北海道ツーリングストーリー



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 見事な景色だ。

 サロベツ原野にすっかり魅了されながら、うっとりとマシンを巡航させていた。この道道106は、このあたりの沖に浮かぶ天売島に僅かに棲息し、絶滅が心配されるオロロン鳥にちなんでオロロンラインと呼ばれている。

 ”世界最高の道”、これは後年、俺が勝手にオロロンラインへ思いを馳せて命名したものだ。 オロロンラインか。素晴らしいネーミングではないかとひたりきっているときに悲劇が起きた。

 アチチチチ・・・

 まっ、まただ。なんとまた首筋からハチが入ってきた。う〜イテー。ハチが俺のTシャツの中で暴れ周り情け容赦なく皮膚をえぐっている。二度目だから命を落とすかも知れん。傍から見ている分にはよほどおかしかったらしい。手をバタバタさせながらTシャツをめくり格闘している俺を見てヨッシーは「おもしろいパフォーマンスだ」と大爆笑していたそうだ。

 後日、温泉施設で胸から腹にかけてハチに刺された傷を確認すると北斗七星のカタチで7箇所あった。俺は北斗の拳のケンシロウかよ。そしてホルスタインの乳房のように異様に腫上がっていた。俺はなんでこんなことばっかりに遭うんだ?

 留萌到着。今夜はこの町の有名な夕陽スポット「黄金岬キャンプ場」へテントを立てるつもりだが、エンジンがまわると微量に漏れ出すオイルがさすがに気になっていた。そこで給油したスタンドに紹介されたバイク屋で診てもらうことにする。

「これ、いつから漏れてるの」
 店長の横暴な話し方がとても悪印象だった。
『はあ、旅の最初からです』
「なんでもっと早く措置しなかったの。ボルトが緩んでいるだけなら絞めれば治るが、そうじゃなければ部品交換だな。でももうお盆が近いからメーカーも休みだ。部品こないよ。どうすんの」
 今度は罵倒だ。どうにもなんないから診てもらいに来てんのに。しかし、今どき客にこんなんで、よく商売やってられるな。ぶちキレ寸前でかろうじて理性が働く。

 とにかく若い従業員を呼んでボルトを確認させるとどこも締まっているとのこと。どうやら最悪の事態になったようだ。
「自分でオイル交換して雑にボルトを締めるから、こういうことになるんだ」
 このオヤジの言葉にかなりカチンとくる。
『誰が自分でオイルを交換したと言った?バイク屋で交換したんだぜ』
 オヤジの目を睨み据えた。困っている人間を見くだす態度にかなり腹が立つ。
「そ、そうかい。じ、じゃあ、そ、そのバイク屋に苦情言うべきだよ。と、とにかくアメ車みたいにオイルをつけたしながら当面は旅するしかないね」
 そして1リットル2千円という高価なオイルを買わされる。しかも本当はボルトの緩みだけだったことが別のバイク屋ですぐに判明し、かなり激怒する。2千円ぼったくり。四輪なら大騒ぎになる事件だぜ。バイク屋の名前は伏せておくが、悪質なショップだと思う。

 気を取り直して黄金岬を目指す。ここがキャンプ場かよ。暫し走ると海水浴場に併設された狭く混雑したサイトだった。どうにもテントを立てる気になれず移動した。

 その後も思ったようなキャンプ場が見つからずに陽が落ちてきてしまう。

 増毛町へ入った。この町の「雄冬キャンプ場」を逃すとあとしばらくはキャンプ場は存在しない。最後の望みを賭けて雄冬へ到着。しかし、ただのパーキングじゃねえのか、ここ?キャンプ場とはとても思えないサイトへぶつぶつモンクを言いながらテントを設営する。

 しかしよく見ると簡単な炊事棟や水洗トイレもある。やはりパーキングじゃなくてキャンプ場だった。

 TMによると1808年(文化4)の西蝦夷日記にも記述されている歴史的な清水が存在するとか。じゃあ、飲んでみるか。

 「雄冬冷清水」、美味い。冷たくて実に美味しいぜ。この年の北の大地は連日猛暑が続く異常気象だ。この瞬間にも汗ばんでくるほどの異様な暑さである。タオルを冷水へつけて体を拭くと本当に気持ちがいい。

 しかも日本海への水平線に直接沈む夕陽は見事としか言いようがない。俺はこれほどの夕陽を未だかつて拝んだ経験はない。まさに感動的な光景だった。ヨッシーも上機嫌で美しい落陽の撮影へ専念している。

 気に入った。シンプルだが非常にナイスなキャンプサイトだ。

「ここにテント張らせてもらってもいいっスか」
 簡単な食事をしている最中、ヒッチハイク野郎や若いシャドウ乗りのあんちゃんらが次々に登場してきた。今夜の役者が揃ってきたぞ。

 その後、酒を飲みながら皆で歓談する。ヒッチ野郎は33日で133台の車に乗せてもらったというから凄いもんだ。彼はそろそろ旅を終え東京へ帰るそうだ。ちなみに32歳無職。

 シャドウ野郎は24歳。若い。まだ小樽に上陸したばかり。彼に礼文の話をすると少年の眼になっていた。島に渡る気になったようだ。彼もまた無職。思い切り北海道を旅するために仕事を辞めてきたという旅人が、まだ数多く存在した時代だった。日本にバカンスの風習が誕生するのはいつのことやら。

 彼らは本当に礼儀正しくて気のいい連中だった。楽しく語り合いながら時が過ぎていく。それにしても俺の旅はいつになったら終わるのだろう。長過ぎる。けど、あまりにも楽し過ぎる黄金時代でもあった。

 誰だ?前半ホームシックにかかっていた野郎は?



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