第7話 奇跡の光景!(サロベツ原野) 
8月8日(日) 天候 晴れ
     


久種湖畔キャンプ場にて
 朝、7時頃起床。ハンゴウでご飯を炊き、レトルトカレーをかけて食べた。風が強い中テントをたたんで出発。フェリーターミナルに近い「さざ波」でイレブンソフト(11段あるジャンボソフトクリーム、れぶんをもじってイレブン)を食す。特大を食べればタダになるとか。ちょっとそれは無理だね。店から出るとなんとヨッシ−とドラックスターがカラスの奇襲攻撃を受けている。カラスは弱い者をいじめる習性があるけど北限のカラスは特に狂暴だった!

 いよいよ礼文島を離れる時が来た。フェリーに乗船し、甲板から埠頭を見ると例の桃岩荘のヘルパーや常連8名が宿泊客に別れの挨拶をしている。「きのうは、忙しくて納得するサービスができず本当に申しわけありませんでした。愛とロマンの8時間ハイキングは、いい思い出になっていただけたでしょうか。我々の歌(島を愛す)と踊りでお別れしたいと思います」大声で叫び、歌いながら踊りだした(大学の応援団風)

 宿泊したらしい家族づれのおとうさんが感激して「ありがとう」と何度も叫んでいる。甲板に居合わせた他の乗客たちも猛烈に感動しているらしく盛んに手を振っていた。僕も桃岩荘に泊まっていたらウルウル来たかも知れない。感動に耐えきれずヨッシ−は泣いていたような気がするが?ヘルパーたちは、船が見えなくなるまで「さようなら」と叫んでいた。

 毎年、礼文島に渡るために北海道に上陸する人が多いと聞く。それは美しい自然や食べ物のうまさばかりではない。人と人とのふれあいや人情味あふれるもてなしに魅かれるからだろう。大不況の現在、サービス業が学ぶべき基本的な姿勢はこれ「感動」なんだなあと思いつつ礼文島を後にする。この最果ての島に来て本当によかった。来年は、じっくりと島を堪能しに帰ってきます。礼文の皆様、おいしいウニ、ご馳走様でした!


奇跡の光景! 

 昼過ぎ稚内に上陸した。今日は留萌方面を目指して日本海側をひたすら南下する。なんだ!この光景は?これは、日本じゃないでも無節操に広いだけの外国の景色でもない。まさに秀麗な北の大地そのものだ。

 大小の沼が点在し淡々と広がるサロベツ原野を左手に海を挟んで右手に利尻富士が大きく見える。太陽に反射した海面が金色にキラキラ光り輝く。それ以外は何にも無い。道はどこまでもまっすぐ続いている。道路以外はまったく手付かずの自然だ。まるでサバンナの中を走り抜けているような錯覚におちいる。何も無さ過ぎることがかえって素朴な大パノラマの迫力を演出しているのだ。奇跡だ!このサロベツを表現するには、この「奇跡の光景」という言葉が最も適切であろう。

 僕は、あまりの絶景に言葉を失い、臨界点に達しながらアクセルを握っていた。古い映画で「人間の条件」という大ヒット作品があった。その映画に出てくる満州は、全部このサロベツ原野だそうだ。それほど満州の地(中国東北部)と酷似しているらしい。サロベツとはアイヌ語のサル・オ・ペッで湿原の中の川という意味。

 そんなうんちくはともあれ、サロベツ原野と海を挟んだ利尻富士を両輪に抱えた道道106。僕は、すっかり魅せられてしまった。この光景に比べ、僕の生き方は何と小さいものだったろうか。

 生涯ライダーであろう。そして妻子があっても常に旅人であろう。そう、『永久ライダー』を宣言したのだ!後にここで思いついた永久ライダーというネーミングがHPタイトルにまで反映される。とにかくこの世の風景とは思われぬ道道106で、その後のキタノの生き方が大きく変わったような気がする。



海を挟んで利尻富士
 マップには60キロくらいは何も無い(電線も無かった)のでガス欠に注意と書いてあったが、なぜか一軒だけぽつんと小さなレストハウスがあったので立ち寄って簡単な昼食をとる(ついでに写真撮影)。

ケンシロウになる!

 その後再び単調だがすばらしい景色をみながら夕方まで留萌に向けて走り続ける。この道道106は、オロロンライン(このあたりに生息し絶滅が心配されるオロロン鳥から命名されている)とも呼ばれているらしい。

 「世界最高の道」、これは後年、キタノがオロロンラインに思いを馳せて勝手に命名したものだ。

 「オロロンライン」、何とも素敵な呼び方ではないかとひたりきっている時、首筋からまたハチが入って来た。「アチチチ・・・ファイアー」あちこち刺されている。ヨッシーは慌てて手をぶらぶらさせながらTシャツをめくって格闘している僕を見て、無情にも「キタノさん、おもしろいパフォーマンスしている」と爆笑していたそうだ。後で僕の胸から腹にかけての刺され傷を(利尻島での分を含めて)確認するとケンシロウのように北斗七星の形になって腫れあがっていた。おのれ〜シンめぇ〜。違ったハチめぇ〜。

 留萌到着。今日は、この町の夕陽スポットで有名な黄金岬キャンプ場に野営するつもりだが、ツーリング当初からエンジンが回ると微量に漏れ出すオイルのことがさすがに気になりバイク屋に入った。

 ちょっと見てもらいたいと店主らしき人物に話すと「これいつから漏れてるの。何でもっと早く処置しなかったの」といきなり檄を飛ばされた。「ボルトが緩んでるだけなら絞めれば直るけど、そうじゃなければ部品交換だね。でもそろそろメーカーも盆休みだから、いつ部品入るか分かんないよ」と言いながら若い従業員を呼んで(自分では見ない)「ちょっと見てやって」と言った。

 というより、なんで客に敵意をもってるの、この人?

 若い従業員がボルトを確認したがどこも絞まっていると店主に告げた。どうやら最悪の事態になったようだ。店主は「アメ車みたいにオイルをつけたしつけたし行くしかないね。明日はどこ行くの」札幌方面だと答えると「札幌の大きなバイク屋なら部品置いてあるかも。可能性は薄いけどね」と冷たく言いながら1リットル2000円(やけに高い)のオイルを選択の余地無く出してきた。言いたい放題言われて落ち込みながら金を支払った。

 ライダーとして人生の半分以上バイクに乗っているけど僕はバイク屋じゃないし、もともとメカに弱い。クルマに乗っている人たちもみんなメカにつよいのかな?バイクってそんなに特別なものなのか?常々思っていたんだがクルマ屋の方が親切できちんと接客できる。全部じゃないけど言葉遣いからして横暴なバイク屋が多い事実は否定できないと思う。

 また自分でオイルを交換し、ミスしたのなら弁解の余地はない。だが
今回のオイル漏れも、旅行前に地元のバイク屋にオイル交換を依頼して、こういう結果になったのだ。なんだか不快な気分で黄金岬に向かった(翌日、札幌のレッドバロンで、このバイク屋のでたらめなメンテナンスが発覚し、激怒する) 


 黄金岬到着。「何だ、これは」海水浴場に併設されたほんのちょっとのスペースがキャンプ場だと。しかも混んでる。ヨッシーと相談して「ここでは、ちょっと」ということになり、近くのキャンプ場を探したが、いっぱいだったり高かったりで思うような場所がない。だんだん暗くなるにつれ、先行するヨッシーが焦りだした。そしてスピードがあがり気味になる。最後の望みを託して増毛町の雄冬キャンプ場に向かう。そこを過ぎるとしばらくキャンプ場は無い。この旅の最大の危機か。
雄冬キャンプ場

 雄冬キャンプ場到着。僕は最初、ただの駐車場かと思った。こんなとこにテント張って、この歳で1日に2度もセッキョーされたらたまんないなとブツブツ言いながら不承不承テントを設営する。よく見ると簡素ながら炊事場や水洗トイレもある。やっぱキャンプ場だ。

 マップによると1808年(文化4)の西蝦夷日記にも記述されている歴史ある清水が湧いてるそうな。「んじゃ飲んでみっか」すぐ脇にある湧き水飲み場に行って飲んでみた。「冷たくて、う、うめぇ〜」。この夏の北海道は異常気象で連日、沖縄より暑い猛暑が続いている。でもこの湧き水異様に冷たい。汗ばんだ体を冷水につけたタオルでふきとった。気持ちいい〜。シンプルでいいキャンプ場じゃないですか。(すっかり機嫌が直ってる)。ヨッシーもこのキャンプ場が気に入ったらしく上機嫌で日本海に沈む夕陽を撮影していた。

 しばらくすると「ここにテント張らしてもらっていいですか」と若いライダーとヒッチハイカーが次々と現れた。今夜の役者が続々とそろって来たぞ。その夜、彼らといろいろ話をした。ヒッチハイカー氏は、32歳で32泊33日目の北海道だそうだ。乗せてもらったクルマ133台というのだから猛者だ(チューヤン似)。そろそろ旅を終えて東京に帰るらしい。現在無職。ライダーのいるキャンプ場が大好きとも言っていた。

 もう1人の24歳の若いライダーは、まだ上陸したばかりでこれから北を目指すそうだ。彼もまた無職。そんなこんなと話をしてほどほどの時間にテントに入る。そう言えば我々もまだ半分以上日程が残ってるんだっけ。長い。長過ぎる。けど楽し過ぎるぞ。上陸初日にホームシックにかかったのは誰だっけ?