タンデムツーリング




裏磐梯五色沼



 裏磐梯は紅葉には少し早い。だが秋の行楽シーズンには違いはなかった。俺はマリを後ろに乗せ、タンデムで2時間ほど快走する。雲ひとつない晴天で陽射しがとてもきつかった。実は先日、マリにバイクの話をした後、ツーリングに連れていってとせがまれ、断りきれなくなった。というよりマリなら連れていってもいいかと場の雰囲気で了承してしまったのだ。

 やがて五色沼のパーキングでマシンを停めた。
「気持ちよかった。わたしバイクに乗せてもらったの初めてなの。本当にさっぱりしたわ。キタノくんありがとう」
『どういたしまして。でも、たいしたことはしてないよ』
「わたしね、一度でいいから好きな人のバイクの後ろに乗せてもらい綺麗な湖に連れていってもらうのが夢だったの」
 マリは息をはずませながら、俺の顔を見つめていた。

『つうことは俺が好きな人になるわけか?』
 思わず口にすると
「なんか照れくさいわ。今、言わなきゃダメ?」
 にこにことしながら呟いた。
「ところで、このバイク、CBX400Fっていうのね」
 サイドカバーにシールが貼られている。

 余談ではあるが、CBX400Fは、後年、二輪史にその名を刻む伝説的な名機となることは、この時点で知るよしもなし。

『そう、ホンダの最新鋭の人気車種だ』
「赤と白のカラーリングがとても素敵だわ」
『ああ、でも俺には少し派手かな』
「そんなことないよ。キタノくんによく似合っているわよ」

 五色沼も美しい水面(みなも)がきらきらと輝いている。
「凄く綺麗な湖ね。あっ、湖じゃなくて沼か。この水の色って琥珀色っていうの。とっても神秘的な雰囲気だわ」
 いたく感動している様子だった。
『五色沼って、この毘沙門沼ばかりじゃないんだ。磐梯山の噴火でできた10数湖の神秘的な湖沼群の総称なんだよ。この先の桧原湖畔までの散策路を歩くとたくさんの不思議な色の沼が見れるぜ。天候によって色の変わるとこからその名がついたらしい』
「へえ〜、博識ねえ。さすが読書人」
『実はな、昨日、図書室で調べたニワカ知識なんだ』
「あなたってやっぱり、おもしろい人なのね」
 よく光る魅惑的な眼差しで微笑んでいた。

「あの、これ食べて。お口に合うかちょっと心配だけど早起きして作ってみたの」
 ベンチに座るとマリが山行用のサブザックからサンドイッチを取り出し勧めてくれた。
 遠慮なくいただくと、卵やツナ、ハム野菜などバラエティにとんでいて実に美味しい。多分、彼女の人柄なのだろう。本当に適度なバターとマスタードの配合で丁寧に調理されたサンドイッチだと深く感じ入ってしまう。

『ところでさあ。マリって医学部狙ってるんだよな。歳を越せば入試が始まるよ。こんなことしていて大丈夫なのか』
「その言葉そっくりあなたに返すわ。わたしは毎日、こつこつと受験勉強してるけど、あなたこそ平気なの」
『いや、それがその・・・』
 痛いところを突かれた。俺は、彼女の水筒から注いでもらった熱いレモンティをゆっくりと飲んだ。

 俺は私立文系志望なので入試科目は英・国、選択は磐石の自信のある日本史だ。苦手な理数系の科目がない。つまりそれほど切羽詰った状況ではないと自分では安易に考えていた。
「今夜から、しっかり勉強することね」
 マリは俺の顔を見つめながら吹き出した。

 その刹那・・・

 マリは激しく咳き込んでしまう。

『大丈夫か』
「え、ええ。笑ったら気管まで直接空気が入っちゃったみたい。でも本当に平気よ。これでも登山で鍛えてきたんだし」
『もうそろそろ帰ろうぜ』
「え、もう戻るの。つまんない」
 渋々マリはマシンに乗り、俺の革ジャンへ腕をまわした。
『帰りのコーナーリングも流れに逆らわず、俺の体に自然に合わせてくれ』
「自然に?」
『そう、自然に』
「なんだか奥が深いのね」
 俺は、マリの声を背後に聞きながらスロットルをあげた。
 そして、等間隔のシフトアップを繰りかえしながら加速していく。やがて全身に風の匂いが心地よく吹きつけ、最初の高速コーナーへバンクし始める頃、マリは俺の背中を強く抱きしめてきた。俺はメットの中で吹き出してしまった。どうやら、彼女は自然の意味が理解できなかったらしい。

 2時間ほどのローリングの旅を終え、地元の街へ戻った。そして指示通りに動くとマリの自宅前に辿り着く。
「ちょっと寄っていかない」
『いや、遠慮しておくよ』
「家には母が居るけど気にしないで」
 ほとんど言われるままにマリの家の玄関まで来てしまった。マリの家はこじんまりとした新築の一軒家だがモダンなセンスが漂っていた。表札にはローマ字で「MIZOGUCHI」と記されている。

「ただいま」
 ドアが開くとマリの母親と思われる女性が立っていた。
「おかえり、ずいぶん早かったわね」
 毅然としていて、マリによく似た理知的な美しい人だった。でもぞんがい目元に柔和な雰囲気も漂わせている。
「キタノくんよ」
 マリは俺の顔をチラッと確認するような仕草を見せた。
「まあ、あなたがキタノさん。マリからお話しはよく聞かされてますよ。ようこそ。娘がお世話になっているんですって。どうぞお上がりください」
『初めまして。こちらこそお世話になっています』
 俺は、すっかり恐縮してしまった。

 マリの部屋に通される。もちろん俺は女性の部屋に入ったこともないのだが、実に小奇麗に整理されていた。壁にはかつて踏破してきた山々の山頂での額入りの写真などが飾られている。本棚にはヘッセやヘミングウェイ、ミッチェルの文学集が並び、その横には医学部志望の彼女らしく専門的な医学の本も立っていた。まるで、センスのよい大人の部屋のようだった。

『やっぱり体の具合が悪いのか』
 小さなテーブルの上には、なぜか薬袋が置かれていた。
「ううん、そんなことないよ」
 マリは慌てて薬袋を机の引出しにしまった。
「恥ずかしいから、あんまりジロジロ見ないで」
 ふとマリの姿が写る時計台の写真が目に留まる。
『これ、札幌の時計台だよな』
「行ったことあるの」
『いや、ないけど日本史のサブテキストで見たことある』
「実はね、わたし、中学まで札幌に住んでいたの。父の仕事の関係でね」
 後年、札幌の時計台を見るたびにこの日のマリの姿が彷彿し、切ない気持ちになった。
『へえ〜北海道か。一度はツーリングしてみたいもんだな』

 なんて呟いていると・・・

「こんなものしかなくて、ごめんなさいね」
 マリのおかあさんが紅茶とクッキーを運んできた。
「あっ、なんなら、おビールにします?お寿司の出前もたのんで」
『そ、それは困ります』
 俺は絶句してしまった。
「おかあさん、いったいどういうつもり。彼は高校生だし、バイクで帰るのよ」
 マリは母親を呆れた表情で睨みつけた。
「ばかねえ、冗談に決まってるじゃないの」
 片手で口を押さえながらくすくす笑っている。
「ごめんね、キタンくん。うちのおかあさんって、いつもこんな調子なのよ」
『いや、楽しいおかあさんでよかったな』
 俺の目は点になっていた。

「それより、マリは一人娘なもので、すっかり甘やかして育ててしまいましたの。我がままを言ってキタノさんにご迷惑をおかけしてないかしら」
『そんなこと・・・自分の方が迷惑をかけているかも知れません』
「いえいえ、ただマリが学校のお友達を連れてくるなんて正直、嬉しいのです。転校もさせてしまい、ますます・・・」
「もういいから、おかあさんは戻って」
 マリの母親は、はいはいと言いながら立ち去った。

「あなたって、いつもどんなことを考えているの」
『なんだよ、いきなり。そう改めて訊かれると思いつかないよ』
「どんな女の子が好みなの」
『好み?今まで考えたこともない。俺は仮にも硬派キタノと呼ばれている男だ』
 本当は目の前にいるよといいたいのだが、とてもとても口に出す勇気などない。そして俺は赤面してしまった。

「キタノくんて純情ねえ。耳たぶまで真っ赤よ」
 マリは腹を抱えるようにして笑っていた。彼女の白いうなじがとても綺麗だった。
『もしかして、親子で俺をからかってたのか』
「ごめん、ごめん、あなたって、不器用というか、まったく冗談が通じない人なのね」
 マリはもう涙をこぼしながら笑い転げている。
 そして彼女は俺の腕の中へいつの間にか身をまかせてきた。俺は逆にマリの屈託のない明るさにある意味、新鮮なときめきを感じた。

 その後も他愛もない会話を交わし、俺はこの場を辞すことにする。
「キタノくん、今日はね、とっても楽しかった。いいえ、本当に嬉しかったの。また遠慮しないで遊びに来てね」
 マリは無邪気な笑顔で話しかけてきた。
「キタノさん、今日は本当にありがとうございました。これからもマリと仲良くしてやってくださいね」
 おばさんが驚くほど真摯な表情で俺になにかを訴えかけてきたような気がする。スロットルを握る俺の脳裏へ妙に不自然な違和感が漂っていた。

 道は月明かりに照らされ、どこまでもまっすぐに伸びていた。そしてフォー・インツウ・ワンのサイクロンからは軽快なサウンドが鳴り響いていた。




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