大志


8 


 ちっ、雨だ。

 オホーツク国道を順調に北上していた。しかし飽きてくるなあ。最初はオホーツク海を眺望しながら走るのがとても快適だったが、これだけ単調な風景が続くと眠くなってくる。

 追い討ちをかけるようにしとしとと雨が降ってきた。宿のおばさんが言った通りだ。

 枝幸を過ぎたあたりで道路脇へマシンを停めた。煙草に火をつけ、カッパを取り出した。体も冷えてきたのでマシンのマフラーへかじかんだ手を近づけしばし暖めた。

 とりあえず最北端「宗谷岬」へ行ってみるか。

 浜頓別、猿払と寂しそうな北の街を通り抜け、原野の中を突っ走る。時折、すれ違うライダーとお互いにピースサインをかわすが、ほとんどがソロのツーリストばかりなのは何故だろう?

 ボーっと操縦しているうちに宗谷岬到着。

「なんだこりゃ?」
 これが宗谷岬?岬というにはなだらか過ぎねえか。

 とは言え、日本の最北端には間違いないだろう。ここまで来れば俺の旅の使命は果たした。なんて気にもなる。

 そしてライダーの数もさすがに多い。ライダーは端っこを好む習性があるというのが俺の持論だ(後年思ったことだが)

 せっかくだから記念写真を撮ろうと北極星をイメージしたという最北端の碑へ向かった。観光バスで来ている旅行者も多いので、ほとんど順番待ちだ。

 俺の前に居た家族連れのオヤジが
「おい、にいさん。悪いけどシャッター切ってくれないか」
 と言ってきた。奥さんと3歳くらいの女の子と一緒だった。
『いいッスよ。その代わり俺のカメラもお願いします』
「交渉成立だな。ワハハハハ」
 お互いのカメラで写真を撮り合った。

「にいさん、ライダーだな。今日は寒くて大変だろ。オレの車の中で少し休んでいかないか。飯は喰ったんか。一緒に昼ご飯にしない」
『弁当は持参してます』
 断る理由はない。トヨタのワゴン車の中へお邪魔した。埼玉から来ているというマツムラさんというご家族だ。家族旅行らしい。

 車の中はとても暖かで心地よかった。俺も民宿のおばさんに作ってもらったおにぎりを広げると奥さんが熱いお茶をカップに注いでくれた。奥さんは旦那さんと違い寡黙な人だが終始ニコニコしていて、とても感じのよい方だ。

 ご飯を食べながらマツムラさんが
「あんたらのことミツバチ族っていうんだよな。オレは、その前の世代なんだ。カニ族って知ってるか」
『はあ、ネーミングだけは』
「オレは若い頃、カニ族だったんだよ。でっかいリックを抱えて、北の大地を汽車で街から街へと移動する。そう、カニみたいな格好でな。ユースホステルや時には駅にも泊まったもんだ」
 奥さんがメロンを切り始め、ひとつ俺にも勧めてくれた。
『すいません。いただきます』
 甘くて実に美味しいメロンだった。

「いい思い出だよ。大事なものまで拾ったしな」
 マツムラさんがニヤリと笑った。
『大事なものを拾った?なんです、それ』
「キミの横の座席に居るよ」
『おっ、奥さん?』

「ワハハハハ、北海道の旅で捕まえたんだよ。うちの女房」
 奥さんが、もう止めてとばかりにキッとマツムラさんをにらんでいた。
『素敵な話しですね』

「ところで、これからどこに行くんだ」
『はあ、漠然と礼文とか考えているんですが』
「ワハハハ。礼文か。おもしれえぞ。桃岩荘というユースがある。人生観が変わるかもしれないな。実は女房と知り合ったのも桃岩荘のトレッキングなんだ。ワハハハハ」
 マツムラさんは実に楽しそうに若かりし頃の思い出をマシンガントークし続けた。
「別名、愛とロマンの8時間コース。その後も密会を重ねて結ばれたんだよ。ウヒャハハハ。そういうの結構多いらしいよ。レブンウスユキソウとか高山植物の名前を覚えていくと役に立つ。ププ。花言葉は『尊い記憶』。キミのようだね・・・なんてな。ウハハハハハ」
 なんだか嵐のように話す人だ。

「このスケベ」
 奥さんはマツムラさんの頭を一発こずいた。

 女性との出会いは別として礼文、行きてえ。その8時間コースとやらに興味が湧いてきた。

 マツムラさんご一家へ礼と別れを告げ車から出た。すると奥さんが追いかけて来て、おにぎりやらお菓子やらたくさん詰まったビニール袋を俺に持たせた。

「ごめんね。うちの旦那おしゃべりで」
『いえ、楽しかったです。こんなにお土産いただいて返ってすいません』
「気をつけて旅してね」
 と言い、彼女は引き返していった。

 雨の中を稚内に向けて走る。海上は霧で真っ白だった。晴れていれば樺太(サハリン)が見えるそうだが、人気のない海岸ばかりが目に入る。

 そして稚内の街へ突入。人影もまばらだ。とりあえずフェリーターミナルへ向かった。すると礼文へのフェリーは悪天候のため全便欠航。ガ〜ン。

 これからどうしよう。

 サロベツ原野も見たいがこんな天気の中、ダートの道道109(後年の道道106オロロンライン)を走りたくない。当時はまだ全線舗装ではなかった。

 礼文への道が閉ざされた以上、R40でサロベツの内陸部を南下するしかないな。

 雨のR40をひたすら南下した。自衛隊のトラックが50キロの法定速度を遵守しながら巡航していた。それを一気に追い越すも小用をたしたくなり、バイクを停める。また追い越して、撮影ポイントでまた停車する。そして自衛隊のトラックが抜いて行く。その繰り返しだ。運転手さんごめんなさい。

 名寄へ入った。もうあたりは暗くなっている。

 ぜんぜん聴いたことがない街だった。スタンドで給油していると従業員が、
「駅前に市で管理している無料のライダーハウスがあるよ」
 と教えてくれた。

 流れに逆らうまい。丁度いい。駅前へ向かった。

 巨大なテントのRHへ入ると先客が1名居るだけだ。とにかく挨拶して置こう。
『横浜のキタノです。よろしくお願いします』
「千葉のツノダです。こちらこそ」
 真面目そうできちんとした方だった。26歳のDT(オフ車)乗りとか。バイク屋へ勤めていると自己紹介した。

「横浜なら近いね」
『そうですね。東京湾フェリーだとほんとすぐだし』

「さっき冷蔵庫開けたらツマミがびっちりあったよ」
 どうやら宿泊者が残してくれていたらしい。
「いただくか」
『多分、そのためにあると思います』
 ふたりで酒と例のツマミをいただきがら歓談した。

「キタノくんは、もともと横浜なの?」
『いえ、生まれは会津です』
「会津ってさ、意外にツーリングポイントが多いよね。奥が深い」
『俺は林道はやらないんで、ダートのことは詳しくは判んないんですよ。でも裏磐梯ならよく走ってました』
 なんて夜遅くまでツーリング談義で盛り上がった。

 そして、ツノダさんと俺はすっかり酩酊して記憶が消えていったようだ。

 外はやっぱり雨だった。


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