北海道ツーリングストーリー




オンコの庄







「キタノさん、わたしのこと、焼尻までつれてってくれない」
 フェリー乗り場の待合室で煙草をふかしていると突然声をかけられた。

 昨夜の宿の宴会で俺の北海道ツーリングのエピソードを熱心に聞いていた女性だ。名前は確か”ヨシエ”だったか?

『おまえ、なにいってんだよ。俺ほどの者が若い女と旅を一緒にするほど軽くはねえぞ』
「あなた、なにかいやらしいこと考えいるでしょう。エロオヤジねえ」
 なんで、俺がそんなことをいわれなければならいのか。本当に腹立たしい女だぜ。
『バーカ、おまえが考えるほど俺は飢えてねえよ』
「じゃあ、一緒にいくね」
『勝手にしろ』

 ヨシエは、妙に背伸びして大人ぶっているようだが、どう見ても若すぎる。この世代の娘は年上の男に憧れるといわれるが、まさか俺に対しては、そういう感情をもっていないだろう。生まれは神奈川で札幌の大学に通う現役の女子大生だとか。神奈川か。しかし、この旅は神奈川の人に縁があるなあ。またヨシエは、今時の学生とは明らかに異なる清楚で大時代的な雰囲気が滲みでていた。こういう娘もいるもんだ。北海道の旅ならではの女性かも知れない。

 焼尻島へ向かう小型のフェリーは揺れに揺れた。とても気持ち悪い。当時の俺は、必ずといっていいほど船酔いになって苦しんでいた。後年では絶対にあり得ないことなのだが、これもヨシエとの後日の絡みで克服されてしまったようだ。

「キタノさん、弱ってないでちょっと外を見なよ。海鳥があんなにいっぱいついて来るよ。カッパエビセンやると手から持っていくし」
 ヨシエは船に強くとても元気な女だった。そのヨシエがまさか・・・

 この段階で、これ以上のことを書くのは自粛しておく。

『馬鹿な真似はよせ。カモメやウミネコだって野生の鳥なんだ』
 俺は吐きそうになりながら答えたけど、あまり効果はなかった。ヨシエはデッキで、キャーキャー騒いでいる。ダメだこりゃ。頭が痛いし、胃がもたれる。
「あなたって、意外に弱いのねえ・・・」
 ヨシエは呆れ果てていた。くそう、言いたいこと言いやがって。

 50分経過、ようやく焼尻島へ上陸。もうふらふらだった。陸へあがると劇的に船酔いが治まってくる。よし歩くぞお。オンコ(イチイの木)の庄、焼尻島を。

 島の3分の1はジャングルのような森に覆われているのが焼尻島だ。だが牧場もある。鮮やかな緑の牧草に覆われた綿羊牧場だ。たくさんの羊が放牧されていた。さすがにこの暑さに羊たちも日陰に退避していた。綿の毛皮をつけていては辛いだろう。

 米国人の捕鯨船長マクドナルドが上陸したという地点に辿り着く。不思議な記念碑が建っていた。彼は、その後、利尻島で役人に捕縛され日本最初の英語教師になったそうな。
「あのハンバーガーのマクドナルドさんも上陸していたのね」
『うっ、あのなあ、日本だって鈴木さんや佐藤さんって同じ苗字の人たくさんいるでしょう』

 とにかく暑い中歩いた。そして、この島のハイライト「オンコの庄」へ。大陸から吹く激しい季節風や雪の重みで普通なら15メートルぐらいに成長するオンコの木が上に伸びず横に広がっている。

 旧小納家。小納家は石川県出身で、明治期焼尻へ移住。網元のほか呉服、雑貨商などを営むたいへんな富豪になったそうだ。
『へえ〜』
 とか思っているとヨシエが博物館になっている内部に入りたいと言っている。動物並みの好奇心だな。やむを得ず、入場料を払って内部に潜入。

 内部の1階は和風だった。きちんと仏壇や遺影も残されていた。これまで残していかれたご子孫にはどんな事情があったのだろう。ヨシエは静かに仏前へ手を合わせている。意外といえば意外な一面を垣間見た気がする。

 2階はモダンな洋風建築。この建築は明治中後期によく見られる。屋根の亜鉛鉄板はイギリスから輸入されたものだった。

 小納家はニシン漁の衰退とともに焼尻島から撤退し、屋敷は羽幌町へ寄付された。

 さらに宿の近くには会津藩士の墓があった。幕末、たくさんの東北のサムライが北方防備にかりだされ、厳しい冬に耐え切れず命を落としたそうだ。多分、壊血病も多かったのではなかろうか。すなわちビタミン(野菜)不足からくるものだ。アイヌの人々(エスキモーも)はアザラシの生肉を食べ、ビタミンを補給していた。当時の倭人に、そんな知識のある人など存在しない。暫し合掌。

 ご主人が漁師をされているという民宿に到着。

『こんにちは。予約していたキタノです。今夜はお世話になります』
「あっ、キタノさんね。お待ちしていました。今、お部屋へ案内しますね」
 おばさんが現れた。
『あの実は、連れができてしまって、女なんで別の部屋をひとつ空けてください』
「はて?連れの女の方ですか?何時ぐらいにお越しになりますか?」
 おばさんは、とても不思議な顔をしていた。

 しかし、日中、相当な距離を歩いたせいか疲労の色は流石に隠せなかった。入浴後に軽くビールを飲んだだけで、全身に酔いがまわってくる。宿は、お世辞にも綺麗とはいい難いが、夕食のおかずの美味さと量の多さには筆舌にし難いものがあった。漁師をしているというご主人自ら釣り上げたヒラメの刺身やソイの煮付けなど、地元の旬の味を存分に堪能した。

「キタノさん、あなた、もう飲めないの?やはり、弱い男なのねえ。それとも歳か?」
『・・・・・・・・・・』
 反論する気力もねえ。

 食後もヨシエと飲みながら、訊かれるままに旅の話をする。しかし、まだ若いのにおめえさんの肝臓はどうなってやがるんだい。酒豪を通り越してヨッパライダーと旅仲間から震撼されている俺もタジタジである。やがて、どうにも睡魔に耐えられなくなり、ヨシエを隣の部屋へ追い出して布団に入った。あっというまに俺の意識が消え、泥のように眠る。



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