北海道ツーリングストーリー











 稚内港フェリーターミナル・・・

 俺は待合室の椅子に座り、煙草をふかしていた。しかし、礼文島行のフェリーもツアー観光客が多くなった。たくさんのおっさんやおばさんの喧騒が待合室を覆っていた。

 そして俺は、ここでも強い視線を感じていた。
「あっ、あのう・・・」
 女の声だ。まさかヨシエじゃないだろうな。
「ちょっとお願いが・・・」
 ふう、目元はよく似ているがヨシエじゃない。髪型も違う。ロングで毛先を軽くカールしているちょっと洗練された感じの女だった。

『なにか?』
 俺は訝りながら答えた。
「妹がもうすぐ病で死ぬんです。若い人がなり易いリンパ腺の病気で」

 ゲッ!また重いシナリオかよ。ご免だ。俺は俺だけの北の旅をしたい。

「あなたは、礼文に渡るんですか。それとも利尻へ?」
『はあ、礼文島です』
 女は、横に座り思いつめたような視線を入口横のレストラン付近に向けている。

「妹の恋人が礼文の民宿で働いているんです。意識がなくなる前に妹に会いに来てくれと伝えてもらいたいのです」

『なんだ、そんなことなら電話で連絡すりゃいいじゃないですか』
 江戸時代じゃあるまいし、なんだか拍子抜けした気分がした。

「でも彼、連絡先を言わないで飛び出しちゃったんで宿が判らないの。礼文の民宿へもシラミ潰しに電話したんですがダメでした。どうやら夏の一時期しかやってない非合法な宿らしくて。お客さんもクチコミで知った限られた人ばかりのようですし、携帯も圏外です」
 女は深い溜め息をついた。

「道路が分断された西海岸あたりにあるらしいんです。お客さんがあれば西海岸のトレッキングコースをガイドし、なければ昆布干し作業をして日当を稼ぐような仕事らしいんです」
『じゃあ、あんた自身で探せばいいんじゃないか』
 俺は答えたが・・・
「入院している妹の付き添いがあるんで行けません。だから、こうやって礼文に行く旅人の方にお願いしてますが誰にも相手にされません」
 当然だ。なんで他人のそんな込み入った事情に関わる必要があるのか。引き受ける方がどうかしている。
『そんな雲をつかむような話は嫌だね。俺の旅にまったく関係ないし』

 暫し沈黙が続く。

 女は声を立てずに、ただ泣いていた・・・

 俺は、隣に腰掛けている妹思いの女性に完全に同情してしまう・・・

 あまりにもいい女だったから、も、もとい・・・当時から、そんな甘さが俺には多分にあった。こういう展開に持ってこられると断りきれなくなってしまう因果な性分だ。そして、それが長所であり、短所でもあることは充分認識していた。

 ええい、乗りかかった船よ。

『わかったよ。あんたの依頼、引き受けた。ただし、確実とは約束できないぞ』
 と言うと彼女は本当に嬉しそうな表情をした。

「わたしの名前はユウキカナ、妹の恋人はマスモトヨウスケです。本当に我儘なお願いなんですが、できるだけ早くヨウスケに稚内へ戻るように伝えてください」
『おまえさんはカナっていうのか。俺はキタノだ。ただの旅人だよ』
 自己紹介をすると、色白で整った目鼻立ちのカナは実に丁寧なお辞儀をしてくれた。

 風になびくカナの黒髪からふと、どこかでかんだ海の匂いがしたのは、気のせいだろうか?

 やがてフェリーが動き出した。カナがフェリー埠頭から俺をじっと見つめている。そんな真摯な視線を送られたらやり遂げるしかないじゃないか。俺はやむなく船内の公衆電話から今夜の宿のキャンセルをした。

 西海岸近くの民宿。しかも認可されていない宿。見当がつかない。とにかく西海岸へ出て、野営の適地で幕営してヨウスケを待つか。礼文の西海岸にキャンプ場は皆無だ。

「お帰りなさ〜い。ギンギンギラギラ夕陽が沈む。ギンギンギラギラ陽が沈む♪」

 島のYH「桃岩荘」の連中の、勇壮な?出迎えの舞と歌声が聞こえてきた。この島の風物詩と言っても過言じゃないだろう。これにハマって、毎年、礼文にやって来るという人も少なくない。

 礼文に上陸。天候は曇りだが、気温は低くはない。マシンに跨り礼文林道を目指す。礼文林道手前にキャンプ場がある。そこへゼファーを停め、ツーリングテントを張り荷物をぶちこんだ。つまりベースキャンプを設営したのだ。

 そして、ツェルトなどコンパクトな野営道具だけをリュックへ詰め、身を軽くしてから林道をひとり歩いた。鬱蒼とした森だ。虻からの集中攻撃にもひたすら耐えながら一歩一歩確実に前へ進む。

 宇遠内の売店、ここは陸上からの物資の補給が困難なため、船で海上から陸揚げするらしい。ここで飲み物などを調達しゴロタを延々と歩いた。

 やがて小さなビーチへ辿り着く。ここにツェルトを張り第2キャンプとして待ち続ければ、必ず8時間コースのガイドをしているヨウスケという青年に出会うはずだ。

 桃岩荘、星観荘、他・・・いろいろな8時間コース踏破組が日中は通過して行く。そして、すべてのグループにヨウスケのことを問い正した。

 しかし・・・

 誰もが知らないと首を振るのみ。

 夜になると人の気配は消える。強烈な孤独の世界だ。だから俺は野外ではラジオを必携にしている。気象情報も入手できるのもいい。まあ、ラジオをつけてもロシア語ばかりだが。俺は、カチューシャを聴きながらウィスキーを瓶から直接飲んだ。急速に全身へ酔いがまわった。

 なんで俺は見ず知らずの女から、こんなことを引き受けてしまったのだろうか。自分の馬鹿さ加減に呆れながら夜空を見るといつの間にか雲が切れ、まさにこぼれんばかりの満天の星空が広がっていた。こんな綺麗な星を見れるんだから、よしとしよう。

 いつ寝たのか覚えていない。気がついたらシュラフにくるまっている。最果ての島は真夏でもかなり冷え込む。

 日中は、トレッキングのグループに声をかけ、ヨウスケの情報を得ようとしたが、手がかりは皆無だ。もしかしたら俺はカナに騙されたか?まあ、どっちでもいい。宇遠内の売店まで歩いてビールを購入してくる。時折、海に潜っては獲ったつぶ貝を煮て昼間からビールを飲んだ。こんなのんびりした旅もたまには悪くない。

 孤独な西海岸キャンプももう3日が過ぎようとしていた。天気は奇跡的にもっている。でも俺自身、そろそろ動かないと社会復帰への影響が出る。ツェルトの撤収を開始した。

 先へ進もう・・・

 どんよりとした雲が島を覆っているが、まだ雨の心配はなさそうだ。




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