安達太良山行エンドルフィン




勢至平付近にて



奥薬師岳〜山頂〜牛の背〜峰の辻〜勢至平経由〜奥岳登山口



2009.4.30



 早朝に起床するつもりだったのだが、昨夜は遅くまで晩酌をしてしまった。ヨッパになりながら女房相手に安達太良の魅力について屑々と語り、完全に寝坊する。

 天気は晴れ。まさに絶好の登山日和であった。早くしないと、慌てて準備するが、ヘッドライトの電池は切れてるし、あれはねえ、これはねえとてんやわんやの状況である。

「もう、今からじゃ遅いよ。膝も悪いのだし、登山は諦めてドライブ とかにしようよ」
 妻が訝しげに俺の顔を見つめていた。
『いや、そうはイカナットウだ』
 ようやくザックを担いで自宅を出た。

 4号バイパスから二本松インター方面へ向かい、山道を快調に走った。ほとんど車も走ってない状況だ。GW中とはいえ、今日は平日だからかも知れない。
   安達太良スキー場へ到着。登山靴に履き替えて歩き出すと、年輩のご夫妻の旦那さんから声をかけられた。
「すいません、シャッターを切っていただけますか」
『はい、了解しました』
「これから頂上へ向かうのですか。どのぐらいかかるんですか」
『ゴンドラリフトを使えば2時間もかからないと思います』
 ご夫妻は、にっこりと微笑みながらお辞儀をし、レストハウスの方へ歩いていった。

 ゴンドラリフト!

 う〜ん、ちと反則っぽいし、俺の山への矜持に反する行為だ。でも、もう11時近い。片道900円も痛いが、やむを得ないか。
 
   ゴンドラリフトもがらがらで、すんなりと乗り込むことができた。しかし、ゴンドラに乗るのも久しぶりだ。これに乗れば1時間以上も行程が短縮できる。リフトは、もともとスキー用なので、勾配のきついコースの上空を通過して行く。あまり高いところが好きではないので途中、くらくらと目がまわってきた。
 ゴンドラリフトを降りると付近は雪融け水でべちゃべちゃであったが、周囲を散策する観光客の姿もそれなりにあり、賑やかな雰囲気である。俺は煙草を吸いながら屋外テーブルへザックを下ろし、荷物の最終点検をすませた。よし、それでは登るか。空には一片の雲もない絶妙の晴天であった。   
   登山道に入ると結構な積雪があり、なかなか歩きづらい。
「そっちから登ってね」
 雪かきをしていたオジサンの指示に従い、薬師岳の方へ向かった。オジサンはスキー場の職員なのか山岳ボランティアの方なのかは不明だ。ただ、これだけの雪を整備するのは大変な労力だろう。本当にご苦労なことである。すぐに薬師岳へ着くが、なぜかこのあたりには雪がない。
 ところが、山頂に向かって歩き始めるとやっぱり雪の量が半端じゃなくなってきた。木道が完全に雪に埋まっていて、ところどころに踏み抜き(雪の下)が点在し、危険な箇所がいくつも見受けられた。  
 途中、安達太良山の山頂が綺麗に見渡せるビューポイントがあったので、デジカメで撮影し、暫し見入った。どうやら、ここから頂上手前ぐらいまで、雪が深そうである。安達太良はまだ”山眠る冬”なのだと感じた。
   雪道を黙々と登った。山を歩く人の姿も稀である。雪で登山道が消えている場所もいくつかでてきた。人がいないし、道は消えるし、寂しい気分になってくる。そんな中、中年のカップルが下山してきて、登り優先の鉄則通り、すれ違いざまに道を譲ってくれた。
『すいません』
「こんにちは。雪が深いからお気をつけて」
 旦那さんが、にっこりと微笑んで歩き出した直後の出来事であった。
 後続の奥さんが雪でスリップして、ど派手に大転倒。笑っちゃいけないと思いつつも3人で大爆笑してしまう。上画像は踏み抜き。雪の下の空洞へ足を踏み抜いてしまうことだ。  
 深くなるととても危険で、ある登山会で大腿部を骨折した人もいる。巨大なものになると体全体がすっぽりと落ちてしまう。そうなると自力で這い出すことができなくなり、やがて凍死に至るそうだ。そういう事故が、過去には、この安達太良でも遭ったらしい。  
   休憩ポイントの岩場へ到達する。なぜかこのあたりにはほとんど雪がなかった。ただ地面がぬかるんでおり、ザックは岩の上に降ろした。煙草を吸いながら、周辺の景色を楽しんでいると数は少ないが頂上から下山してくるグループが通り過ぎていく。
 やはり、早朝から行動し、このぐらいの時間には下山するのが理想だと思った。なんというか精神的にゆとりができるし、下山してから温泉を楽しむなどいろいろ幅が広がるだろう。

休憩を終え、再び登り始めた。するとまたも雪が深くなってくる。

 このあたりにくるとさすがに勾配がきつくなり、いつも息があがってしまうポイントだ。ところが、今日はなにかが違う。確かに息が苦しいけど、足がどんどん前に出る。辛いじゃなくて心地いい?膝の痛みもほとんどない。これは昨今の過酷なトレーニングの効果が如実に出ているようだ。地道に努力さえしていれば、いずれ必ず結果がついてくるのだ。
 なんて自己満足にひたりながら、巨大な雪渓をせっせと登っているとなにやら異様な物体が滑ってくるではないか。テレマークスキー?安達太良山頂手前の雪渓でスキーですか?このまま真っ直ぐ下降していって大丈夫なのだろうか?勾配はかなりある。しかし、凄い人もいるものだ。  
   大雪渓を登りきると頂上の乳首岩が見えてきた。山頂付近は強風で雪が吹き飛ばされるせいか、積雪は少ない。終始、自分のペースをくずさずに歩いた。これまで少し暑いと感じるぐらいの陽気であったが、ここまで来ると風も出てきて肌寒かった。
 森林限界を越えた独特の風景が、また帰ってきたぞという気分にさせる。俺はこの7年間、通勤途中、朝な夕なに毎日、この場所を見上げてきた。 
 牛の背の方を見ると登山道の真下にびっちりと雪渓がへばりついていた。帰路は、どのルートをとろうか。同じルートをピストンで引きかえすのも非常にもったない気がする。しかし、牛の背下の雪渓を眺めるとくろがねルートや勢至平ルートは雪で登山道が埋まってしまい思いきり苦戦しそうな予感がした。  
 道のないルートを長時間歩いて下山する力量など今の俺にはない。しかし、これまで歩きこんできた経験と勘があれば、なんとかなるか?などと葛藤しながら頂上まで登っていく。
   頂上到達。天気はよいが風がある。昼食はどうしようかなどと考えていると牛の背の方角から、いかにも山慣れしてそうな青年が歩いてきた。
「こんにちは」
 魅力的な笑顔だった。こういう素敵な表情ができる人間は絶対に万人を魅了するような好人物だと確信する。
『こんにちは。どのルートからですか』
「勢至平です」
『雪はどうでした』
「ところどころ深いところがありますが大丈夫です」
 この一言で、今後のルートが確定した。

「お気をつけて」
『ありがとう』
 青年に礼を言い、牛の背へ入った。ここは、いつ歩いても月の砂漠のように荒涼としたルートだ。 
 途中、裏磐梯方面を見渡しながら昼食をとっている老夫妻の楽しげな笑い声を耳にしながら、黙々と歩いた。右側には、ぞっとするぐらい巨大な雪渓が大蛇のように列なっている。  
 噴火口である沼の平を通過した。このあたりで、学生風の男性3人が熱心に撮影していた。彼らもくろがね小屋か勢至平方面から入山してきたのだろうか。聞いてみようかとも思ったのだが、あまりにも真剣にデジカメを握っているのでやめた。
 野地温泉方面への分岐を右折し、峰の辻へと下っていく。このあたりには変わった形をした奇岩がたくさんあり、思わず笑ってしまう。しかし、ひとりで笑っている俺の姿は奇顔というやつかも知れん。 
 やがて、とてつもなく巨大な雪渓に遭遇した。下からばてばての様子のオジサン2名がふらふらと登ってきた。こんにちはと挨拶をするもお二人は息も絶え絶えの形相であった。  
 俺は何気に雪渓渡りが得意だったりする。体を斜め45度にして、ピョンピョンと飛び跳ねるように下り、あっという間に雪渓を渡りきってしまった。そういう走り方をする猿、アフリカの方にいたような気がする。

 峰の辻へ到達。ここで昼食にした。おにぎりとカレーパンという簡単なものだ。それほど空腹ではないのだが、無理矢理ウーロン茶で流し込んだ。

 さて、勢至平ルートへ向かうか。岩がゴロゴロで残雪が残る歩きづらい登山道をてくてくと進んだ。ふと、くろがねルートの方を見ると、ほとんど雪で埋まっている。やはり勢至平ルートにして正解だったか。

 ところが・・・
   次第に雪が深くなり、ついに登山道が消えた。一番怖れて展開になってしまう。頂上で会った青年は熟練だったから突破できたのだろうが、ヘタレな俺にはきつい現実であった。道がなければ、ただの雪深い山中ということになる。どこも同じような光景だ。 
 こんなに絶望的な状況なのになんだか笑ってしまった。

 それどころか快感すら感じてしまう。なんだか逆境にたたされるとエンドルフィンが分泌されるような体質に変異してきたようだ。

 思えば気候も人情も穏やかな海沿いの小さな町から、福島県の中通りへ越してきた。以来7年、ぜんぜん馴染めず嫌なことや辛いことばかりだった。誰のせいでもない。

 おべっかや迎合のできない性分、自らの適応能力のなさと力量不足だったんだろう、きっと。

 そして俺の人生は安達太良山中でジ・エンドか。仕舞いには笑わないと本当に心が壊れそうだな。

 おっと、こんなところでなにを愚痴っているんだ俺は。

 このやっかいなシナリオをなんとか打開しないと。ええと登山者の足跡だ。おお、あった。これを辿ってと。それから、目印の赤いテープが小枝に巻きついているはずだ。

 誰もいない雪の林の中をひたすら前進していくと水の音がする。近くに川があるのか。いや、俺はこのルートを過去に何度も歩いてきている。川などはない。すると全然違う
方向へずれてしまったということか。なのに俺の顔はまた笑いだした。エンドルフィンが再び分泌されてきたようだ。

 雪が劇的に消えてきた。どうやら難所は突破したようだ。そして小川が視界に入った。
 いや、よく見ると川じゃない。雪融け水が深くえぐられた登山道に入り、川のようになっているのだ。とにかく登山道には戻った。いやあ、雪で道が消えて一時はどうなることかと思ったが、やれやれだ。と思いつつも、さっきのドキドキした緊迫感もなかなか快感だったぞ(こら!)、なんて苦笑いしながら先へ進んだ。  
 もう、ズボンやスパッツは泥でグシャグシャになっていたが、歩くテンポは次第に早くなる。間もなく馬車道に到達するはずだが、今日の勢至平ルートは異様に長く感じられた。
   そして、ようやく馬車道が見えてきた。よし、悪路を抜けたぞ。俺の顔は、あたかも勝利の美酒に酔いしれているが如くだった(注:酒は飲んでいない)。 
 ここで、悪戦苦闘の疲れを癒すために小休止。ミネラルウォーターをガブガブと飲み、煙草に火をつけた。なんだか煙草が妙に旨く感じた。

 少し、陽が傾いてくる。時計を見ると15時をかなり過ぎていた。そろそろ行くか。
 馬車道は、ところどころ雪に覆われていたり、雪崩の箇所もいくつか見られたが、特に問題はない。それより、なんだか意識しないのにペースが上がっていた。途中、幾度か馬車道からはずれ、直線的な旧道で下山する。歩くというより、ほとんど走っている自分に気づく。苦しくても走っている方が快感なのだ。フフフ。  
 ちょっと、これはランナーズハイの症状?つまり、またもエンドルフィンが分泌されてきたようだ。

 あっ、あの、俺は歩くのにも難渋するぐらい膝を痛めていたんじゃないのか。ところが、膝なんて全然痛くなかった。むしろ、背中へ羽が生えたように足取りが軽い。あっという間に奥岳登山口へ到着してしまった。

 今回の山行は軽い足慣らし程度のつもりで入山したのだが、なんだかとてつもなく長く、そしてドラマ性を秘めた愛と感動の?ストーリーになってしまった。

 というより、たいしたこともやってないくせに無駄に長い文章だという方が的を得ているやもしれぬ?

 過酷な走りこみにより、このひと月ほど苦しみ抜いた膝の痛みなのだが、今回の山行で、綺麗さっぱり完治してしまった。嘘のような本当の話である。

 科学的に、いや医学的にどういう根拠で裏づけされる現象なのだろう。まさか逆療法というわけでもあるまい。

 それとも・・・

 エンドルフィン?



FIN



2009.5.1UP



記事 北野一機



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