大志


11


「とにかく中へ入んな」
 角刈りはそう言いながら煙草を消した。

 宿は釣り客で満杯のようだった。

 船頭もしているというよく日焼けした顔のオーナーも現れた。
「ワリーな、今日は釣り客でいっぱいでロクな部屋がねえんだ。その分格安にしておくからよ。勘弁な」
 人のよさそうな笑みを向けてくれた。

 角刈りとオーナーの後ろへ続き、2階へ上がった。板張りでテレビもない部屋に入る。しかし殺風景だな。
オ:「布団はここだろ」
角:「違うよ、ここだ」
オ:「こっちがいいに決まってる」
角:「おかしいだろう?こうだ。なに考えてんだか」
オ:「あっ、その言い方ねえべ」
角:「だからなんだ?」
オ:「なんだとお」
 ふたりは、布団のセッティング程度の問題で取っ組み合いのケンカへなりかかった。

『俺は寝れればいいんだ、客の前でケンカは止めてくれ』
 と怒鳴ったら、ようやくふたりは収まった。なんつー宿だ。

 天気は回復してきた。なんにもないけど窓の外は海が見える。綺麗な陽光がキラキラと海面に反射していた。これだけで充分だ。胸の内ポケットへ忍ばせてあるジャックダニエルのミニボトルを取り出し一口飲むと全身へ心地よい酔いが回ってくる。

 やがて夕食タイムとなった。板前の角刈りは一生懸命包丁をふるっていた。酔っ払いの釣り客の喧騒のなか俺にビールを持ってきた。
「釣りの連中は明日早えから酒飲み騒ぎはジキに収まるよ」
「ビールでも飲んでな」

 ビールを飲んで飯を喰うといくら若い俺の腹とはいえパンパンだ。
「焼酎にするかい?」
 酔っ払いの釣り客が部屋に引っ込み、あたりが静かになる頃、角刈りが熊焼酎を持ってきた。
「ここは釣り宿だかんな。早いんだ。客もオーナーももう寝ちまったよ」
 と自ら焼酎をコップになみなみと注ぎお湯と梅干で割って豪快に飲んだ。

「さっきは、にいちゃんの前でオーナーともめて悪かったな」
『いや、気にしてませんよ』
「そうか、ならいいんだけどよ」
 根っからのお人よしなんだろう。悪戯をした子供のようにすまなそうな顔をしていた。

「どっから来たんだ?」
『横浜の学生です』
「そうか。じゃあ、生まれも横浜かい?」
 北海道の田舎では細かいことをよく聴かれる。別に嫌でもないし、隠すこともない。
『生まれは会津若松です、親父が転勤族でその後あちこちへ住みました』
「会津っぽか。じゃあ酒はいけるな、ワハハハハ」
 と言いながらまた酒を注がれた。

「オレは熊本の出だ。酒ば大いに愛しとる」
 角刈りの話すアクセントが九州弁になっている。
「中学を出てな、まっすぐ料理の世界に入ったんだ。最初の店で7年踏ん張った。でも、その後は堪え性がねえんだろうな。すぐウエと揉めてな。転々としたよ。気がついたら北の大地、それも田舎町で包丁握ってるよ。女房にもずいぶん前にアイソ尽かされて逃げられた。ワハハハ」
 そしてまた一杯酒を注がれる。いい加減酔ってきた。

「ところでバイク、ホンダのナナハンだな」
『はあ・・・・・』
「オレもな、若い頃、メグロってバイクに乗ってたよ、かなり無理して買ったんだ。まあ、高級車だな。ところが免許を失効しちまった。飲酒運転だ。にいちゃんもくれぐれも気をつけろよ」
 角刈りは、グイグイ酒を煽り、ベロンベロンに酔っている。俺は眠い。
「にいちゃん、気にすんな、この酒は全部オレの奢りだ」
『いや、俺はただ酒があまり好きじゃないんですよ』
「若いくせに遠慮すんなって」
 また焼酎を注がれた。もうほとんどストレートだ。

「ツーリングって言うんだろ。いいなあ、羨ましいぞ。オレもそのツーリングっていうのしてみてえピースサイン、ここからいつも見てるけどいいなあ」
 角刈りがふと少年の眼になった刹那、バタン・・・
「・・・・・」
 角刈りは、そのまま食堂の座敷の部分で寝てしまった。

 俺も電灯を落とし、静かに部屋へ戻った。波の音が部屋にまで聞こえる。ザブ〜ンという響きを数回数えるうちに眠りに落ちる。

 翌朝目覚めると人気がない。オーナー始め釣り客たちは、早朝に出航したらしい。角刈りのつくったホッケがメインの朝食は実に美味かった。

 角刈りに精算をした。本当に昨夜の酒代は角刈りのサービスだった。
『ちょっと安過ぎじゃないですか?』
「いいんだよ。これ領収書ね」
 丁寧に封筒に入れている。失礼ながら、この手の安宿でそこまでしなくてもよいことだろう?まあ、とにかく封筒を胸の内ポケットへ忍ばせた。

「オーナーもにいちゃんへくれぐれもよろしくって言ってたよ」
『こちらこそ、お世話になりましたとお伝えください』
 角刈りに見送られ出発した。目指すは北の大都会「札幌」だ。

 浦河国道を南下中、ドライブインでトイレ休憩をとる。ついでに胸ポケットの封筒の中身を確認した。領収書なんかじゃない。

 角刈りのメッセージが添えられている。下手な字だが、いかにも精一杯丁寧に書いたという雰囲気が筆跡から漂ってくる。
「にいちゃん、ツーリング、オレの分までがんばれよ。オレもいつの日か、そのツーリングやってみるな。そんときゃ、にいちゃんの仲間に入れてくれよ」
 そして千円札が挟まっている。
「少ないが、これで札幌ラーメンでも喰べろや」

 カッコ良過ぎるぞ、角刈り。

 俺の目からは自然に涙がにじんできた。

 十数年後、この付近を通過した時、釣り宿は跡形もなく消えていた。


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