第3章 コムケ湖の夕陽



宗谷岬2002


宗谷丘陵


宗谷丘陵にて
 稚内に上陸した。防波ドームの露店にてまたしてもカニ汁をすすりながら天候を見ていた。しばらくすると、どうにか雨があがったので先に進むこととする。そして、まだ行ったことのない宗谷丘陵を目指した。

 最北端方面へゼファーを走らせると本当に寒い。たまらず、防寒ジャンパーを着込んだ。途中電光掲示板の温度を確認すると13度。真夏のまだお昼だぜ?


 宗谷岬手前から道道889へ右折し、山間部へ入った。広大な牧場を横目にさらに北へ進むと宗谷丘陵だ。なんて言ったらいいのだろう。独特のペーソスが漂う草原が広がっていた。宗谷岬の真上にこんな場所があったなんて。穴場だろう。観光客などまったくいない。

 宗谷岬へ下ると途中に旧海軍の望楼があった。日露戦争の頃、ロシアの強大なバルチック艦隊をここから監視した。もし日本海海戦、いや日露戦争に敗退していれば今日の北海道は、間違いなく違う形になっていたと思う。松山出身の秋山兄弟らの白眉な采配が彷彿としてきた。

海軍の望楼


 宗谷岬へ下ったが、画像だけ撮ってすぐに撤収した。そしてオホーツク海に沿いながら、ひたすら宗谷国道を南下した。

 天気は、ずっと曇天。途中、道の駅で休みながら走行した。相変わらず寒くて気持ちがかなり滅入る。道の駅マリーンランド岡島で一服していると家族旅行の若い男性が話しかけてきた。
「この先、南の方でいくつか取り締まりやっていましたのでお気をつけて。北側ではどうですか?」
『宗谷方面から来ましたが、特に大丈夫です。南部の情報ありがとうございます』
 こういう情報は、非常に役立つしありがたいものだと思った。


コムケ湖の夕陽

 雄武、興部、紋別と次々とオホーツクの町を駆け抜けた。もう陽も傾いてきた。この辺でキャンプ場は・・・

 コムケ国際キャンプ場だな。紋別の街を過ぎる頃、コムケキャンプ場の標識があり、左折するとコムケ湖に沈む夕陽が眼前に迫って来た。

 なんて美しい夕陽なのだろう。思わずゼファーを停め、画像を撮った。


 コムケ国際キャンプ場に入り、管理棟で受付を済ませた。広大な芝生が広がる綺麗なサイトだ。利用料2百円也。ファミキャンが多少いるだけでガラガラである。速攻でテントを張りハンゴウを炊く。

 ラジオが壊れて天気予報等、一切の情報が遮断されてしまう。なんてこった。気を取り直して、たまった洗濯物を持って管理棟向かう。すると洗濯機が400円もかかった。乾燥10分100円。シャワーも10分100円。キャンプ場の利用料自体は安いが、それ以外がかかり過ぎ。

 蚊の密集地帯サロマ湖が近いせいか、あちこち刺された。髪の毛の中まで。なんだか踏んだり蹴ったりな状況だったので酒を飲んでシュラフにくるまり、早々と寝てしまうキタノであった。


8月7日 曇

 この日、キタノはめずらしく安らかに寝坊。ラジオがないので情報を収集するために妻にシュラフの中から携帯でTel。
「もしもし、北海道の気象どうなってる?」
『あなたがいるサロマ湖付近以外は、全部雲の中よ』

 デ、アルカ(織田信長風)

 これで今日の行動は決まった。コムケに連泊しよう。

 そして、5度も素通りしているサロマ湖付近をばっちりレポートしてみることにした。

 テントも雨に備えて、右画像のように屋根付のテーブル付近に移動した。


 サロマ湖に向かう前にきちんとコムケ湖もきちんと拝見して置こう。

 コムケ湖は本当に小さい湖だが、やはりサロマと同じく汽水湖だった。でも湿原が広がるひっそりとした美しい湖だ。海とつながる人口の湖口を見ながらダートを走らせる。

 すると・・・オジロワシだ?慌ててシャッターを切った。スゲー、ただのトンビだという噂もあるが。まあいいか。


サロマ湖探索に出発!