「キタノさん・・・・・」
 ミドリは呆然としていた。
「まっ、まさか、本当に会えるなんて」
『しかし偶然が続くなあ』
 ミドリは本当に俺の旅の行く先々でトランプのジョーカーのように現れる。

 余談だが、北海道ツーリング未経験者へは理解できないことかも知れない。「偶然の再会」は北の大地の旅ならではのものである。周るポイントや口コミ、キャンプ場の関係でロングツーリングになればなるほど旅人同士の「偶然の再会」は実に多いものなのだ。

「と、とにかく、少し一緒に飲まない」
 ミドリは軽く酔ってるようだ。
『まあ、俺も眠気が完全に醒めたからいっか』
 どうせ暫く寝れないだろう。
「今、ワインを持ってくるから」
 ミドリは慌てて自分のテントへ戻った。

 空を見上げるといつの間にか霧が晴れ今夜も星がとても綺麗だった。

 ミドリが飲みかけのワインを持ってきた。
「飲む?」
 ボトルを差し出した。
『いや俺は自分が飲む分の酒ぐらいはいつも持っている、まあ再会に乾杯だな』
 お互いのマグカップを合わせて乾杯をし、俺は一息にストレートで飲んだ。
「なにかあったの?」
 ミドリは俺の顔を覗き込むような仕草をした。
『なんで?』
 また一口酒を飲み込んだ。
「ずいぶん無理な飲み方をするから」
『・・・・・・・・・・』
 その質問には答えなかった。そしてゆっくりと煙草へ火をつける。

「わたし、お酒が強くないの。でも今夜は飲みたくなって無理してワインを飲んでたところなの」
 少しの沈黙の後、
『きみの方こそなにかあるようだが』
「ウフフ、それは、あなたのせいかもね」
 ミドリは悪戯っぽく微笑んだ。
「今朝、百人浜のキャンプ場でわたしの誘いを断わったでしょう。わたし、女としての魅力が欠落しているみたいでかなり落ち込んでいたのよ」
 彼女は冗談とも本気ともとれる言い方をしたが目元は笑っている。
『そうかい。でも俺は誰に誘われたって断わったよ。ひとり旅しに来てんだから』
「そんなもんなの。男ってもっとギラギラしたものかと思っていたわ。もしかして、あなた女が嫌いとか」
 呆れたような口振りだ。

『ギラギラした男か。そういうやつもいるだろうな。でも俺は違う。こう見えて誰よりも書物に親しみ、誰にもまして武道へ精進してきた現代のサムライのつもりだ。正直、そこいらの半ちくな旅人とは男の格、つまりモノが違う・・・なんて嘘だよ』

「え?あなたって本当は何者なの?」
『あまり言いたくはなかったのだが、俺はまるで逆の情けない男なんだよ。実は惚れ抜いた恋人にふられたばっかしで、うじうじと悩みながら旅をしている身の上なんだ』
 煙草の火を消し、もう一口酒を飲んだ。

「その恋人となにがあったんですか?」
『つまり、2年もつき合った女がな、いつの間にか取引先の営業の男と出来ちまった。そして先月結婚したんだ。最後は冷たくあしらわれたよ。わかり易くいうと二股かけられて捨てられたという最低のシナリオだな。でも以前は実によく尽くしてくれたんだ。俺は心から信頼していたよ。だから、彼女が俺に一番よくしてくれていた頃の思い出だけをとっておきたいんだ。別に現実逃避と言われても構わないぜ』
「あっ、ご、ごめん。余計なこと訊いてしまったようね」
 ふと会話が途絶えた。

 何気にミドリの顔を見ると泣いている。
「ほんとごめんなさい。いつもそうなの。自分の無神経が嫌になるわ」
 ほとんど無理矢理ワインを飲んでいた。
『くだらん話だ。気にしないでくれ』
 どうやら彼女は酔うと泣き上戸になるらしい。ミドリの瞳は息を飲むほど澄んでいた。吸い込まれそうな気もするし、浮世ばなれした素直な美しさも感じる。まるで天からの使いのような輝きだった。
『俺、ちょっと、しょんべんしてくるわ』
 彼女を泣かせてしまい、なんとなくいづらくなったというか、場の雰囲気を変えたいという気分もありトイレに向かう。

 しかし、俺はなんでこんな個人的なことを彼女に話したんだろう。他人にひけらかすエピソードではない。俺もかなり酔いがまわってきたようだ。そろそろお開きだなと用を足しながら思った。

 トイレから戻ると・・・・・

 なんとミドリが酔い潰れて丸くなって転がっているじゃないか。おいおい、この無防備さはいったいなんだ。俺がただの悪党だったらどうすんだよ?まったく手のかかるやつだ。やむなく俺は彼女を背負った。驚くほど軽い。そして昨夜よりは幾分マシになったが、雑な張り方のテントへ搬入し、シュラフの中に押し込んだ。
「カ、カズキ、ご、ゴメンなさ・・・・・」
 ウワゴトを言ったがそれっきり、また深い眠りへと落ちてしまった。
『おやすみ、ミドリ』
 俺はジッパーをキチンと下まで閉めて自分のテントへ戻った。それにしてもミドリっていくつなんだろう?学生じゃないと思うが妙に子供っぽいところがある。そんなことを考えながら、また数口珈琲酎を煽った。

 そして、いつの間にか俺の意識も消えていった。

 頭が痛い。早朝に目覚めたが夕べは飲み過ぎたようだ。とにかくバーナーでお湯を沸かし一杯のコーヒーを飲み終える頃になるとどうにか楽になってきた。悲しきキャンパーのサダメ、手が空くとすぐに作業したくなってしまう。テントの撤収作業をいつの間にか開始していた。そしてマシンへのパッキングを完璧に済ます。

 出撃態勢が整った・・・・・

 あっ、そうそうミドリに挨拶しないとと思い、彼女のテントへ向かったがジッパーが地面までしっかりと閉まっていた。まだ爆睡中だな。夕べはあれほど酔っていたから無理もない。悪いが先に行かせてもらうぜ。北の大地を旅していればいつの日か俺に必ず会える。心の中でミドリに別れを済ませマシンに跨った。

 霧が出ているが今日も暑くなりそうだ。アクセルをあげ、昨日に引き続き、北太平洋シーサイドラインの素晴らしい眺望を楽しみながら快走する。気温はぐんぐん上がってきた。花咲港近くの水産店では朝飯替わりに茹でたての花咲ガニを喰う。まさに絶品の美味さだ。一尾たったの千円とは信じられない安さである。

「お客さんは、どこから来たの?」
『横浜だよ』
「生まれも横浜なのかい?」
『いや、俺の田舎は福島です』
 詮索好きなオバサンに訊かれるままに答えた。
「じゃあ、会津の白虎隊のお〜」
『確かに生まれは会津ですが、白虎隊の子孫ではありません』
「でもさ、会津の人へなら、歯舞の昆布を差し上げます。そうしないと気がすまねえ」
 固辞したけど、やむなく受け取った。頂戴してもどう活用すべきか?

 霧の根室はかなり冷えたが、風連湖のパーキングで一服する頃には、真夏の太陽が戻ってきた。

 煙草を吹かしていると・・・

 髪をなびかせたBM乗りがPAへ入ってきて、俺のマシンのすぐ横へマシンを停めた。ウエアもビシッと決めたなかなかカッコイイ女性ライダーである。
「これから、どちらへ」
 ヘルメットを脱ぎながら声をかけてきたライダーは、60代ぐらいの矍鑠としたおばあさんだった。
『はい、知床半島です』
「途中、取締りとか多いので、お気をつけてね」
 そういい残して根室方面へ颯爽と南下していった。素敵な方だ。俺もいつの日か確実に老いるだろう。でも、いくつになっても俺は旅の中で輝いていたい。旅に輝きがある限り、旅人の軌跡は不朽のストーリーになり得るだろう。

 やがてワイングラス型の太陽が見れるという尾岱沼を通過する。国後島の山肌を見ながら羅臼町へ突入した。

 知床半島。ミドリもここへ来たがっていた。また会ったらどうしようと思いつつもなんとなく彼女の姿を探している自分に気づく。霧多布へ彼女を置き去りにしたようで、俺の胸が少し痛んだ。

 ふと思えば昨日は風呂へ入ってなかった。体がベトベトして気持ち悪い。よし温泉だ。知床は温泉天国だしな。まずは瀬石に行こう。羅臼の繁華街を抜けしばらく走ると海の中にある露天風呂が見えてくる。満ち潮だと海の中に沈んでしまうから頃合が微妙だ。幸い引き潮だったので管理者の家に一声かけて露天風呂へ浸る。熱いがとってもいい湯であった。瀬石ってアイヌ語でもやはり「熱い」という意味らしい。

 温泉でさっぱりした後、知床峠のワイディングを縫うように走破してウトロへと入った。



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