霧の摩周湖
第4話 道東3湖めぐり 
8月5日(木) 天候 晴れ時々曇り
   

 早朝、テントをたたんで知床を出発する。今までは海岸線中心の走行だったが今日は道東内陸部に向かう。

 まず向かったのは、有名な「霧の摩周湖」だ。1987年には孤軍奮闘し、2度チャレンジして2度とも霧で湖面が見えずたいへんがっかりした思い出がある。今回は作戦を変えて観光客があまりこない裏摩周の展望台を目指すことにした(こっちの方が景色がいいらしい)。

 道東らしく道が直線になっているコースが多い。あんまり走り易いんで、ついついアクセルの開きが大きくなりがちになる。覆面に捕まったら即免停以上、気をつけないと。

 それにしても摩周湖に近づくにつれ霧が濃くなってきた。「また見れないのか」と嫌な予感が脳裏を掠める。快調な走りで裏摩周湖展望台に到着した。そして、ドキドキしながら展望台に向かった。


 「お〜見えてる。ラッキー」12年ぶりに胸のつかえが降りた。絶景!めったに拝めない摩周湖を見ると出世できないという迷信があるそうだが見れなかった人のひがみだろう。たとえそうだとしても浮世の出世など「カンケーないね!」。僕自身が納得できる生き方をした方が遥かに有意義だ。

 摩周湖の美しい風景を堪能して阿寒湖に向かった。「まりも」で有名な阿寒湖は観光客でいっぱいだった。ここでは有名な辺久で「ワカサギ丼」を賞味することにした。ワカサギのシャキシャキした食感が何とも言えない。美味いというより歯ざわりがとてもよい。

 今夜、泊まろうと思った宿はサロマ湖畔で食べきれない程の海鮮料理を低料金で出してくれるという「船長の家」の予定だったが、あっさり却下された。やはり人気の宿は何ヶ月も前からきちんと予約していなけばならないらしい。さすらいのライダーにとっては無理な相談だ。

 そこで昔からライダー仲間で有名なとほ宿サロマニアンにTELして「今日泊まれますか」と聞くとOK。「今、どちらにいるの」と聞かれた。「阿寒湖です」と答えると「途中、覆面パトカーが多いから充分気をつけて来てください」と優しく言われた。

 その後、景色がよいことで有名な美幌峠に向かう。途中、坂道でトレーラーが時速10キロくらいで登っていて渋滞が発生した。パトカーが途中に挟まれているので他の車が遠慮して追い越しをかけられないらしい。制限50キロのところを10キロで走っている車に追い越しても何の罪も受ける筋合いはない。小市民達め。周りの迷惑考えてトレーラーも道を譲るべきだ。次々に追越をかけてトレーラーを追い越したがパトカーからは何の苦情も言われなかった。

 美幌峠到着。駐車場はオートバイでいっぱいだった。やむを得ず道路にはみだした一番隅の新潟ナンバーのドカティの脇に駐車する。すると突然かなり高齢の老人が現れた。このドカのオーナーらしい。「ここにお宅のバイク止めて、私のバイク出れますかね」と聞かれた。充分出れる間隔があるので「大丈夫じゃないですか」と答えたが老人は不満げな様子だ。「それじゃあ、俺のバイク違う場所に移動しますか」と言うと「それはいい」と答える。どうすりぁいいんだ。やむを得ず荷物満載のゼファーを引っぱって、最大限の間隔を開け、思い切り出入り口にはみ出した。ようやく老人は納得したようだ。

 さっきのパトカーが駐車場に入って来た。もしかして、追い越しをかけた僕を逮捕しようと追ってきたのかな?急に小市民になる自分。パトカーから降りてきた何人かの警官たちが、交通安全の旗を観光客に配り始めた。どうやら僕を捕まえる為じゃないようだ。ホッ!老人が「何でサツが入って来るんだ」とかわざとらしく言っていたが相手にならず展望台に向かった。ヨッシーによると老人は自分の高級車がゼファーに少しでも接触されることを恐れていたらしい。そんなことある訳ないのに不愉快だなあ。


 展望台からは屈斜路湖の全容がはっきりと見えたが屈斜路湖上空の部分だけ雲があるために少し暗くなっている。青春時代、屈斜路湖に格別な思い入れを残す僕にとっては感無量といった心境だ。 

 駐車場に戻り、出発しようとゼファーを後ろへ引っ張っている時、さっきの老人がまた僕の周りをウロウロし始めた。そんなにドカティが心配なら、なんで北海道まで乗ってくるの?もう勘弁してくれ〜。

 屈斜路湖和琴半島到着。観光客が多く、小綺麗なファミリーリゾートという感覚だな。露天風呂には、立派な脱衣所も出きている。かなり変わったというのが実感だった。

 レストハウスのばあちゃんやオーナーも12年前の夏に宿泊した僕のことなど当然覚えている訳がないだろう。当時10代後半だった娘さんも嫁にいったろうな。無類の犬好きの僕が老犬だった「チャロ」のことすごくかわいがったけど、もう生きてるわけがないだろう。さまざまな思い出が交錯し始めた。

 12年前、ここで知り合った京都のカブおんちゃん、福岡の酒屋のM氏、桐蔭学園野球部OBのFくん等々、何もかもが懐かしい。レストハウスに行ったらオーナーは日陰のベンチで「暑い暑い」と言いながらごろんとなっていた。

 チャロの話をし、12年前、たいへんお世話になった者だと話すと非常に懐かしがってくれた。チャロはずいぶん前にあの世に召されたらしい。でもばあちゃんが店に現れた。かなり歳老いたけど健在の様子だ。

 当時は、このばあちゃんが、かなりのやり手で完全にレストハウスを仕切ってたんだけど今はその座を息子(現オーナー)に譲ったらしい。なにせジンギスカン定食を腹いっぱい食べさせて、翌朝はコーヒー付き、そしてバンガローに泊めてくれて、たった千円だったのだから凄いと思う。

 でも7年ほど前から利用するライダーのマナーや質が急速に低下したらしい。カップルで来て2人だけのバンガロー用意しろとか連泊してヌシづらする輩を見てやってられなくなったそうだ。RHでも似たようことがあり閉鎖した話しを結構聞いたことがある。和琴湖畔キャンプ場では、そういうサービスは一切止めて、本来のキャンプ場とレストハウスの経営オンリーにしたそうだ。

 「今日は、泊まっていかないのかい」とオーナーに言われた。でも残念ながら宿をとってしまったと言い残して懐かしき和琴半島を去った。 

 佐呂間町到着。でもサロマニアンが見当たらない。やむなく近くのホクレンのおねえさんに訊ねると「トヨタビスタの看板右に曲がって6・7キロ行くと見えてきます」と教えてくれた。言われた通りに行くと「船長の家」じゃないか。あの女謀ったな。

 携帯からTELすると最初の道路から少し戻ればあるそうだ。どうやら見落としていたらしい。ヘルパーらしき人が看板にペンキを塗っていた。「お世話になります」と言ってもあまり反応がない。どうやらただの常連だったようだ。オーナーは何とも存在感のあるヒゲとがっちりしたバディをもった人である。

 宿帳に氏名・住所などを記入し部屋に入った。クーラーなどは無い。でも5日ぶりに布団に泊まれるのでうれしい。


 ここのオーナーは、もとサロマ湖ユースホステルのペアレントだった。サロマ湖に魅せられて、とうとう自分で民宿を開業してしまったという人だ。昔はライダーが多かったと聞くが、現在は家族づれ、4輪の旅行者など客層が広い。1泊2食付き¥4,500。

 夕食となり、海鮮中心(サロマ湖名物帆立の刺身など)のおかずがでた。久しぶりに家庭的な食事にありつけた。食事が終わってもオーナーや常連客の人たちは食堂で飲み続けているようだが、そこに入っていける勇気などはない。僕とヨッシーは、ひたすらコインランドリーで洗濯に励んだ。

 ヨッシーの他、同じ部屋に泊まる人は新婚の若い税理士の方だ。かわいそうに奥さんと離されちゃったらしい。この税理士夫妻は、神奈川県からのジェアラー(JR利用の旅行者)とのこと。飲みながらとりとめのない話をして早めに就寝した。