クリスマスイブその1



「よっ、色男」
 登校中に後ろから声をかけられる。同じ部活のヨシバだった。

 ヨシバは小柄ながらよく引き締まった体型の敏捷な男だ。彼は背負い投げや小内刈りの名手として、数々の大会では軽量級上位入賞の戦績を残した。ただ、体重が軽いのはいいが、口も軽いのが難点であった。

「おまえさあ、ナンバーワンとつき合ってんだって」
『なんだよ、そのナンバーワンって』
「学校ナンバーワンの秀才、そしてナンバーワンの美女ミゾグチマリだよ。このとぼけちゃって。才色兼備だけど、あんな近寄り難いほど綺麗な人のハートをどうやって射止めたんだ」
『おまえはいつも地獄耳だな。それにそういう言い方はよせ』
 俺は言葉を詰まらせた。こいつの耳に入ったら、そこいら中で噂になってしまう。

「柔道部員は昔から女にもてないはずなのに。しかしさ、硬派キタノも隅に置けないねえ。いろいろ噂があったけど彼氏とかいなかったのか」
 ヨシバは興味津々という表情をしながら俺の顔をちらりと覗いた。
『噂を信じちゃいけないよっていう曲が昔あったろ。いたって地味な人だし、俺のことならともかく、彼女についてペラペラ語るのはやめろ』
「へ〜事実は小説より奇なりっていうやつか」
『ヨシバもたまには文学的な表現をするんだな』
 ヨシバは俺の背中をパンと叩き、にやにや笑いながら昇降口の方角へと駆けていった。辟易するほど軽いやつだと思った。

 マリとは、その後も金曜日には丘の上で会い、たまにタンデムで近場を走っていたが、やがて12月に入り、寒さが増してきた。バイクはオフの時期だ。丘の上での逢瀬も限界になりつつある。そこで、週に一度、土曜の午後(週休2日の時代ではない)に駅前の喫茶店で待ち合わせをするようになった。

 喫茶店の名は「黒珈琲」だ。姉御肌で気さくなママさんがひとりで切り盛りしている。彼女は、キャンディーズのランに酷似していた。年齢は、噂によると20代後半、まだ独身らしい。以前は幼稚園の先生をしていた経歴もあるせいか面倒見がよく高校生世代の若者から絶大な人望があった。

 俺は昨年から、友人と部活が休みの日などに訪れコーヒーを飲みながらダベっていた店だ。
「あらあら、キタノさん、いらっしゃい。久しぶりね」
 ママさんは相変わらずだ。

 コーヒーを飲みながら暫し待つ。有線からはクリスマス関係の曲が盛んに流れている。木目のついたテーブルが渋い光沢を放っていた。

 やがてカランカランと入口のドアの鈴の音が鳴った。
「いらっしゃい」
 ママさんが条件反射で叫ぶ。

 大袈裟な表現のようだが、たくさんの花が一斉に咲いたような強烈なオーラが店内に漂い、他の客たちの視線が入口付近のマリの姿に殺到する。
「ごめんなさい。待った」
 マリは、はあはあと息をあげていた。
『いや、それほどでもないよ。コーヒー、モカでいいかい。ここのモカはかなり本格的なんだ』
「ええ、酸味と苦味のバランスがとれていて、わたしもモカがとても好きよ」
 マリはコートをたたみ終え、木製の椅子にゆっくりと腰かけた。

「いらっしゃい。この頃、キタノさん、ちっともこないと思っていたら、こんなに素敵な彼女ができたのね。奥手だとばっかり思って、すっかり油断してたわ」
 マリは頬を真っ赤に染めてうつむいてしまう。
「あっ、お邪魔でしたね。退散、退散」
 にやにやしながらママさんはカウンターへ入った。

「ねえ、クリスマスイブってなにをしてるの」
 運ばれてきたコーヒーを一口飲み終え、マリは呟いた。
『俺はクリスチャンでもないし特にすることもないね』

 ちなみに子供の頃に通っていた幼稚園が教会だった。俺は園長夫妻に酷く可愛がられたせいか、小学校高学年ぐらいまで日曜の礼拝には欠かさず教会に通っていた。その後、園長夫妻が渡米し、自然に足が遠退いてしまったけど。

「じゃあ、イブの日の放課後、会ってもらえる」
 マリは目を輝かせた。
『2学期の終業式の日だな。わかった。この店で待ってる』
「本当、嬉しいわ。今日は、これからちょっと用事があるから、お先に帰るね」
 マリは軽く手を振りながら店を出て行った。

「ありゃホントにびっくりするぐらいの大変な別嬪さんだわ。ライバルがどんどん出てきそう。そんな恋人からクリスマスイブのお誘いね。見せつけてくれるねえ」
 ママさんは俺のコップに水を注いでいる。ただ目が笑っていた。
「キタノさん、あんたもプレゼントぐらいは用意しないとね。向こうも今ごろ、買い物をしてるんじゃないかね」
『ママさん、女の人へって、どんなものをプレゼントしたらいいんだ?』
 俺は生まれてから一度も女性に物を贈ったことなどない。
「困った人だね、あんたも。まあ、コーヒーカップとかブローチとかが無難かもね。それより彼女、うちでバイトしてくれないかなあ。あの子目当てのお客が激増して大繁盛すること間違いなしだわ。キタノさん、あんたからも頼んでみて」
『絶対に無理ですよ。彼女は受験生で忙しいし、難関の学部を志望しているんだから』
「そういうきみも受験生じゃないか」
 ママさんは、大笑いしながらカウンターへと戻っていった。

 俺が店を出てすぐにプレゼント用にコーヒーカップを購入したのはいうまでもない。この頃から主体性がなかったと思われる。




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