大志


10 


「テントは捨てるしかねえなあ」
 不機嫌そうにツノダ氏はつぶやいていた。

 昨夜未明、ガムテープで応急処置はしたが、寝ようとするとポールが吹っ飛び、テントが崩れる。二度ばかり固定する努力はしてみたが徒労に終わった。最後は崩れた状態で構わず寝てしまった。

 それにしても睡眠不足でだるい。空もどんよりと曇っていた。

 お湯が沸き、コーヒーを飲む頃になるとツノダさんの機嫌も直ってきた。
「しかし、キタキツネの野郎には参ったな。棒で一矢報いてやろうと思ったが逃げ足の速いのなんの。ワハハハハ」

 ツノダさんはこのあたりで林道へ入るという。そろそろお別れだな。

 テントを撤収し、完璧に後片付けをする。そしてツノダさんへ別れを告げた。
『本当にお世話になりました』
 笑顔のツノダ氏は
「キタノくん、就職活動がんばれよ。またいつか会おうな」
 と言い残し立ち去って行く。

 俺は後姿をずっと見送っていた。青のジャケットがマシンへよく調和していて光彩を放っていた。俺もそろそろ出発しよう。

 今日は目的地を珍しく決めていた。長駆「襟裳岬」を突くつもりだ。

 森進一の「襟裳岬」、俺はあの歌がとても好きだ。理由はただのそれだけ。けどそんな旅があってもいい。

 R273のワイディングを小雨の中、正確にバンクさせていく。自信と余裕があればまずは失速することなどない。おまえは優秀なマシンなんだと俺は心の中でCBへ語りかけた。その言葉に呼応するかのごとくCBのエンジンはうなり声をあげ吠えまくる。

 フルブレーキング、シフトダウン、スローインファーストアウト。完璧なコーナーリングだ。

 そして瓜幕から士幌までの直線17キロで俺は臨界点へと達した。

 17キロも続くストレート。凄い。遥か地平線へとまで続く。街並みを貫くR16は26キロの直線にも及ぶが、ここへ比べると比較にならないね。とにかく両脇に牧場があるだけ。若干のアップダウンがあるが、見通しは実に良好だ。かなり穴場のルートだと確信した。

 まったく休憩は入れてない。ただひたすらライディングへと徹した。

 ようやく太平洋側の街、広尾へ入る。太平洋、なんだかとっても懐かしいし久しぶりだ。そして試練の道へと突入していく。

「黄金道路」
 山や岩を削り、海を埋め、35年の歳月と169億3940万円という巨費(現在なら天文学的な額)を投入して造られた、まさに黄金の道である。未だに悪天候に左右され、工事中が耐えないらしい。

 とにかく前方が見えん!

 フレベの滝(アイヌ語でフレベは鯨)。つまり鯨が打ち上げられていた付近の滝を通過する頃、激しいガスに覆われてきた。トラックなどのタイヤからもシールドへ激しくドロをはねつけられ、さらに視界をさえぎられる。

 海も大荒れだ。バイクごと何度波しずくを浴びたことか。

 そんな苦労を克服し、襟裳岬近くへまで到達する。安堵感へヒタっていると2匹のキタキツネだ。可愛い。だが例のエキノコックスの話を聴いたばかりだ。触るのはやめて置こう。

 彼らはずっと俺の方へ視線を送ってくれていた。バックミラーでキタキツネをもう一度拝んで襟裳岬へとスロットルをあげた。

 襟裳岬の駐車場へ入った。

 そしてゆっくりと岬まで歩く。やっぱり歌詞の通り、なにもない・・・もとい、なにも霧で見えない襟裳岬だった。

 遥か後年、NHKの「プロジェクトX」なる番組で、この歌詞に反発した住民が一念発起し、ブナなどの雑木の植林に力を入れ、元の潤沢な漁場へと回復させたとか。

 いい話だ。

 襟裳岬からの南下を開始した。

 高級昆布、「日高昆布」の漁場を左手に見ながらサラブレット国道をひた走る。斜めに傾いた夕陽もかろうじて差してきた。

 浦河、このあたりが限界だ。宿を探そう。

 するとすぐに「釣り民宿」の看板が目に入った。

 マシンを停め、中に入ると中年の角刈りの男が煙草をふかしていた。
『今夜、泊まれますか』
 と聞いた。
「・・・・・」
「ああ、いいよ」
 と男は少し間のあった後に応えた。

 少し、いやかなり怪しい。


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