日、今後どうしてよいやら分からない。しかし人生をもう一度考え直すよい機会と思いモトクロスのオートバイを購入する。そして一度やってみたかった北海道ツーリングの旅に出た。

 いろいろ大変だったろうけど素敵じゃないですかM氏。くれぐれも負けないでいただきたい。生意気にも若輩の俺がそんなことを言うと「ありがとう」と目を真っ赤にして答えてくれた。既に髪の毛がボサボサの愛知の女子学生と東京のチャリダ−は泣いている。そして不覚にも僕まで涙してしまった。焚き火の炎が赤々と皆の顔を照らし、隣のグループの笑い声が屈斜路の湖面にかしましく響き渡っていた。

 その後も赤裸々な人たちの熱い話題が遅くまで続いた。まあ、みんないろいろあるんだろう。家出中のスクーター野郎もいたし、仕事を辞めてきたという人もいた。それにしてもリスクや悩みを抱えて旅を続けている人があまりにも多過ぎる。誰もがなんらかの答えを探しに北へとやってきたのか?もしや僕もそのひとり?

 近くの和琴露天風呂で体を温め、おひらきとなった。