北海道ツーリングストーリー



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 なんだこれ?

 テントをたたんでいると底の裏側に小さい虫がびっちりとくっついていた。こりゃ、大量の蚤だろう。俺はこの環境のなかで熟睡していたのか。俺のテントの中で、たくさんの蚤がパンパン跳ねてる音がするよ。刹那に鳥肌がたった。確かにここは牧場に隣接したサイトだが、北海道って蚤がいないはずじゃないの?

 とにかく今見たものは忘れよう。そう、なにもなかったんだ。俺は、なにも見てねえぞ。さあ、今日も元気に出発だ(TT)

 ひたすら牧草地帯の道道236を走る。蒸し暑いが天気は曇天だ。やがて勇足という集落に入り、R242へ右折する。時折、ポツポツとシールドへ水滴があたる。このまま雨になってくれた方が涼しくなり、どれほど楽だろう。しかし、ツーリング中に雨を願うなど俺の過去の旅ではあり得ない話だ。

 やがて足寄を過ぎオンネトーへ。

 オンネトー。人を寄せつけない独特の雰囲気を漂わせていた。しかし、曇天のためイマイチ湖面の色の精彩に欠けるような気がする。

 まあ、でもここで野営すれば明日にも晴れて神秘的な色合いの湖面が見れるだろう。

 そろそろテントを立てるか。

 エゾマツに囲まれたキャンプサイトには既に幾張りかテントが立っていた。だがなんか変だ。そう、管理棟が閉まっている。

 そして1枚の貼り紙が・・・

「火山活動のため当分の間、当キャンプ場は閉鎖いたします」

 マジかよ。俺はここのキャンプ場に泊まって「オンネトー湯の滝」でまったりするのを非常に楽しみにしていたんだ。

「ここのキャンプ場は去年から閉鎖されているよ」
 がっかりしていると、近くに居たライダーが声をかけてきた。
『去年からか。でも結構テント立てているやつも多いんじゃないの』
「あれはつまり違法キャンプなんだよ」
 つうことは、おまえさんもゲリラということなんだ?

『俺らも違法キャンプすっか』
 俺はヨッシーに訊いた。
「止めた方が無難ですよ。なにか遭ったらマスコミに叩かれるし」
 確かにヨッシーのいうことには一理も二理もあった。ちょうどこの頃、川の中洲でキャンプしていた人たちが不幸にもダムの放水でテントごと流され多数の犠牲者が出たばかりだ。

 結局キャンプは、ここから比較的近い俺の古馴染みの和琴ですることにし、やむなくオンネトーを立ち去った。いつの日かここで必ずキャンプしようと誓いながら。

 そういえば、オンネトーのキャンプ場も和琴湖畔キャンプ場も’80年代のツーリング小説”振り返れば地平線”の舞台に登場した記憶があった。和琴ではセリカLBに乗ったヤンキーと一波乱もあったりと・・・

 途中、もろ観光地の阿寒湖へ立ち寄った。そして民芸品店を覗きながらアイヌコタンを暫し歩く。店頭には手作りの置物や木彫りの熊がたくさん並んでいた。

 木彫りの熊か・・・・・

 学生時代、オホーツクの宿の娘から木彫りの熊のキーホルダーを餞別にもらったな。懐かしい思い出だ。

 俺たちは、阿寒湖横断道路をワインディングを果敢に攻めながらクリアしていく。急坂・急カーブの連続だ。このテクニカルコース、なかなか走り応えがある。排気量不足ながら、ヨッシーも俺のスピードへ確実についてこれるようになってきた。

 しかし途中で、観光バスの牛のような速度に阻まれてしまった。追い越し禁止なのでストレスが溜まる。そんなこんなしているうちに弟子屈に入り、パイロット国道を再び風のように走り、一気に和琴湖畔キャンプ場へ到着してしまった。

「自衛隊さん、もう、北海道一周してきたのかい」
 オーナーが笑いながら呟く。
『いや、既に2周目だよ』
 煙草に火をつけながら俺が答えると、オーナーは吹き出していた。

 さすがにお盆の時期だけにキャンプサイトはえらい混みようでテントを立てるスペースを確保するにも大変な状況だった。どうにか僅かなスペースへテントを設営し、ほっと一息入れた。

 ところが、近くでレンタルテントを立てているファミキャンの連中のガラの悪さはどうだ?北東北弁(多分津軽弁か?)の訛りが強過ぎてなにを言っているかさっぱり解明できない。よく聞いていると酔って他人のバイクを直結するなどと喚いているようだ。そして勝手に人のバイクに跨り奇声をあげるとか好き勝手し放題。

 俺のマシンに指一本触れたら絶対に容赦しないとばかりにゼファーの上でウィスキーを飲みながら目を光らせていた。だがこの手の連中は、アメリカンが好きらしい。

『お〜いヨッシー、おめえのマシン狙われてるぜ』
 酔漢のひとりが、ヨッシーのドラスターのスッテップへ足をかけた刹那、俺は大声で叫んでやった。

『仲間の大切なマシンに手出ししたら、絶対に赦さないからな』
 俺は、茶髪でヤンキー風の若い酔漢の眼を凝視しながら怒鳴った。

 ヨッシーはかなり驚いていたが、酔男もそれ以上に驚き、なにごともなかったようなふりをして無様で慌てたアヒルみたいに逃げ去って行く。馬鹿め。

 その後、連中(女子供も含め)はキャンプサイトでロケット花火を打ち上げて、
「テントに引火して火事になったらどうすんの」
 オーナーのおっさんに怒られていた。しかし、金髪のヤンママたちも止めるどころか一緒に騒いでいるとは。なんつー集団だ。

 陽も落ちようとしている頃、酒を飲んでいないヨッシーは、ひとりで摩周湖第一展望台へ向かった。既に酔っている俺は
『絶対に霧で見えねえから止めとけ』
 と言ったんだが。

 やがて摩周湖に到着したヨッシーの携帯から連絡が入る。
「摩周湖、綺麗に見えてますよ」
『そうかい。そいつは目出てえなあ』
 俺が言った刹那に電波状況が悪く携帯が切れた。決してわざと切ったワケではない。

 夕食はレストハウスでジンギスカンを食べた。ここのジンギスカンの味も懐かしい。

 やがて12年前にお世話になったバアサンも登場した。当時の話をじっくりとし
『いつまでもお元気で』
 そう、言い残して俺はテントに戻った。なにもかもが懐かし過ぎるぜ。

 テントサイトで酒を飲んでいると向かいのテントのよく日焼けした若者が寂しそうにこっちを眺めていた。

『なあ、こっちで一緒に飲まないか』
 俺は、トホダーを誘ってみた。
「いいんスか」
 若者は意外に素早く移動してきた。酒を注いでやり話を訊くと、なんと4月に長野県の自宅を出発し、ここまで全部歩き通して来たそうだ。途中、車に乗せてやると誘われてもすべて断って。

 凄え。筋金入りのトホダーってやつだ。ゴールは宗谷岬だとよ。頑張れ、あと少しじゃないか。そして、その心意気に乾杯だ。

 俺は、かなり酔いしれシュラフに入った。

 例のガラの悪い連中の馬鹿騒ぎが深夜に及ぶまで屈斜路湖へ響いていたそうな。




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