第6章 兜沼の宴



宮の台展望台からのパンケ沼


原野を彷徨う


8月9日 曇り


 上陸してから初めて布団で寝た。ふかふか過ぎて逆に夜中に何度も目覚めてしまう。それでもなぜか6時にピタリと起床。洗顔して外に出た。家族連れで来ているおとうさんが車から器具を出してトレーニングをしている。凄い、さすがボディビルダー。

 僕は、バイクのチェーンにオイルを塗った。オイルと言えば・・・腕の臭いを嗅いだ。石油クセー。豊富温泉の臭いがまだ抜けない。石油の臭いプンプンさせながらパッキングも済ませて一服しているとキッチンからオーナーの「ご飯ですよ」の声がした。

熱心に質問してくれたおふたり


 朝食は、トースト・サラダ・スクランブルエッグ・ウインナーなど洋食中心。野菜が不足しているので助かる。牛乳もおいしかった。

 出発しようとすると昨夜、北海道について、いろいろ質問をくれた女性たちが見送ってくれた。ライダーの最敬礼「ピースサイン」を送りスロットルをあげた。「達者でな」。



木道が1キロ整備されている
 「あしたの城」から5分も走ると「サロベツ原生花園」に着いてしまう。早朝のためビジターセンターはまだ開館してなかった。ちと残念。ここはサロベツ原野の様子や成り立ちが詳細に解説されている。2階には望遠鏡が設置されて、広大な原野を一望できるとか。

 せっかくだから原野の木道を歩いた。広い。本当に広い。本来なら利尻富士が前面にデーンと見れるはずなのだが雲で隠れていた。



長沼

パンケ沼

原野の中の名もない道


 その後、オロロンラインに出てやや南下する。下サロベツ原野園地を目指した。北緯45度地点をやや過ぎて左折すると幌延ビジターセンターが見えてきた。

 ビジターセンターへ入った。そして湿原の仕組や野鳥の生態などについて、パネル展示やマルチスライドでお勉強をする。それにしてもサロベツ原野って実に2万年という気の遠くなるような歳月を経て形成されていた湿原だったんだ。

 長沼付近の木道を歩いた。黄色の花はエゾカンゾウ(ユリ科)で沼の中にいる鳥はアオサギだな。なんだか俺って凄い知識・・・実は今ビジターセンターで憶えたばかりの知識でした。ちなみにエゾカンゾウの花言葉は「情熱」だ。

 ゼファーでやや移動し、野鳥観察舎のあるパンケ沼の岸まできた。誰もいない。鳥のさえずりと風の音だけがする。サロベツ、きちんと見ると奥が深過ぎるぞ。

 さらに地図にも載っていない道を彷徨い走る。ただただサロベツを散策するだけに僕と壱兵衛だけに与えられた自由な時間だ。なんと贅沢なんだろう。

 R40に入り、豊富の町の中に戻った。そして適当に入った食堂で「ニシン定食」をオーダー。ガツガツ食べていると親父さんが「福島から来たのかい、今年は寒くてたいへんだろう」と話しかけてきた。なんでも奥さんに昨年先立たれ、内地にしか身寄りがないそうだ。「でもね、俺は内地なんかに行かねえよ。この地に骨を埋めるんだ」と言っていた。道内に長く住んでいる人は北海道を出たがらないって本当らしい。

 店を出た後、向かいの電気屋でラジオを購入。これで天気予報など情報が得られる。助かったぜ。
 


 宮の台展望台へ向かった。広大なサロベツ原野を見渡すのに最も適していると言われている。ようやく陽が顔を出すようになり気温が上がってくる中、駐車場から展望台へゆっくりと歩いた。

 螺旋状の階段を登り展望室へ入ると、おーよい眺めだ。夕陽の時刻なんぞに来たら最高級の光景を目にできること間違いなし。このページ冒頭の写真は、ここから撮影したものだ。

宮の台展望台


兜沼の宴



ミヤタさんとAOさん


 まだ時間的に少し早いが、兜沼キャンプ場へ入った。管理棟で受付をすると利用料800円、入浴料300円。マジっすか。道内のキャンプ場としては高過ぎだ。でもしょうがないので払うものを払った。

 バイクでテントを張り易い場所を物色しながら走った。ここだ。屋根付きのテーブルがあるところのすぐ脇。悲惨すぎる野営を続けているので直感で決めた。雨が酷くなれば、テントからここにビバークすればよし。失敗は糧にしないと。

 思えば僕の旅も失敗・失敗・失敗の連続。テントの設営やバイクへの荷物のパッキング術も野外での飯炊きだって誰から教わったわけではない。自分自身の数限りない経験や失敗から学んだだけだ。ヨッシー(1999年に同行)と試行錯誤しながら生み出した技もある。ついでにハンゴウで飯を炊くコツは、米をといで中火で炊いて湯気が出終えた後、コゲる臭いがするかしないか微妙なところで火を止め、蒸らすだけの簡単なことだ。

 そんなことを考えながらテントを設営していると1台のバイクが停まった。そして僕の方へ歩いてきたライダーが「キタノさんですか?」と話かけてきた。

「どうもAOです」
 あっ、うちの掲示板にカキコんでくれたAO(アオ)さんですか。
『初めましてキタノです』

 札幌在住のAOさんは僕より、いくつか年長のようだ。ありがたいことに「永久ライダーの軌跡」バックナンバー北海道ツーリング1987まで読破され、僕の学生時代の懐かしき想い出の地「層雲峡野営場」へも昨年泊まったことを報告してくれた。


 AOさんの設営が完成する頃、XJRの音が・・・やっぱりそうか。「混浴ライダー」だ。おお、1年ぶり。ミヤタさんはメットを脱ぐなりニッコリと笑った。僕がこのサイトでやたら「混浴ライダー」と書くもんだから、会社や友人関係からずいぶんと冷やかされているらしい。ここで本人の名誉のためにフォローするが、彼は本当に人当たりのいい好青年です。ただ、もう3年連続で関わりがあるので、うちのサイトには欠かせないキャラになってしまった人物が混浴ライダー・・・もといミヤタ氏なのです。というわけで広い目で彼を見守ってやってくださいね。会社やお友達の皆さん。ヨロシコ!

 ミヤタさんがテントを設営している間にAOさんと風呂に入った。先客のじいさんが、この夏の気象の異常さについて語っていた。こんなに寒い夏は、かつて経験したことがないそうだ。

 その後、3人で酒を飲みながらキャンプ場や道内の話題で語り合う。そうそう例の珈琲酎を出すと皆さん大喜びだ。実直そうな雰囲気のAOさんは昨年からキャンプツーリングにハマったこと。稚内が免許を取り易いことなどを話していた。さらにキタノから「混浴ライダー」というキャンパーネームを命名されていたことが会社にバレ、ミヤタさんがイジメに遭っていたこと(もちろん冗談の範疇で)などでエンドレスにトークは続いていく。

 ミヤタさんは、フェリーで学生と知り合っていろいろ北海道についてお話しながらがら来たそうだ。その学生は、北海道情報をネットでたくさん調べたそうだ。そしてプリントアウトしてきたものを自慢げに見せられる。どこかで見た内容だぞ。実は中身が「永久ライダーの軌跡」だったと爆笑しながら話していた。おいおい、うちのサイトは情報系ではなく読み物だ。データとしては、あまり参考にならんと思うが。第一、僕と同じ行動をとったら大変なことになる。まさに「これ一冊で旅をしないでください」の世界だ。

 もう、ベロンベロンになって12時頃就寝。


 おやすみなさい!