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 赤岩着。ここが帰りの船、つまり釣り船のおやじとの待ち合わせ場所だ。そしてシリエトク手前最後の番屋では昆布干し作業で大忙しである。

 邪魔にならないように番屋前を通過。延々と海岸を歩いた。空からは灼熱の太陽が降り注ぐ。

 丈の長い植物の繁る丘を登りきると・・・

 巨大な草原が広がり、そして無人の知床岬灯台が威風堂々とそびえ立っている。

 ついにシリエトクの一部に到達した。夢にまで見た光景だった。

「すべてキタノさんのお蔭です」
 リョウの瞳はうるんでいる。
『なにをいってんだ。すべておまえ自身の足でここまで辿り着いたんだよ。それより鹿の角だ。草原に転がっているのが一番多いそうだ。突端まで探しながらいこう』
 道なき大草原を歩く。

 すると・・・
「あった。ありましたよ。鹿の角」
『よかったな』
「ええ、これでルイとの約束が果たせます」
 その後も鹿の角が落ちていたが、荷物になるし1本で充分とのことなので拾わずに歩く。

 そして200X年8月7日11時00分、俺たちは全行程2泊3日を要してようやく知床岬先端まで足を踏み入れた。

『やったなあ・・・』
「ええ、ついに」
 俺の旅の約束された場所にようやく今立った。シリエトク(アイヌ語で大地の突端)まで到達したのだ。

 その瞬間、

 ゴォォォー・・・

 大きな雷鳴のようなものが鳴り響く。

 もの凄い突風が吹き荒れ、岬の草原を波のように揺るがしている。

 そしてほんの数秒で止んだ。

 空は何事もなかったかのように一片の雲もなく晴れ渡っている。

 青天の霹靂というやつか?

「なんだったんですかね?」
 リョウは驚いて目を丸くしていた。
『ここは日本最後の秘境シリエトクだ。まあ、なにが起こるか想像もできないってことだな』

 俺は一応、そういうことで自分の頭の中を処理しようとした。だが、俺が旅に出ると異様に研ぎ澄まされる感覚の一部が微かに断片的に感じとったことは、信号?合図?なんらかの意思によるもの?口では上手く説明できないので考えるのをやめにする。

「あ、そうそう、これを埋めなくちゃ」
 リョウは内ポケットから小さな袋を取り出し、中を開けると、
『こっ、これは・・・』
 可愛らしい、いや控えめな感じだが目を奪うほど美しい女性のスナップだ。
「ルイの写真です」
『綺麗な彼女じゃないか。よほど知床岬まで一緒に来たかったんだな』
「えっ?いえ、ただ、なにか一言ぐらいメッセージを添えて欲しかったと思って」
 リョウは砂を掘り、スナップを袋に戻して丁寧に埋めている。
「なんだかルイをここに残してしまうようで、少しヘコみます」
『本人がそうしてくれって言ったのなら、喜んでくれるよ』
「ならいいんですが」
 暫くリョウは元気がなかった。

 やがて、
「アブラコ湾で湧水を飲みましょう」
 リョウが明るい声を出したので、海岸に降りてみる。

 カロリーメイトと干葡萄で昼食をとり、湧水をたっぷりと飲んだ。そして俺は長い時間海を眺めていた。目に焼きつけるように。もう生涯、シリエトクには来ない、いや来れないだろう。

 やはり、それを考えると寂しくなってくる。

『よし、引き返すか』
 俺は岩場で寝転んでいるリョウを促し、帰路につく。

 俺は何度も何度もシリエトクを振り返りながら歩いた。反面、約束を果たしたリョウは、もう振り返ろうとはせず、しっかりと前を見据えていた。リョウの目的は飽くまでルイとの約束を果たすだけのようだ。

 人それぞれのシリエトクは草原の風に揺られている。そして知床岬灯台はオホーツクを望みながら磐石の姿勢でそびえ立っていた。

 赤岩に戻ると雨が降ってきた。途中の難所で雨にやられなかったのは本当にラッキーだと思う。

 やがて迎えの釣り船が到着する。
「ライフジャケットを着けてくれ」
 船頭のオヤジがよく日焼けした顔で叫んだ。

 船が少しずつ赤岩から遠ざかり、沖に出ると凄い勢いで海上を走りだす。

 兜岩、念仏岩、ペキンノ鼻と悪戦苦闘の末、攻略してきたポイントをあっという間に通過して行く。

『自分たちは別の世界にでかけて、また戻ってきたのだ。生活のよろこびと、人間のよろこびをもって帰ってきたのだ・・・』
 俺は海上から見る知床の景色を眺めなら呟いた。
「えっ、なんです?それって」
『アイガー北壁初登攀者ハインリヒ・ハラーが描いた『白い雲』の一節が思い浮かんだんだよ』
「ぼくにはアイガー北壁とかはわからないのですが、2泊3日が凄く長い旅のように感じました」
 リョウがとても遠い目をしていたのが印象に残る。

 そして相泊の港に入った。
「本当にお世話になりました。なんだか自分に自信がついた気がします」
『いや、こちらこそ世話になった。ルイさんによろしく。またいつかどこかの旅の空の下で会おう』

 がっちりと握手を交わし、メアドを交換してリョウと別れた。

 俺もゼファーに跨り、スロットルを挙げる。

 雨上がりの穏やかな夕陽に照らされた相泊の港には、いつものように漁を終えた船が続々と入ってきていた。




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