安達太良山行沼尻ルート2010







ママキャン〜沼尻登山口〜船明神山〜鉄山〜胎内岩〜下山



2010.8.7〜8.8



   早朝8時ぐらいに某所を出発し、11時前には、裏磐梯のママキャンプ場へ到着。
『ご無沙汰してました。きょうは、よろしくお願いします』
 と、オバサンへ挨拶した。
「あらあ、キタノさん、珍しく団体さんなんだね」
 にこにこしながら、出迎えてくれた。
 さっそく、テント設営を済ませた。タープを張ったことがないという若手諸君へ張らせてみたら、シワヨレ状態に。まあ、いっか。食糧の調達に筆者とT隊員が喜多方近くのスーパーまで出かけ、今夜の焼き肉用の肉、野菜などを購入してきた。けど、既に出来上がっていた昼食の焼きそばはのびていた。それでもTとがっつくように食べきった。  
 シュラフなどをテントの上で乾しながら、利用料の支払いに売店へ向かった。

「キタノさんが、連れてきた人たちなんだから、オマケするね」
 ありがたいことにオバサンから、使用料を割引していただく。
『すいませんねえ』
「なに言ってるの、長いつき合いじゃない」
 オバサンは屈託のない笑顔を見せていた。

 そして、ジャー・・・

 ゲリラ豪雨にやられ、せっかく乾していたシュラフが、びしょ濡れとなる(涙)

 晴れてきたので、付近の散策路を歩くも、時折、雨にやられた。諦めて、サイトに戻り、夕食の準備。基本的に筆者は口を出さない。

 若手諸氏の行動を眺めていたんだけど、肉焼くのに鉄板忘れた、調味料忘れたという事態が頻発した。やむをえず、サクシードの中から小ぶりなフライパンやキャンツー用の調味料を出し、危機を回避する。
   夕刻の裏磐梯には怪しい積乱雲が立ち込めていた。明日は沼尻から安達太良山頂を目指すのだが、大丈夫なのだろうか?

 筆者は、焼き肉を頬張りながらウイスキーを飲んでいた。
 ほろ酔い気分の頃、管理人のオジサンがやってきて、
「キタノさん、ほうら、蛍だよ」
 と、掌に乗せた蛍を見せにきてくれた。皆、大喜びだった。

 ママキャンは、実は蛍の名所でもあるのだ。やがて、キャンプ登山の鉄則、21時完全消灯となる。心地よく酩酊した筆者は、あっという間に爆睡してしまった。
 
 4時起床・・・

 キャンプ山行の掟通りの時間にピタッと目覚めた。最年長のW氏は、起きてきたのだが、若者4名はまだ爆睡中であった。

『おい、起きろ』
 何度も5人用テントのジッパーを開け、起床を促したが、ほとんど反応なし。
   やがて、鮮やかな朝陽が桧原湖を照らし始めた。ママキャンのよさは日の出に尽きる。

その頃になり、ようやく若手がテントから這い出してきた。 
 登山の朝は、ガッツリと食べないと必ずバテる。ましてやこの炎天下、無理矢理にでも飯は流し込まないと熱中症になるだろう。昨夜の残りの肉とご飯があった。まず、フライパンで肉と野菜を炒め、ご飯をぶちこみさらに炒める。そこへ水を差し、味つけは濃い目の塩と胡椒のみ。  
 このメンバーの中には、キタノ秘伝の野営炊飯の技術を伝授されている者が存在するので、まさか飯炊きに失敗などはなかった。

 近ごろの若者は旅をしない。バイクに乗らないとか、雑誌にまで掲載される状況になった。筆者は、この考えに賛同しない。だって、人の勝手じゃないか。俺だって、本格的に旅するようになったのは30代半ばからでした。柔道や空手の修行でいっぱいだった。

 今の若者は・・・

 そういう一部のオッサン系ライダーの派手派手の高級ツーリングウエアの似合わなさというか滑稽さといったら、着ててよく赤面しないなあと某道の駅あたりで、たまに吹いていたりした。まるで怪獣のコスチュームみたいぜよ?

 現にアウトドアに興味のある若者もいる現実がある。

 だったら、座して若者をけなすより、筆者は地道に育てていこうと思っている。おっと、すべて迎合するつもりはないが若者に甘い筆者の余談でした・・・

 朝食は何段階かにわけて作る。見た目はよくないが、リゾット風に仕上がり、ぞんがい旨い。全員がガンガン食べた。腹いっぱいで、サイト撤収。この一連の行程を完了させるには、やはり4時起きが必須なのだ。

 洗顔と歯磨きも済ませ、出発したのは7時である。

 筆者が用を足している間にオバサンが、W氏に、
「キタノさんは、いつもひとりでキャンプ場にやって来て、とても静かに過ごしていく常連ライダーさんなのよ」
 と、話していたそうだ。

 いやあ〜、そういう風に言っていただけるとヨッパライダーでも照れますなあ?と、いうより、ほとんどひとりでしか来ないキャンプ場なので、騒ぎようもないのだけど。

 オバサン、お世話になりました。今年はミソハギの花が綺麗に咲いてなによりでした。というわけで、好天の中、波瀾の沼尻登山口へと向かう。

 沼尻登山口って、スキー場から、かなりダートを走る。筆者のクルマは四駆だからまだいいけど、W氏のクルマは悪戦苦闘だったようだ。当初、塩沢登山口から入り、沼尻まで縦走という話もあったのだが、W氏のクルマでここまでピストンするのは、絶対に不可能とのこと。

 沼尻ルートから、船明神山、鉄山、胎内岩ルートを経て、下山というコースをとることになった。沼尻登山口から、延々と登りっぱなしの登山道を歩いた。筆者は、こういうルートが苦手である。

 気温が異様に高い中、おびただしい汗を流しながら、登っていく。バテてはない。けど筆者の登りのペースは相変わらず遅い。途中、コンビニで買った3本のスポーツドリンクをがんがん飲んだ。あんまりペースが遅いので、先頭をW氏に代わってもらった。

 しんどい。けど、若手諸氏は、こういう状況でもゲームの話などをしまくっていた。若いということは素晴らしい。こんな修羅場でも呑気に登山を謳歌していた。
   船明神山到達、ここで何度目かの休憩となる。流石に冷たい風が吹くようになり、心地よく一服した。そして、がぶがぶと清涼飲料水を摂取した。500ccのボトルをすべて飲み尽くす。でもビニールタンクには、まだ2リットルの命の水が残っていた。それをボトルに移す作業を終え出発した。先頭は、筆者に戻る。
 頂上には立ち寄らず、鉄山から胎内岩へ向かった。途中、昼食タイム。沼の平の圧倒的な噴火口の光景は、相変わらず迫力があった。逆側を観るといつも気になっていた建物が眼下に見える。ようく考えると、あれは山小屋(くろがね小屋)だろう。ここまで登り、沼ノ平から沼尻に抜けるルートは有毒ガスで事故があり、既に閉鎖になっているはずだ。  
 昼食を終え、鉄山の崖をよじ登り、避難小屋を通過。そして、プロペラの羽をつけたようなオブジェの前で小休止。実は、オブジェではなく半世紀以上も前の自衛隊機墜落事故の慰霊碑だったことが後日判明した。したがって、ここで、撮影した画像にはいろいろございまして、掲載を控えました。

 暑い。暑すぎる。練乳のクリームをなめながら、命の水をがぶ飲みした。ここから、胎内岩へのルートは、次第に道が険しくなった。途中、登山道のすぐ下が、切り立った断崖絶壁になっており、高所恐怖症気味の自分はびびる。

 丈の低い樹林帯を抜けると、ようやく胎内岩へ到達する。なんだか6月に来たときよりも様相がずいぶん変わっていたと思うのは気のせいだろうか。植物が繁茂する時期なので、そう見えてしまうのかも知れない。ここから、荒れに荒れたルートをどんどん下山していく。

 後半は、石がごろごろで、踵を痛めてしまった。というより、もう麻痺しつつあった。  
   6月には、雪融け水で溢れていた渓流も、ほとんど枯れ果てている地点まで到達する。ここで小休止すると沼ノ平の一部が垣間見えた。雪山ではありません。硫黄で白く見える部分だ。ここから、一気に下山。沼尻登山口へ戻ったのは15時半ぐらいだったか。誰もが疲労困憊になっていた。
 帰路、母成グリーンラインを走行中、右足がつり、急停車。危なかった・・・

 完全に足の裏の感覚が消えていた。体力も衰え、山にもむかない体質なのに、俺は
なぜ、こういうことを繰り返してしまうのだろう?

 けど、これからの俺も黙々と、ひたすらに体を張り続ける・・・

 ・・・のかなあ?なんだか蟻地獄みたいで気が重いのも事実だ。

 何度も何度も休みながら、拙宅まで辿りつく。



FIN



2010.8.13UP



記事 北野一機



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