北海道ツーリングストーリー
3
素晴らしい日の出だ。俺は朝陽で真っ赤に染まった港をひとり歩いていた。早朝の凛とひきしまった空気はとても心地よかった。 こんなに早い時間帯から売店のおばさんが、掃除やら片付けやらとくるくると立ち働いている。 「おにいさん、お茶を飲んでいきなよ」 俺へ向かって大きな声で叫んだ。まあ、お言葉に甘えるか。 『おはようございます。いただきます』 「どっから来たんだい」 おばさんが、茶碗に熱いお茶を注ぎながら訊いてきた。 『福島です』 恐らく今日もかなり気温が上がると思うが、朝の涼しい時間帯の熱いお茶はとても美味いし、爽快に目が醒めてくる。 「ずいぶん遠くからきたんだね。なにで旅してるいるの」 『バイクなんですが、今は羽幌に預けてるんですよ』 「きょうは、どうするの」 どうやら本州の旅人が珍しいらしく、質問の連発だった。 『天売島へ渡ろうかと思って』 「天売なら、観光船で海上から島を見ると綺麗だよ。その後、レンタルバイクで島内をまわると面白いね。ただ天売にはマムシがいるから気をつけるんだよ」 おばさんは、一杯茶はよくないと言いながら、また熱いお茶を注してくれた。 「なにせ島には冬になるとお客さんが、まったく来なくなるから、今が稼ぎ時だよ」 『島の冬は厳しそうだね』 「でも、この島は意外に冬でも暖かいんだよ」 『それは本当に意外だ』 「羽幌あたりで氷点下15度ぐらいまで気温が下がっても焼尻はマイナス3度程度にしかならないの。島のすぐ沖に対馬海流という暖流が流れている影響だよ。まあ、海にお湯が流れているようなもんさ」 おばさんは愉快げに笑った。なるほど対馬海流か、ひとつ勉強になった。 初めて来たのに、なんだか懐かしい感じの島だった。 おばさんに礼をいい宿へ戻る途中、俺の前を横切った動物がいた。犬か?いやあの尾はキタキツネだ。しかし焼尻にキツネがいるのかな? 宿では既に朝食の準備が出来ていてヨシエが待っていた。 「どこへいってたの。もう、わたしお腹が空いちゃって」 『わりい、わりい』 「ところで、今日はやはり天売へ渡るの」 ヨシエは、じっと俺の目を見つめていた。 『ああ、そのつもりだ。天売には泊まらないで午後には羽幌へ戻る』 「わたしは、もう少しこの島に残るわ。なんだか気に入っちゃったの。焼尻が」 『そうかい。ゆっくり楽しんでいくといい。なにせ俺は基本はキャンパーだから野営もしたいし、礼文の宿にも予約を入れてあるんで、そうのんびりはできねえんだ』 急にヨシエは無口になり黙々と箸を動かし始めた。そして食べ終わる頃、 「でも本当はね・・・」 『本当は?』 「い、いいの。なんでもないの」 ヨシエは無理に笑っていた。 『おまえ、変なやつだな』 俺は荷物をまとめ、民宿のおじさんやおばさんに礼をいって港に向かった。その道すがらヨシエが、 「礼文島の8時間トレッキング、楽しんで来てね」 努めて明るくふるまっているような、そんな口ぶりで話しかけてきた。 『ああ、世話になったな』 「わたしの方こそ、無理いってついて来ちゃって、ごめんね」 『アバウトだ。いいってことよ』 俺は天売行きの小さなフェリーへ乗船した。真夏の陽射しをいっぱいに浴びたヨシエは、大きく手を振っている。そしてなにかを叫んでいるようだ。しかし、ダメだ。聞き取れない。勢いよく船は沖へと向かっていく。ヨシエの姿はどんどん小さくなり、やがて見えなくなった。 『元気でな。いい旅を』 俺は心の中で呟く。 薄い緑の天売島が見えてきた。 焼尻島から約4キロの沖合いの天売島は周囲約12キロの小島で人口5百人。海鳥百万羽が共存している。焼尻側に面した東海岸に島の人々が暮らし、標高184メートルをピークに断崖絶壁が連なる西海岸が海鳥たちの営巣地なのである。 天売島に小さなタラップから上陸した。しかしなんとも暑い。ここも面白そうな島だと思った刹那、視線を感じていた。ここに来るのは正直初めてだし、間違いなく知り合いもいないと思う。 まあ、いいかっ。 その後の旅もそうだが楽観的な俺だ。とにかく西海岸の断崖絶壁を海上から楽しむために遊覧船へ乗り込んだ。 天気晴朗なれど波高し。クルーザー船程度なんで、揺れる揺れる。船底のガラス窓から大量のウニが拝めるらしいが、海が底荒れしていてなんにも見えなかった。 「すいません。海底がなにも見えなくて」 ガイドが申しわけなさそうな顔で謝っているが自然現象だ。俺のあまり好まぬ茶髪野郎ではあったが、ぞんがい誠実な感じのする素朴な若者である。あんたが謝る必要はない。俺の運が悪かっただけぜよ。 やがて冬にセイウチがたくさんやってきて、漁場の網を喰いちぎり、漁師に深刻な被害をもたらしたという岩礁が見えた。30年前、漁協は自衛隊に駆除を要請。隊員たちは厳冬期に命綱一本で絶壁を降り、岩の隙間に小屋を建た。その建物が現存している。そして隊員たちは半月も篭もりセイウチの駆除に成功したそうだ。 赤岩。オロロン鳥の繁殖地としてかつては何万羽も生息していたという。しかし赤岩の頭上に展望台ができて以来、様相は激変する。 プロ、アマチュアを問わずカメラマンが、オロロン鳥の巣に空き缶を投げつけた。なんでもオロロン鳥を驚かせるといい絵柄になるそうだ。そして神経質なオロロン鳥は赤岩から姿を消した。さらに現在は絶滅が危惧されている。酷い話だ。近年、ダミーのオロロン鳥を置いて、もとの赤岩へ呼び戻そうと試みられているらしい。 そんな説明を聴いているときだった。 「あっ、オロロン鳥がいました」 ガイドが突然大きな声で叫んだ。 この時期、見れるのは本当に奇跡的なことだ。遠くに海鳥が浮かんでいた。小さくてよく確認できなかったが、ガイドは間違いなくオロロン鳥だといっていた。 港に戻る頃になると、お決まりの船酔いだ。ふらふらになりながら船を下りた。暫く、ターミナルの待合室の長椅子に腰かけ、体調の回復を待つ。 その時、やっぱり視線を感じた。団体客の集団のなか?右から左へ視線をゆっくり動かす。すると明らかに俺の姿を凝視している人物がいる。白いチューリップハットをかぶった小柄な女性だった。もしかしてヨシエじゃないか? しかし、混雑するターミナルで、観光客と僅かに交錯した刹那にヨシエと思われる若い女性の姿は消えていた。これは面妖な。ヨシエは焼尻へ残るといっていたはずだし、焼尻の埠頭からも確かに俺を見送っていた。 しかし、天売島に来てからずっと誰かの視線を感じてはいた。もしかしたら白日夢というやつなのかと首を傾げていると、 「うっ、これは動物霊?いや違うか?あなたには強烈な女難の相があります」 パックツアーの見知らぬオバサンから声をかけられた。 『なんなんですか、それって?俺はシャイだし、女にはかなり淡白ですよ』 「いいから、そのままで」 オバサンは、いきなり合掌し、両手で俺の背中を叩きだした。 「ハ〜ライタマエ!キ〜ヨメタマエ!」 そして、お祓いの祝詞を唱えだす。 「こっ、これは強烈な怨念に憑りつかれておるぞい。これほどの情念をどこから引き寄せてしまったのか?これはかなり手こずることになるのう」 ”キッ、キタノさん、早く、早く逃げて” 『誰だ?おまえは?』 今度は耳元で囁く女の声がした。 とにかく俺は不気味になり、この場を全力疾走で逃げ出した。 「あっ、こっ、これっ、待て!まだオヌシのお祓いは終わってはおらん!オヌシはとり憑かれておるのじゃ。このままでは大変なことになるぞよ」 この オバサンが、それでも追いかけてくる。でも俺に追いつくなんて絶対に無理だと思う。だって、若干オヤジ化していたが、俺はこの当時、まだ100M走を13秒台のタイムを余裕でキープできるアスリートだったんだもの。 ところが・・・ オバサンがいつの間にか俺の背後にまで肉迫してきた。ハヤ!このババア、なんなんだ?驚異のスピードだ。まるで安達ヶ原のオニババアじゃないか。俺は霊感体質じゃねえよ。 もう、本当に勘弁してくれ。船酔いで弱っているのに泣きっ面に蜂とはまさにこのことだ。俺はほとんど半ベソをかきながら天売のフェリーターミナルを逃げまわっていた。 |