安達太良登山五葉松平ルート2009
奥岳登山口〜五葉松平ルート〜薬師岳〜山頂〜牛の背〜
峰の辻〜くろがね小屋〜奥岳登山口
2009.5.9
今朝は好天だった。これは山に行くしかないべさあ。というわけで意気揚々と安達太良山の奥岳登山口へと向かった。 ゴンドラリフトを使わずに五葉松平ルートへ入った。登山道は相変わらず放置プレイで草ぼうぼう、さらに進むと雪と雪融け水で泥だらけであった。歩きづらかったけど1時間弱で安達太良エクスプレスの頂上駅へ到達。 薬師岳から、安達太良山頂の画像を撮ろうとするもデジカメ電池切れだった。なんてこった。まあ、俺は撮影のために山行をしているわけではない。山登りに来ているのだと自分に言い聞かせ、せっせと頂上を目指すのであった。 雪は先週よりもかなり減っている。木道も部分的ながら、顔を出していた。休憩ポイントの五葉松平で一服する。暑い。長袖では耐えられないぐらいの陽気なので、長袖のシャツをここで脱いだ。風もないし、本日は半袖で充分だろう。 確かに劇的に雪が融けているが、部分的にルートを混乱させるような吹き溜まりもあるし、大きな雪渓も残っている。 雪渓を抜け、頂上が近づいてくるとさすがに息があがってきた。先週よりも調子がよくないかもしれない。 無理をせず、途中で一度、煙草を吸った。もちろん携帯灰皿持参だ。 登り下りの登山者の数も多かった。 力を振り絞って歩く。 「こんにちは。安達太良も森林限界を過ぎたこのあたりまで くると別世界ですね」 年輩のご夫妻の旦那さんから声をかけられた。 『そうですね。やっぱり安達太良は最高です』 俺は笑顔で答えた。 「残雪ももう終わりでしょう?」 『いえ、6月の半ばぐらいまでは雪渓が残ると思います』 「そうですか、ここにはよくおいでになるのですか?」 『はい、先週も来ました』 「確かに晴れの安達太良なら、何度登っても飽きない山 でしょうね」 と、にっこりと頷きながら下山していった。 頂上到達・・・ 視界はもやが少しかかっていたが、まずまずだ。 乳首岩から、妻の携帯へTELしてみるも圏外。O氏へも連絡してみたが、繋がらなかった。そして、頂上付近で昼食をとった。焼きそばとチャーハンのおにぎりをほとんど無理矢理飲み込んだ。 おにぎりを食べていたときなのだが、少し不自然なスタイルで岩に腰かけていたせいか、突然胸の筋肉がつってしまった。 イテテテ・・・・・ 「大丈夫ですか?」 近くに居合わせたパーティの女性が驚愕の表情で声をかけてくれた。 『だ、大丈夫です。でも大丈夫でないかもしれません』 彼女は噴き出していた。 なんとか胸の痛みが治まってきたのだが、食後の一服をしていると、なんと今度は右足がつってきた。 洒落にならないぐらい痛い。どうなってしまったのだろう?というか、なんでこうなるの?右足の指の付け根あたりの痛みのピークは過ぎたが、後遺症が残ってしまった。 そして、右足を引きずるように下山・・・ 頂上から牛の背ルートを辿り、峰の辻へと向かう。 やっぱり右足の指の付け根に違和感があり、じわじわと痛みが増してくる。 巨大な雪渓を越え、峰の辻から”くろがね小屋”の方へ降りていく。先週と同じではつまらないと判断したからだ。 残雪の上を足を引きずるように歩いた。途中オバサン3人組が「お先にどうぞ」と道を譲ってくれた。 すいませんねえと言いながら先を急いだ。 積雪地帯を抜けると歩きづらいガレ場である。右足を気にしながら、それなりのペースで下山していく。しかし、暑い。汗でサングラスが曇ってしまった。 ふと前方に犬連れのオバサンがゆっくりと歩いている姿が見え、すぐに追いついてしまう。犬に口笛を吹くとオバサンの蔭に隠れてしまった。 「この子は日本犬(柴犬)だから人見知りをするんですよ」 『そうなんですか。俺は犬好きなんですが、やっぱり初対面だと警戒するかな』 なんて話しながら、オバサンとワンを追い抜いていく。 くろがね小屋へ到達。ここでトイレを借りて暫し休憩。 相変わらず硫黄の匂い強く漂っていた。煙草を吸いながら空を見上げると本当に雲ひとつない抜けるような青空である。やっぱりデジカメの電池切れは痛かった。 |
どれ行くか。重い腰をあげ、雪融けの馬車道へ入る。水芭蕉の花がとても綺麗に咲いていた。そして、すぐに残雪地帯となる。踏み抜きを警戒しながら、せっせと歩いた。鶯がとても上手に鳴いている。勢至平ルートとの分岐あたりにある岩場で小休止する。すると、さっきの3人組のオバサンたちがやってきた。 |
「ヘビがいました。それも2匹もですよ」 『へえ〜そうなんですか。自分はこの分岐から上ではヘビを見たことがありませんでした。下のほうには結構いますけど』 「じゃあ、きょうから訂正して、ヘビがここから上にもいるって人に教えてあげてください」 と、いいながらオバサンたちは爆笑していた。 煙草を吸い終え、動き始める。やっぱり足の裏、指の付け根あたりの痛みが気になる。もしかして痛風? 俺はビールもトンカツも大好きだからなあ・・・ なんて考えつつ直線的に下山できる旧道へと突入する。 粘土質の滑り易い土壌だが、忍者のようにぴょんぴょん跳ねながらクリアしていく。 やがて清冽な渓流の音が聴こえてきた。本日の山行も終わりが見えてきた。 奥岳登山口を過ぎるとレストハウス近くの芝の上でたくさんの男女が整列していた。さらに近づくと、おお、これは懐かしい。以前、他の地区へいた頃、所属していた山岳会の皆さんではないですか。 隊長が全員の前で講評しておられる。H隊長は昔、厳冬期の知床岬近くの流氷の上に幕営し、テントごと流されても生還した豪の者である。登山も山頂さえ見えれば登山道も関係なく直登してしまう猛者だ。 M氏は、バテた隊員へ「生死は山でかけるな。○にかけろ」という名言で励ました実力派のアルピニストである。 その他、かつて旧交のあった方々ばかりだ。 『Mさん、お久しぶり』 H隊長の話が終わった頃、M氏に声をかけてみた。 「おお、永久ライダーではないですか。今日はどのルートを?」 『ええ、リフトを使わずに五葉松平ルートから頂上を踏破して、くろがねから、ここへ戻ってきました』 「そうですか。われわれは登山会で昨日は沼尻で幕営し、ここまで縦走してきました」 『それはお疲れさまです。とても懐かしいルートですね』 なんて会話が弾んでいると、 「今日もバイクで来たのですか?永久ライダー」 H隊長が笑っていた。 実は、皆さん永久ライダーの読者であったりもする・・・ とにかく登山ど素人の頃、本当に皆様にはお世話になったし、心根の優しい方ばかりである。 |
ちなみに画像は初期のチーム・キタノだ。メンバーは全員が女子。彼女たちも気のいい連中だった。なにも言わずに美味しいご飯を作ってくれた。今ごろ、どうされていることか。 誰もがよき母親になっていると俺は信じている。 |
M氏、H隊長を始め、皆さん、安達太良で山行を続けておれば、また会う機会もあるでしょう。そう言いながら別れを済ませた。偶然ながら再会できて今日は本当に嬉しかったです。 終わりよければ、すべてよし! ということで、このあたりで筆を置くことにしよう。 |