安達太良山2007奥岳登山口







奥岳登山口(五葉松平ルート〜山頂〜牛の背〜峰の辻〜勢至平〜登山口)



2007.10.28



「カラスが鳴いてるから気をつけてね」
 なんだよそれ?とにかく妻に見送られ出発。

 しかし、山に入るにはかなり遅い時間だ。となるとやはり今日も奥岳登山口(今シーズン3度目)からか。安達太良登山では初心者向けのルートで少し物足りないのだが、やむを得まい。

 もう、2ヶ月近くも山行をしてないので、体が鈍りきっていた。山に入らないとおかしくなりそうだったんで今朝になり慌てて準備したのだ。季節外れの台風一過で天候もよい。紅葉を楽しみながら安達太良スキー場のパーキング近くまでやってくると酷い渋滞だった。かなり待ってようやく駐車スペースを確保する。紅葉シーズンなのに出遅れたのが間違いだった。

 登山靴に履き替え、せっせと五葉松平ルートを登り始めたが、昨日の台風の影響で登山道は荒れに荒れてドロドロだった。こんな時に限ってスパッツ忘れてるし。

 気温も比較的暖かい。半袖シャツのままで登り続け、ゴンドラリフトの終点(8合目)へ到達。
 時折、下界の紅葉が大きく広がるポイントがあった。もう紅葉の時期が終わりつつあるのか、あるいは台風の影響なのか鮮やかさにイマイチ欠けるような気がする。リフトでやってきた観光客が多かった。登山道でも時折、渋滞が起きる。まさかその格好で頂上を目指すんじゃないだろうなとこっちが心配になりそうな人も目立った。
 頂上付近はガスがかかったり消えたりと安定してないように見える。リフトの終点から頂上までのルートは一部木道が架けられていたり、非常によく整備され歩き易かった。天気もいいし、山の空気は綺麗だし、とても心地よい山行だ。  
   でも肌寒い。休憩がてらザックから、フリースを取り出して着込んだ。標高が高くなるにつれ、気温が劇的に低下してくるが、ぞんがい山行にはこのぐらいが適温かもしれない。休憩を終えて、ふたたび歩き出した。なんだか今日は調子がいい。普段は登りのペースの遅さにジレンマを感じていたりした。でも今日は足が実によく前に出るぞ。
「お先に失礼します」

 先行の登山者に声をかけ、次々と追い越していく。暑くないので、それほど水分の補給も必要としない。やや雲が出てきたが、山裾の風景が意外にはっきりと浮かんできた。まったく息を切らすことなく、どんどん登っていく。すると頂上の乳首岩が見えてきたぞ。あと少しだ。
 
   ラストスパートをかけるようにペースを上げたが、凄い風である。相変わらず安達太良の山頂付近は巻き上げてくるような強風だ。

 それよりも酷く寒いのだが。乳首岩手前の”安達太良山頂上”と大書してある標識に常設してある温度計を見ると・・・
 そして、ザックをそのままにして頂上踏破。

 かつて硫黄の鉱山があり、1900年の噴火で72名もの犠牲者を出した沼の平が見える。裏磐梯の光景もしっかりと拝んだ。
  日中に気温が零度までしか上がらないということは、安達太良山頂には間もなく冬がやってくるということだ。どうも雲の流れが怪しいと思っていたのだが。  
   冬の安達太良は下界が晴れても連日ガスに覆われ、猛烈に吹雪いている。綺麗に山頂が見えることなどとても稀だ。朝な夕なに毎日、安達太良を見つめ続けてきた俺にはわかる。
 筆者も今シーズンは登り納めかなと、ふと思ったりもした。乳首岩から降り、昼食のサンドイッチをガツガツと食べた。そして、食後の一服ということで煙草に火をつけようと思ったらライターが点火しない。近くにいた登山者も同様のようだ。やはり、アウトドアではジッポのライターが一番いいのかもしれない?   
   それでも、なんとか点火した隣の方の火をもらい、煙草を吸い終え、下山を開始する。鉄山が青空にとてもよく映えていた。ゴロゴロと岩が転がり、歩き辛い登山道をせっせと下っていると、とある父子の姿が見えた。息子さんは、まだ幼稚園の年長組だそうな。たいしたもんだ。その歳で百名山を元気に闊歩するとは。
『お気をつけて』
 声をかけて追い抜いていく。

 やがて峰の辻から、勢至平へ向かうルートに入るも、これが失敗。登山道が水浸しで歩きにくいことこの上なし。無理せず、くろがね小屋を経由して下山すればよかった。もう遅いが。グチャグチャのルートを悪戦苦闘しながら延々と歩くと、ようやく通称”馬車道”へ合流する。
 
   標高が低くなると、紅葉がきらめくような光彩を放ちだした。もうゴールも近い。馬車道もトレーニングがてら本気で降ろう。スピードもぐんと乗ってきた。終始好調な足取りで、両膝が小刻みに前へ出てくる。
 背中には、真っ赤に染まった枯葉が次々と舞い散っていた。姿勢正しきキタノの姿は、激的な詩の中へ登場する一騎がけの武者のように絵になっているかも?

 なんて、気のせいだな(笑)

 そんなアホなことを考えつつ、北のサムライが翔ぶが如く山を駆け下りていく。

 最後の最後に年輩のご夫婦を追い越した刹那、湿った土に滑り、思い切り転倒を喫した。そして、一瞬、左足の指がつってしまう。

 くそっ、かっこよく終わらせたかったのに。

 とにかくあたりが薄暗くなる頃、登山口へ無事下山を果たした。まあ、これを書いている時点において筋肉痛などはない。楽勝だ。多分、明日も大丈夫であろう。

 ただ、近年、筋肉痛が2日後とか3日後にやってくる現実に辟易としてしまうキタノであった。

 これって、老化現象っていうやつか?


追記


「キタノさん、昨日、安達太良に入ってました?」
 翌日、職場のある同僚(W氏)から訊かれた。
『ええ、奥岳からだけどね。夕方には下山しました』
「やっぱり。登山口付近で、キタノさんとすれ違いました。なかなかいいペースでしたね」
 W氏は屈託のない笑顔でつぶやいていた。

 筆者はまったくW氏の存在に気づかなかったが、16時前後だと推察する。そして、筆者とすれ違ったということは、あの時間から山に入ったのか。そうなると下山は早くても22時ぐらいにはなるだろう。またヘッドライトを着用しながらの夜間山行ということになる。

 筆者も登山の常識としてヘッドライトぐらいは携帯しているが、緊急時以外、夜に山中を歩こうとは思わない。

「ちょっとしたトレーニングですよ。ずっと駆け足で行動したので、そんなに時間はかかりませんでした」
 まるで孤高の人”加藤文太郎”を彷彿させるような荒行である。凄い男が身近にいたもんだ。

 ちなみにW氏は地元の国立大学の山岳部出身であり、このあたりの山は庭のように熟知していると思われる。つまり、筆者のような”俄”と違い、筋金入りの山屋だ。忙中でもこうやって密かに体を鍛え続けているに違いない。



FIN



2007.10.30UP



記事 北野一機



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