第6章 熊の出没したキャンプ場



稚内森林公園キャンプ場


もう少し上サロベツ



上サロベツ海岸
 弱いながらも陽が差す中、気持ちよく上サロベツを快走していた。でもせっかくお気に入りの上サロベツをすぐに通り抜けてしまうのももったいない気がする。海岸に出てみるか。気温も上がって暑くなってきたので防寒ジャケットを脱ぎ汗を拭いた。

 実は上サロベツ海岸及び、上サロベツ原野周辺は「利尻礼文サロベツ国立公園」に指定されているので、北緯45度付近の例の風車など逆立ちしたって立てられないのだ。思い知ったか! 
 海岸からは残念ながら今年も利尻富士が拝めなかった。オロロンラインから利尻富士が見えないとツーリングライダーは、かなりヘコむものだ。

 しかし、海岸はゴミだらけだな。ゴミを拾うとロシア語やハングルの文字が書かれている。つまり外国からのたくさんの漂流物が打ち上げられていた。なんか海岸がとても無残だと思った。

 流木の上に腰を降ろし、俺は煙草に火をつけた(もちろん携帯灰皿持参)。誰も居ない。あたりを見渡すとこんな風景の中にもけなげにハマナスがあちこちで咲いていて、とても救われる気分になる。

 海岸を離れマシンのキーを回した。
 サロベツを走り抜ける頃、不思議な岩が登場する。いつも気になっていたのだが、今回は画像を撮ってみることにした。

 おそらく名のある岩なのだろうが、ツーリングマップルには特に記載されていない。よく見ると人の顔に見える。しかし真下の家に住んでいる人って、恐くないのだろうか?

不思議な岩


熊の出没したキャンプ場



稚内駅
 昨年に引き続き稚内入りした。

 まず駅前にへかう。日本最北の駅だ。腹も空いたので俺は駅前のある食堂へ入ってみることにした。

 噂によると千円ちょっとでボリュームたっぷりの刺身定食が食べられるという。さっそくオーダーしてしばらく待つと刺身はすべてイカのみ。つまりイカ刺し定食だった。
 まあ不味くはないけど想像していたものとのギャップが大き過ぎて裏切られた気分だ。

 なぜなら港の方の直売店に行くとイカ30匹2000円とかで売られている事実を俺は知っている。

 ちょっと今日はあちこち見てまわるパワーが尽きた。少し早いが稚内森林公園キャンプ場で幕営するか。

 キャンプ場へ入り、まずは濡れたテントやシュラフを乾す作業をし、所定の場所へ鏡沼キャンプ場のゴミを捨てさせていただく(ほんと申し訳ない)。 
 実はここのキャンプ場、無料で居心地満点なんだが、昨年は閉鎖されていた。熊が出没して、食料を枕にテントの中で寝ている人の頭をガブっと噛みついたそうだ。幸いその人に大きな怪我はなかったようだが、キャンプ場は即刻閉鎖になった。

 しかもその熊は猟友会の執拗な捜索を振り切り、今年も仔牛と遭遇して怪我を負わせたとか。つまり熊が今夜出没してもおかしくないということになる。大丈夫か?

前室で珈琲酎を飲む
 やがて夜になったが、熊のことを考えるととても外で食事をする気になれない。星も見えないことだし。

 しかし、よく考えると熊も可愛そうな気がする。見つかり次第即射殺だ。野生の熊だって好きで人前に現れる訳ではない。開発の波を受け確実に生活空間を奪われているのだ。いつだったかも道内で母熊にはぐれた仔熊が人里へ現れ、おどおどしているところをためらいなく射殺された映像をニュースで見たことがある。俺が甘いのだろうが、なんかやるせない気分になった。

 テントの前室でクッカーを炊きサバ缶をおかずに飯を喰った。しかし、いい加減缶詰で飯を喰うの飽きてきたぜ。不味過ぎる。以前、ヨッシー(1999年同行)が犬の餌のようだと缶詰定食の悪口を言った時、北野が一喝したなんて事実はどこへやら。まともな夕ご飯が食べたい。

 愚痴を言ってもしょうがない。お湯を沸かして珈琲酎のお湯割をガブガブ飲んでやった。やがてペロペロに酔って、ふかふかのシュラフで爆睡してしまう。おやすみ!

 そう、酔ってさっさと寝ちまえば銭はかからんのだ。熊さんのことも忘れてしまったし・・・

 そして稚内の夜が明けた。

 少し寝坊。

 とにかく習性で飯を炊いている寝ぼけ眼の北野がいた。そして納豆とインスタント豚汁という毎度変わり映えのしない朝食の箸を漕ぐ。

樺太犬記念碑
 冷んやりとする風を浴びていると次第に目が冴えてきたぞ。テントを撤収しよう。雨がパラパラ降っているが礼文島へ向かうつもりだ。そして久々に西海岸を歩きまくってやるぜ。

 実は今回2泊3日で人跡未踏の知床岬まで歩こうという計画があったが、ある事情で断念せざるを得なくなった。そのストレスのはけ口が単独西海岸踏破である。
 稚内公園の下り坂を降りた。

 途中、南極で人間の都合だけで置き去りにされた犬達の南極観測樺太犬記念碑や供養塔の碑もある。

 タローやジローは苦難の末、生還したが多くの犬たちが犠牲になった。最後まで忠実に人間を信じていたのに置き去りかよ。 

氷雪の門
 すぐ近くに氷雪の門もある。氷雪の門は樺太出身者が故郷を望む望郷の門だ。

 終戦間際に卑怯にも当時のソビエト連邦が日ソ不可侵条約を一方的に破棄。そして日本領南樺太を不意打ちにし、不法占領してしまった。

 多くの民間人にまで危害を加えたという。そして氷雪の門は故郷を追い出された人々によって昭和38年に立てられたそうな。稚内で最も有名なモニュメントである。

 フェリーターミナルへ向かう途中、防波ドームに立ち寄る。

 昭和11年完成。このドームは戦前稚内〜樺太との定期船発着所として建築されたものだ。

 なんでも5年の歳月がかかったという世界でも珍しいアーチの回廊を持つ建築物だ。
 

防波ドーム
 昭和53年に老朽化が進行したドームに全面的な復旧工事が施されたのが現在の姿である。

 ちなみに今年はドーム内に露店が出てなかった。恒例のかに汁をすする算段をしていたのに残念。

 そして礼文行きのフェリーの2等客室内で、涎を垂らしながら爆睡している北野の姿あり。