安達太良グループ山行2009
奥岳登山口〜五葉松平ルート〜薬師岳〜山頂〜牛の背〜
峰の辻〜勢至平経由〜奥岳登山口
2009.5.29
本日、10時頃まで仕事を済ませ、安達太良山へと向かう。 メンバーは7名、案内役は不肖キタノが務めることになっていた。 11時、薬師岳から登攀開始。 とある企画の下見が命題である。つまり後日、予定しているルートを忠実に歩くのが、本日のパーティの主旨だ。本番には参加するなということなので、伝えられることはすべて申し送っておきたい。しかし、こういう例は過去にない。本番に登る前提があってこその下見だと俺は思うのだが? まあ、俺はこういう目によく遭うから、基本的に単独行動の方が多くなってしまう。次年度以降は、このクソ忙しい時期に気分を害するような山行というか案内人役は、きっぱりとお断りしようと思った。人の厚意というものを斟酌できない人種も存在する時代なってきたらしい。 それより・・・ 天候は快晴。西から天気は下り坂のようだが、今日一日はもちそうだ。自分個人としては、今シーズン3度目だし、過去通算すれば数え切れないぐらい登りまくったルートだ。したがって熟知しているつもりだったけど、このところの好天で雪が劇的に融け、整備された木道を快適に歩くことができた。 木道を過ぎても残雪はほとんどない。気温は暑いくらいだった。 また、平日にも関わらず登山客の数が異様に多い。さすが福島県で人気NO.1を誇る百名山である。休憩ポイントの岩場、つまり仙女平の分岐付近まで約30分、なんの問題もなく到達した。 ただ、俺の痛めている右足裏、この症状は本当に痛風なのか、単純に筋を痛めているのかを確認したかった。岩に患部があたると微妙な鈍痛がはしる。 休憩ポイントで、メンバー諸氏に梅干とチョコレートを配った。チョコレート、普段は食べないのだが、山で食べると妙に美味しい。そして、出発。ここからは、それなりに登りがきつくなる。黙々と登っていると雪渓に到達する。 雪渓の登りは、足で蹴るように進むとスリップすることはない。そんな話をしながら通過していった。やがて、森林限界を過ぎると下界の眺望が広がってくる。少し、もやがかかっているが、麓の街が見えた。 『あれは、よく二本松市と間違える人がいるけど福島市です。 あの小さい山が信夫山です』 なんて、うんちくを語っていると、へえ〜という声があがった。 もうすぐ頂上だ。せっせとよじ登っていく。雪融けでビショビショだった登山道もかなり状態がよい。ところどころ小川になっている部分を徒渉しながら進む。そして頂上手前まで到達。 7人中5人はザックを置いて乳首岩へとりついた。山頂踏破! |
KO隊員が、 「登山は、この瞬間だけが好きなんだ」 と叫んだ。 偶然居合わせたオバサンが、 『下山してから、靴下を脱ぐ瞬間も快感よ』 磐梯山の方角を見つめながら笑っておられた。 |
S氏が携帯から職場へ頂上到達の報告をしようとしたが、やはり電波状況が悪く、うまく繋がらなかった。そんなこんなしながら、乳首岩の逆側からロッククライミングしつつ降りていく。峰の辻で昼食をとるべく、下降体勢に入った。 |
頂上付近から牛の背へ突入する場面で、KA婦人が難渋していた。足場が蟻地獄のように脆い。彼女が履いている運動靴程度では、どうしてもスリップは免れなかった。それでもN氏の手を借りてクリアする。 いつものように月の砂漠のような森林限界地点を黙々と歩くと噴火口である”沼の平”へ到達した。異様な光景だ。明治期、硫黄の採石場が存在したが、噴火で82名もの殉難者があった。登山道も存在したが有毒ガスにより、かつて数名の遭難事故を出したこともあり現在は立ち入り禁止区域になっている。そんな説明をしながら、峰の辻方面へとくだっていく。 途中の雪渓ポイントは、このところの好天で積雪がなくなっていた。なんなく通過していく。やがて、峰の辻へ到達。ここで遅い昼食をとった。俺は念のためにおにぎり3つを妻につくらせた。でも3つ全部食べるのは無理。ひとつだけE氏へ差し上げた。ここで、アクシデント発生。俺のビニール袋が風に舞い上がり、どんどん飛ばされていく。俺は慌てて追いかけ、無事袋を回収したが、”くろがね小屋”方向へずいぶん下ってしまった。 「昨年も隊長のビニール袋を追いかけるという、まったく同じ光景を見ましたよ」 KO氏が噴きだすと、全員が爆笑していた。 『山行中は、カルシウムの摂取が大切です』 と、俺は照れながら、シシャモの燻製を皆さんに配った。 昼食終了後、勢至平ルートをひたすら下山していった。残雪も雪融け水もほとんどなく快適な下降である。ピッチもどんどんあがる。馬車道との合流ポイントへ到達し、暫し休憩。 「去年より、かなり速くここまで辿り着いた気がするんですけど」 KO氏が呟いていた。 『それは、このパーティが優秀だからでしょう』 まったく山行初心者の方もいるので本気は出してないけど、それなりのペースだった。それでも落伍者も故障者も出ないのだから実に立派なものだ。 その後、足場が粘土状で滑り易い旧道をショートカットしながら、小気味よく下山していく。 いいペースだ。 KA婦人は今回紅一点、唯一の女性隊員だ。山の経験はおろか特にスポーツの経歴すらない。なのに、本当によく着いてきた。登山の素質がもともと希薄な俺が最初に安達太良登山をした頃は、膝や脹脛を痛め、ボロボロになった記憶がある。 KA婦人、山行の資質大いにあり。 もう少し経験を積めば、次回は彼女が安達太良登山の隊長になっても充分大役が果たせると思った。 ショートカット(旧道)を繰り返しながら、間もなくゴールが近づいてくる。 俺の足の痛みは、とうとう治まらなかった。けど、このぐらいの症状の方が調子に乗らないからいいかも知れないな。 |
最後に散策路を通った。清冽な安達太良の渓流に沿ったルートを歩く。画像は昇龍橋で撮影したものだ。相変わらず見事な滝だ。そして、ここを過ぎると奥岳登山口が見えてくる。お天気にも恵まれ、本当によい山行になったと思う。 |
部署の違う俺なんかが、でしゃばることじゃないかも知れないし、事実、上層部からの圧力でキタノを行かせるなという声もあったらしい。 昨年までは俺とまったく同じ立場の人に案内役をさせていたにも関わらずキタノだとダメ、必要なしということだ。人(上が気に入らない人物だという理由)によって話が変わるというやり方が、どうにもおもしろくなかったし、世も末だと思った。結局、安達太良山行経験者が誰もいないので自分に役がまわってきた。 俺はもともと集団行動が苦手だし、指図されるのもするのも大嫌いな筋金入りのアウトローだ。ただ個人的に安達太良山へ魅了され、登山を繰り返しているだけの男であった。 『こんな気分を害するような言われ方をされてまで、行きたくない』 と、ヘソを曲げていた自分は大人げなかったかもしれない。 でも、当該部署の責任者であるS氏が、 「安達太良山行には、せめて下見だけでもキタノさんを投入してもらわないと困ります。素人ばかりで登ってなにか遭ってからでは遅いです」 と、意見具申してくれた事実は、決して忘れることはあるまい。 今回、稚拙なキタノの知識と経験が少しでもお役に立ったのなら素直に嬉しい。 「キタノさん、本当に安達太良が好きなんですねえ。山では別人のように生き生きと輝いてましたよ」 ー M氏談 ー 筆者の本格的な山行は安達太良から始まった。そして、いつの日か安達太良に終わる気がする。 最後に上記事情により本番には行けないけど、無事故とよい山行になることを祈念し、筆を置くこととしよう。 |