大志


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 よく寝た。

 あたりを見渡すと俺ひとりだ。ツノダさんは?

 サッと着替えて表へ出ると俺のCBをメンテしてくれている。わっバイク屋さんに見てもらえるとはラッキーだぜ。

『おはようございます』
「おはよう」
『すいません、俺のバイク、メンテしてもらって』

「チェーンが弛んでいたんで張っといた。それとチェーンオイル、ロングツーリングの時は欠かしてはダメだ。特にこんな雨模様が続くとオイルはすぐ流れる」
『分かりました。ありがとうございます』
 さすがに痛いところも指摘されたが、とてもありがたい。

 雨はかろうじて降ってないが、今日はどこへ行こう。暗い空を見つめていた。
「今日は雨さえ降らなければ層雲峡で野営するつもりだ。もし、よかったらキミもどうだ」
 ツノダさんは誘ってくれた。

 層雲峡、ガイドブックに掲載されていた有名な観光ポイントだな。大きな岩があり、滝が流れ出している景勝地。流れに従うまでだ。
『よろしくお願いします』

 先客の残してくれていた例の食料の中から、カロリーメイトと缶コーヒーを朝食替わりにいただきマシンを暖機した。CBのエンジンはとても健康そうなアイドリングを続けている。

 RH前を撮影し、ツノダさんのマシンに続いて出発だ。霧のR40を南下し、旭川方面へと向かう。途中、和寒という町を通り抜けた。「わっさむ」、おもしろい地名だ。いかにも寒そうだし。事実、このあたりの冬は日本で一番冷えるらしい。

 旭川へ突入。都市部だけあって道路がかなり混んでいた。久しぶりに渋滞を経験した。しかし道幅が広い。区画整理が行き届いた街だと思った。

 R39へ左折。郊外へ向かうと独特の牧場の匂い(肥料のような)が鼻をつく。北海道内陸部の匂い。決して嫌いではない。むしろ懐かしい香りだ。

 一面に牧草地が広がってきた。道路に沿うように石狩川の清冽な流れも目に入り、非常に心地よく走りを楽しんだ。

 石狩川をさらに上流へと辿るといつの間にか神奈川県とほぼ同じ面積を持つ、広大な「大雪山国立公園」へ足を踏み入れていた。天気はかなり回復してきて暑いくらいの陽気となってきた。

 やがて巨大な峡谷が目に入ってきた。層雲峡だ。その昔、アイヌの人々は「ソウウンペツ」と呼んでいた。滝の多い沢という意味だ。

 とにかくグランドキャニオンのような大絶壁には、ただただ嘆息するばかり。銀河の滝、流星の滝などいく筋もの滝が流れ出ている。しかし、銀河?流星?打ち上げ花火みたいなネーミングだな。思わず吹き出してしまう。でも落差100メートルは凄い。柱状摂理というらしい。まさに圧巻だ。

 駐車場は、観光バスでごった返している。観光客のあまりの多さに辟易したらしいツノダさんが
「旧道へ行ってみないか」
 と言いだした。

 とにかく北海道の知識が皆無に近い俺は流れに従うのみだ。ツノダさんの後へ続く。

 橋を渡り、大函トンネル旧道へ突入した。実はここは観光客がこない穴場的存在だ。地元の人から「お化けトンネル」と恐れられている心霊スポットなのだ。

 このトンネルは網走刑務所の囚人の手によって掘られたらしい。重労働と栄養失調で多くの囚人が命を落としたとか。受刑者のご苦労へしばし手を合わせ静かに引き返した。

 そろそろ今夜のネグラへ向かうとツノダさんは言い、層雲峡野営場へ入った。どうやらマシンを停めてから少し歩かないと行けないようだ。大雪山登山のベース的なキャンプ場だが、誰も居ない。後年は協力金と称して300円程度支払うようになったらしいが当時は完全無料だ。

 ツノダさんとふたりでテントを設営した。さすがにふたりだとあっという間に設営が完了する。そして俺はジャックダニエルを胸ポケットからだして一息ついた。

 ツノダさんも持参したビールをガンガン飲み始めた。そして彼は飲むと饒舌になる。
「エキノコックスって知ってるか」
『いえ、知りません』
「北海道の風土病なんだ。キタキツネや犬から感染しやすい。だから北海道で生水を飲むのは厳禁なんだ。潜伏期間は実に15年。感染したら初期的な段階で外科的な処置を施さないと死亡率100%だ。道東の小学校あたりでは年に一度定期検査しているよ。むやみにキタキツネに触れるのもアウトだ」
『マジっすか、俺は既にあちこちで飲んでるかも』
 まあ、17年後の今も発病してないんで大丈夫か?な?

 ツノダさんの話はさらに続く。
「俺はオフロードのレーサーなんだ。休みがあれば各地を転戦する。ツーリングもダートが主だな」
 ツノダさんは、心地よく酩酊しているらしく、とても楽しそうだった。

「熊にも出くわしたよ。あんなでかい図体して蝦夷鹿を捕らえていた。時速60キロで走れるし、木登り、水泳も得意のスポーツ万能選手なんだ。人間なんかとても敵う相手ではない」
『そ、それじゃあ、最強の動物じゃないですか』
「たぶんな」

「熊ってさ、猫科だから毛皮になった鹿の死体をいたぶって喜んでいたよ。オレは、完全にブルってアクセルターンで逃げ帰ったが。ワハハハハハ」

 とにかく熊って怖いんだ。そればかりが意識のなかに深くインプットされていた。

 北海道は凄いところだ。楽しいが怖い命がけなことも多い両刃の剣なんだな。

 昨夜に引き続き俺もおそらくツノダ氏も記憶が消えたと思う。
「ガリガリ、ガリガリ」
 不気味な音で目覚めた。なにかがテントをかじっている。そういえばテントは大人ふたりで目一杯なんで荷物を出しっぱなしだ。喰いかけの缶詰もそのまま。

 ヒグマが出た。

 とにかくツノダさんを起こそう。
『ツ、ツノダさん。で、出たみたい。ヒグマ・・・』
「うっ、うるせーぞ」

 ダメだ。ツノダさんは寝起きが悪過ぎる。

 どっ、どうしよう。 

 どのくらい経っただろうか。俺は恐怖に震えながらただただジット耐えていた。

 やがてテントの一角が崩れ落ちた。どうやらポールの付け根を喰いちぎられたらしい。
「ギャー」
 俺は、もう絶叫をあげるしかない。

 この場面でようやくツノダさんが目覚めた。
「なんだ?この騒ぎは?」
 ふたりで恐る恐る外へ出ると・・・

 犯人は数頭のキタキツネだった。

 テントを喰い破られたツノダ氏は棒を持って半狂乱となり、ひたすらキタキツネを追い回している。

 そんな光景を俺は呆然と眺めていた。 


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