北海道ツーリングストーリー







「うひゃ、テントびしょ濡れだな」 
 思わず俺は叫んじまった。

 知床国設野営場の朝もひどく夜露にやられ湿気が多かった。ぶつぶつ文句をいいながらも飯ごうで米をとぎ火にかけた。蒸らしの段階に入るころ、ようやくヨッシーがテントから這い出してくる。お天道さまもギラギラと照りだしてきた。

 炊き立てのご飯にサンマの蒲焼の缶詰をぶっかけてヨッシーに差し出すと
「こ、これ喰うんスか?まるで犬の餌じゃないですか」
 と不満顔でつぶやいたが、
『贅沢言うんじゃねえ』
 俺が一喝すると彼は渋々食べ始めた。

 ヨッシーがパーコレーターで入れた食後のコーヒーを飲んでテント撤収。パッキングも済ませた。さて今日は俺の青春の想い出の地「屈斜路湖」周辺を辿る予定だ。

 朝靄煙る知床ウトロ側の海岸線を勢いよく走り出したら、勢い余って迫力満点のオシンコシンの滝を通り越してしまう。まあ、いっか。俺はまったく気にしないが、ヨッシーはこの滝を拝みたかったらしく、またもがっかりしていた。

 斜里の市街地を抜け、清里に入る。そして内陸部へと突入。大自然の緑の中、ワイディングを楽しんでいるうちに裏摩周湖展望台の標識を発見し、右折した。しかし、心配していた通り霧が出ていた。やはり今日も見れないのか摩周湖。思えば学生時代にも摩周湖へきたことがあるが霧でなにも見えなかった。

 マシンを停め、かなりドキドキしながら展望台へと歩いた。階段を昇ると・・・

 おー見えるぞお・・・

 凄い。幻想的で素晴らしい眺めだ。この世界一の透明度を誇る蒼の美しさよ。摩周湖を見ると男は出世が遅れ女は婚期が遅れるという迷信があるらしいが、この見事な光景はなんだ?出世なんて俺には関係ねえ。俺自身が納得のいく生き方がしたいだけだと摩周湖を見ながらそう誓った。

 裏摩周を出発し、大きく弟子屈方面へ迂回しながら阿寒湖へと向かう。昔、走りまわった道。想い出の道。緑の木々に囲まれた道。空は真っ青に晴れ渡っていた。思わず胸にこみあげるものがあった。

 阿寒湖へ到着。相変わらず観光客でいっぱいだ。

 時間は昼時、腹が空いた。奈辺久という店で阿寒湖名物のワカサギを揚げた「ワカサギ丼」をオーダー。シャキシャキっていう食感がたまらない。

 さて、今夜は宿をとろう。この頃は野営主体という旅のスタイルがまだ確立されておらず、キャンプ、とほ宿、普通の民宿、RH、ビジホなんでも利用し体験してみようという段階でもあった。

 当初、爆発的なカニ料理で有名なサロマ湖「船長の家」に泊まりたかったのだがあっさり断られた。やはり人気の宿はかなり前から予約が必要らしい(泊まったのはこの日から実に2年後)

 そこで、俺が学生時代から旅人の間でその名が知られていた旅人宿(とほ宿)「さろまにあん」へ問い合わせすると予約がとれた。後はあちこち立ち寄りながらサロマ湖へ向かえばいいだけだ。

 R240に乗り美幌町、そして美幌国道で屈斜路湖へと向かう。途中、美幌峠の上り付近でトロトロ運転のトレーラーが1台いて大渋滞。おまけにパトカーも挟まれているので皆、追越をする勇気がないらしい。

 自速10キロで走るトレーラーを抜いてもなんの反則になるはずもないので、俺は躊躇わず片っ端から(パトカーも含め)追い越した。もちろんパトカーは無反応。制限速度で走っていただけだし文句をいわれる筋もない。

 美幌峠展望台へ到着。屈斜路湖の眺めがとても素晴らしい。もちろん観光エリアにもなっていて車もバイクも一杯だった。マシンを停めると新潟ナンバーのドカティ乗りの変なジイサンが慇懃無礼な態度で話しかけてきた。自分の高級マシンの近くにゼファーを停めてくれるなみたいなことを言われ、かなりムッとしながら展望台へ向かう。

 学生時代、屈斜路湖に格別な思い入れを残す俺は、湖の全容の美しさに暫し時を忘れ感動する。あのあたりが和琴半島か。今はどうなっているのだろう。これから向かう和琴レストハウスに思いを馳せる。

 帰りにもドカ乗りのジイサンにまとわりつかれ、逃げるようにパイロット国道へ向かった。

 和琴半島に入った。ゆったりとした波が湖畔へ打ち寄せている。和琴露天風呂には立派な脱衣所が出来ており、歳月を感じさせたが、遠き過去の輝ける瞬間の思い出が次々と彷彿してくる。

 学生時代、ここで出会い熱く語り合ったみんなは今も元気なんだろうか。かぶおんちゃん、モリさん、フナバシ、エプロンさん・・・

 なにもかもがよき想い出ばかりだ。

 レストハウスの売店へ行くとオーナーのおっさんが「暑い」とぼやきながらベンチに横になっていた。相変わらずだな。俺は思わず吹き出した。

 レストハウスで飼っていた老犬チャロの話をし、昔ここで大変お世話になった者だというと本当に懐かしがってくれた。当然、具体的に俺のことは覚えてないが、なんとなく見覚えはあるとのこと。12年という長い月日の間にチャロは天寿をまっとうし、娘さんは嫁に行かれたそうだ。やがてかなりお歳をめされたばあさん(当時のおばさん)も現れて俺はもう感慨無量であった。 

 当時は、ばあちゃんがここのレストハウスを完全に仕切っていて千円でジンギスカン定食を食べさせ、さらにバンガローへ泊めてくれた。

 だが7年前から北海道ツーリングライダーのマナーや質の低下から、このようなサービスはやってられなくなり、本来のキャンプ場経営オンリーへ戻ったそうだ。

「今日はキャンプしていかないのかい?」
 オーナーのおっさんから訊かれた。
『あいにく、もう宿をとっちまったよ。でも近日中にキャンプしに来るからさ』
 と言うと
「ああ、待ってるなあ、自衛隊さん」
 自衛官じゃないって、ホントはしっかり俺のこと覚えてんじゃねえか(笑)

 詳しい経緯は大志を是非ご覧あれ。

 俺は静かに屈斜路湖和琴湖畔キャンプ場を後にした。



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