第5章 キャンプ場のゴミ問題



オロロンライン


霧立峠



天塩川倉庫
 実は富良野・美瑛付近に滞在していた頃から、「サロベツへ早く帰ってこい」という啓示が耳元へこだましていた。俺はどうしても綺麗なお花畑よりも自然のままの原野が好きな単純な野郎なんだ。

 R40を雨の中、ひたすらアクセルを握り続けていたがさすがに飽きてきた。途中、士幌駅前付近に立ち寄る。
 地方の駅前、意外に意表をつくものが存在するというのが長年の旅の経験からの勘だ。思ったとおり士幌の駅近くには赤煉瓦の倉庫群が立ち並ぶエキゾチックな光景が広がっていた。なぜここにたくさんの倉庫が存在するのか。俺程度のあさはかな知識の男には解明できず。あしからず。

 士幌駅前に行ってみた。さんさんと降りしきる雨の中、若干の旅人と地元の部活動帰りの高校生の姿がちらほらと見られた。もし俺がライダーじゃなかったら、てっちゃん(鉄道オタク)にハマっていたかもしれないなあ。なんて考えながら立ち蕎麦を食べたら大きくハズれたので撤収。R239に左折し日本海側(サロベツ)へ出ることにした。

 雨の山間部の街道をひっそりと走っている。途中、未公認ながら、1978(昭和53)年2月17日、−41.2度という日本最低気温を記録した幌加内町を通過する。
 道路脇へ駐車し、煙草に火をつけ一服していると軒先でセキレイに餌をやっているじいさんと目が合う。そして一礼するとじいさんがニコニコしながらお辞儀を返してくれた。なにげない光景だけど俺はツーリング中のこんな雰囲気が大好きだ。

 やがて霧立峠へ辿り着くが、期待を裏切らない霧ばかりの様相を漂わせており、思い”キリ”吹き出す。

霧立峠P
 この旅初めて日本海側に出た。でも相変わらずの雨しきり。羽幌のホクレンストアで今夜の買い物をする。帰りがけに地元のおばさんから
「雨の中、バイクでたいへんだね」
 ナンバーを見て
「わっ、福島からかい。こんな遠いとこまでご苦労さん。気をつけて頑張るんだよ」
 ライダーを差別しない北海道ならではの地元のおばさんの激励に俺はかなり感動する。
『ありがとう、おばさん』 


キャンプ場のゴミ問題


 苫前町を通過し、ホクレンで給油していると
「うひゃひゃ、ふぐすまから来たのがい」
 と同じ福島ナンバーの3人のおっさんライダー軍団に話しかけられた。と言っても多分、俺はこのオヤジたちと同年輩だと思う。爽やかな旅人?北野は所帯じみてないので旅の中では幾分若く見えるらしい。日常のスーツ姿になるとそれなりになるが。

「いやいや奇遇だっぺよ、あんた福島のどこよ」
『ああ、市内だが』
「そっかあ、俺らは浜なんだけどよ」
『実は俺も3月まで、そっちに住んでたよ』
「そうがい、奇遇だない。それにすてもオメエ、福島のわりに訛ってねえなあ〜」
 というより、オヤジたちがナマリ過ぎだ。よく西部劇に出てくる田舎の人みたいだぞ。

「今日は、どごさ泊まんの?」
『鏡沼でキャンプだな』
「あや〜、こんな天気なのにご苦労なこった。俺らは稚内で宿とって夜遊びビンビンすっつぉ、オメもそうしねがあ〜」
『いや、俺は少しワケありでな、当分野営を通すつもりだ』
「まあ、なんにせよ、こんな北海道の北のハズレで同県人と会えるなんてない、嬉しいべえ」
 俺は日常を脱却しているので、自分の地元の人々と会っても特に嬉しくもなんともない。

『そうかもな・・・』
 と典型的な相槌を打って別れた。

 雨も一時的にあがり、まったりと景色を楽しみながら天売国道を北上していると・・・

 爆走してくる3個の物体、嫌な予感。まさか・・・

 やはりさっきのオヤジ軍団。

 バンバン追い越しをかけて暴走の連続、俺の横に重なった刹那、
「うひゃははは、まだ会ったないオメエ。お先になあ」
 と手を振りながら次々に消えていく。

 やめろ手を振るな。同じ県のナンバーつけてんだから絶対に仲間だと勘違いされるだろう。同県のナンバー見ただけで狂喜する、このロングツーリングど素人ども。

 ちっ、また雨が降ってきたぜ・・・

 牧草ロールが点在する中をひた走り、ようやく鏡沼海浜公園キャンプ場へたどり着く。

 ここは昨年も利用したが、無料のサイトでシャワーやライダーハウスも無料という信じられないサービスを提供してくれる。

 さっそく管理棟へ向かった。

 しかし凄い雨だ。こういう時にこそライダーハウスを利用すべきじゃないのか。心中で葛藤が続く。しかし男が一度決めたことだ。キャンプにしよう。

 受付のオヤジが
「もちろんライダーハウスだよね。今日はみんなそうだよ」
『いや俺はキャンプだ』
「なんですと、こんな雨の中・・・」
『もちろん、キャンプでお願いする』
「だって濡れるよ」
『そりゃそうだがキャンプするよ』
 ようやく理解?してもらえた。

「あのゴミなんだけど持ち帰りでね」
『え?俺は地元じゃないんだが』
「わりーな、そう決まったんだよ」
『誰が決めたんだ?』
「うっ、そっ、それは町とかがよ・・・」
『俺はロングツーリングライダーで、荷物もいっぱいいっぱいなんだ』
「だから俺じゃなくて町が決めたんだからしょうがねえべぇ」
 だんだんオヤジもいらついてきたようなんで引き下がったけど全然納得できない。

 去年は兜沼キャンプ場で法外な料金を取られうえにゴミ持ち帰りの洗礼を受け二度と当キャンプ場の利用はする気になれなくなった。今年は鏡沼キャンプ場、ここもかい。

 確かにマナーやゴミ有料化の問題もあるのかもしれない。そしてゴミはコンビニのゴミ箱へ捨てればいいと思っているだろうがコンビニの経営者からすればいい迷惑だ。俺はこのキャンプ場が好きだ。だから有料にしてもこんな馬鹿なことはやめてもらいたい。もうすぐ先のサロベツ原野へ行けば一目瞭然。ゴミだらけだぜ。原野に不法投棄すれば簡単だもんな。

 とにかく目先のゴミの有料化とかの問題じゃなくて、先の先を読んでもらいたい。こんなことをしたらどうなるか。そして、大変なことにならないように手を打つのが、政治だろう。為政者の役割だろう?と俺は思うが・・・

 もちろんキャンプ場のゴミばかりじゃないだろうけど心ない連中による安易な原野へのポイ捨てがますます加速して行きサロベツならぬ、「ゴミベツ原野」とか言われる日が近い将来必ず来るだろう。

 後日、日勝キャンプ場でも同じ目に遭いトマムのスタンドで給油した時、ゴミの引き取りをお願いしたら、そこのセイコマに捨てればいいだろうと相手にされなかった。

 とにかくいつまでも管理人と話していてもラチが開かないのでキャンプサイトへ不機嫌な面持ちで向かった。

雨の鏡沼キャンプ場
 ほぼ去年と同じ位置に陣取り、テキパキとテントを立てて行く。さすがに旅慣れてきて、あっという間に組み立て完了。実はこのテント前室の扉がタープになるという優れものだ。

 そしてビールの蓋を切り、ゴクン。たまらない美味しさだ。 


嵐の夜


 例のクッカーでご飯を炊いた後、ホクレンストアで買い込んでいた帆立をバーナーで焼いた。かなり錆びてきたけど昔、大学を卒業する時、親友から別れにもらった名刀、サバイバルナイフで、いわゆる帆立のチョウツガイの部分を切り、ほんのひとたらしの醤油とワインで味を調えると信じられない美味さになる。

 ふうふう言いながら帆立の汁をすすったがまさに絶品。がぶりつくと肉の部分も非常にジューシー。酒も大いに進んだ。

帆立焼き

塩ホロモン
 セイコマ限定の塩ホルモンも焼いてみた。シコシコとした歯ざわりがとても心地よい。ご飯のおかずにぴったりだ。

 風雨が強まってきた。まさに嵐の夜。テントにあたる雨音がとてもよいシラベとなり睡魔が襲って来る。腹もつくったし、心地よく酔いもまわってきた。

 さて寝るか
 嵐の一夜が開けて・・・

 早朝に目覚めるがやはり雨。さっそくクッカーで飯を炊いた。そして納豆とほうれん草のインスタント味噌汁で朝食をとり、熱いシャワーを浴びた。

 さっぱりした後、撤収作業開始。水分の沁み込んだ重い荷物をパッキングしていく。例のゴミもツーリングネットに挟んで出撃。雨の下サロベツをひた走る。

北緯45度の風車
 北緯45度地点に入ると去年から登場した風車がなんだか増殖しているぞ。この風車が立つ前の風景を知っている者なら、はっきり言って邪魔な存在だ。ただビギナーな人には新たなる風物詩となっているようだが。

 けど、絶対に上サロベツへだけは立てないでもらいたい。

上サロベツ
 上サロベツへ突入した。キタノが帰って来たぜ!

 俺はこのあたりに入ると必ず臨界点に達してしまう。なにもない。なにもないからいいんだ。世界最高の道なんだ。ひたすらサロベツ原野の中へ道が伸びている。

 いつの間にか雨もあがっていた。まるで俺が帰るのを待っていてくれたかのように・・・
 2003年8月某日、永久ライダーが風のようにオロロンラインを駆け抜けて行く。