第10章 奇跡の邂逅!永久塾オフ会(根室)


この中の5人が正会員、他は臨時?会員



立ち枯れした木々
 ちと風が強いが、快晴の中順調に国後国道を南下し、根室を目指す。

 今日は、永久塾のオフ会がRHインディアン・サマー・カンパニーにて開催される予定だ。メンバーの主だった人たちは、関西方面。僕はネット上でしかおつき合いがない。大丈夫かなあ。何か不安だけどみんな集まったら本当にすごいことだ。
 途中、野付半島に入る。荒涼とした草原、花の咲き乱れる湿原、立ち枯れの風化木、そして三角帆の打瀬舟が浮かぶなめらかな海。明治の作家大町桂月が「北海の天の橋立」と絶賛した異色の風景だ。

 細い半島の一本道(野付風蓮公園線)を延々と走った。15キロの地点までは、通行可。有名なトドワラを見るには、そこからさらに歩かなければならない。暑くて気力が萎えているので行き止まりの駐車場まででパス。礼文での元気は、どこへ行ってしまったのやら。
 

 半島の一本道を引き返して、野付国道に入った。暑い。頭の中は飽和状態。コクリ、ガックン。瞬間的に意識が無くなる。危ない。尾岱沼青少年旅行村の標識があった。ここで洗濯がてら休もう。管理棟のコインランドリーで洗濯しながら冷房の効いた休憩室でグーグー寝た。

 これだけ旅を続けていると神経がかなり図太くなるようだ。他人の目など気にならんし、本能的にこういうポイントを探し出す。尾岱沼キャンプ場ありがとう。設備が整ったいいキャンプ場だった。今度ゆっくり来てみるぜ。
 


 無事、根室に入った。実は今回根室でオフ会以外にも是非やって置きたいことがある。それは会津藩最後の家老のひとり梶原平馬の墓に詣でることだ。

 根室市郷土資料館へ赴き、会津の歴史を調べている者だと名乗ると学芸員の方が親切に応対してくれた。そして資料や墓地までの地図のコピーまでいただき、すっかりお世話になる。学芸員さん、ありがとうございました。

根室市郷土資料保存センター

 墓は昭和63年、会津藩士の子孫により奇跡的に発見されている。さっそく市営西浜町墓地に入り、あちこち探し回ったが、なかなか見つからない。40分くらいして、半ば諦めかけた頃、ようやく墓地の一隅に立つ高さ70センチのあまりにもつつましい墓石を発見。本当に隠れるようにご家老は眠っておられれた。

 波乱に満ちた青春を送り、凄惨な会津戦争の傷心からか後半生は、突如消息を断ち、ひっそりと根室の地で影絵のように生き生涯を閉じた梶原平馬。この地で何を思い暮らしていたのだろう。

 僕は深く黙礼を済ませ、静かにその場を去った。



コマンダーさん、食中毒さん、ふじんさん、高市さん
 そんなこんなで、17時を過ぎてしまった。早く「インディアン・サマー・カンパニー」に入らなくちゃ。懐かしい建物が見えて来たぞ。バイクを停めて、1階のカニ専門店に向かった。おっ、大将やおばちゃんがいる。

 「お久しぶりです。大将」。『おお、自衛隊さん』。大将もおばちゃんも覚えていてくれた。僕の軍用ジャケットが印象に残っているらしい。ちなみに僕は職業「自衛隊」ではない。格好だけ。なんちゃって自衛隊員だ。大将たちは僕が自衛隊員だと信じて疑わない。「今年も基地の休みとれたのかい?」の一言が如実に証明している。

 ここは千円以上のカニを買うと泊めてくれるRHでもあるのだ。買い物をしているひとりの男性、どっかで見た顔だぞ。高市さんだ。彼はご自分のHPにて、顔がはっきりと写っているスナップを公開しているので、すぐに分かった。「高市さんですよね?」、『キタノさんですか?』、おースゲー。本当に会えた。

 さらになんとも笑顔の可愛らしい女性ライダー食中毒さんも・・・またまた感無量。みんな思った通りの方だ。あれ、でも会長、コマンダーさんがいないぞ。皆さんの話だとコマンダーさん、今回もチャりダーなので、どうやら遅れているらしい。


 いったんコンビニにビールや焼き鳥を買い出しに出る。戻ってくるとコマンダーさんが到着していた。チャリダーらしく真っ黒に日焼けしており、がっちりとしたバディにはなにやら風格が漂う。それでいて楽しそうな人物。そんな第一印象だった。

 「初めまして」と言うべきか。何と言っていいものやら。ネット上では、あんなに仲良しなのに本人を前にするとなんか恥ずかしいというか話づらいなあ。去年より大きなサービスのカニ(今年はなんと花咲ガニか毛ガニかセレクトできる)が出るとみんなさらに無口になる。

花咲ガニ
 でも食べ終わる頃になるとすっかり打ち解けて爆笑の連続。盛り上がって来た。モンゴル話などコマンダーさんの話は実におもしろい。
 
 カニも甘くておいしかった。殻を片づけに1階に行くと「そっちじゃなく、こっちだ」とやけにタカビーで、知ったかする男がいる。ちょっとムッときたが、おばちゃんが「いいんだよ。おばちゃんがやるから」と言ってくれたので相手にならず2階に戻り、また歓談が続いた。

 


フルバトルスーツさん
 ある若者が「北海道民なのでカニ飽きているからどうぞ!」と食中毒さんのところへ毛ガニを持ってきてくれた。気前がいい。親切に上手な食べ方まで教えてくれた。彼は、フルバトルスーツを着て町の祭りへ繰り出すそうな。カッコイイ!

 歓談していると、さっきのタカビーな男が会費制で、バーベキューを中庭でやると言っている。祭の文字の入ったハッピに着替えて気合い充分のようだ。この人はヘルパー?「ほー、インディアンでは、そういうサービスもやるようになったのか?」ちょっと覗いて見たけど人数がいっぱいで肉にありつけそうもないので、すぐ2階に戻った。

 おばちゃんが、恒例の写真を撮りに2階に上がってきた。でもたくさんの人が外へバーベキューに行っているので人数が少ないのでは?とおばちゃんに聞いたら「外は外で写真を撮ったからいいの、でも困っているのよねー」。ここからおばちゃんのぼやきモードが始まった。

 まずバーベキュー。店主催でも何でもない。勝手に仕切屋が近所迷惑を顧みず企画していたことが判明。ほんとに迷惑しているそうだ。ただ毎年来る常連さんだから言いたくても言えないらしい。何日か前も仕切屋が数名の女性ライダーにちょっかいをかけ、彼女たちが、すごく怯えてしまい、広間でカニを食べることが出来ずに女性の部屋で食べたそうな。


 何だか悪いライダーハウスの典型になりつつあるようだ。僕は、おばちゃんとお話しするのも楽しみのひとつで来ているのに残念でならない。おばちゃんの寂しそうな顔が今も印象に残る。どうして人の嫌がることをやる仕切屋(ヌシ)が来るのだろう。ヌシが居ないので好評なRHなのに。僕がインディアンなど、一部を除いて基本的にRHが苦手なのもヌシが大嫌いだからだ。

 おばちゃんが1階に戻り、みんなが帰って来て、またまた歓談。明日、食中毒さんは屈斜路湖畔の和琴キャンプ場で彼氏と待ち合わせするそうだ。和琴と言えば僕も北海道では必ず訪れるキャンプ場ではないか。レストハウスのオーナーとも懇意だ。よ〜し。「行ける人は明日、和琴キャンプ場に結集しよう」となり、また盛り上がる。

 我々が、あまり盛り上がるので、他の人たちが驚いて「どういう集団ですか?」と聞いてきた。たぶん?食中毒さんが、経緯を説明するとさらに驚いていたようだ。彼は、永久塾の誰かのHPに遊びにくると言っていたが・・・。

 遅くに今回北海道に来れなかったキタノの従者「ヨッシー」からTELがあった。会の皆さんひとりひとりと緊張しながらお話しをしていた。ひどくうらやましそうな口ぶりだった。

 話が弾んで、あっという間に時間が過ぎる。おっといけねぇ、消灯時間の12時を過ぎている。「皆さん、消灯時間過ぎてますよ」とお知らせした。そしたら何と仕切野郎が何だかんだ言ってきた。もうダメだ。完全に仕切野郎にブチキレてしまう。「それ以上、おまえが仕切りやがるなら表へ出ろ」と一喝、仕切野郎(ヌシ)は「すいません。寝ます」と力のない声で返事をした。最初から素直にして仕切らなければ叱られないのに。

 これ以降、二度とライハを利用しなくなった。絶対こんなのと一緒に泊まりたくない。今度会っても絶対にボコボコにしそうだし。ヌシって、本当に長く居るだけで威張る無礼で嫌な奴だ。しかも本人にヌシの自覚がないから困ったもんだ。

 他の皆さん、短気ですいませんでした。