クッチャロ湖へ陽が落ち、どっぷりとあたりが暗くなってきた。

 テントを張り終えたわたしは、テントのなかへ籠城したわ。だって関わりたくないもん。クマちゃんに。でもなんだか気になるのよね。ちょっとだけ、ジッパーを開けて男を覗くと悠々と炊き火台の炭で肉を炙りながら、マグカップのお酒を飲んでいたの。

 怖いけど、ほんの少し絵になっていたわ。見た目のような悪い人って感じじゃないみたい。なんか寂しそうなオーラが出ていた。オヤヂの哀愁が漂うって感じかな?

『CBXか。いいバイクに乗ってるなあ。俺のうん十年前の愛機だったんだよ。事故で廃車にしちまったけど思い入れのあるマシンだ』
 慌てて頭をテントのなかに引っ込めた。え、なんで、わたしが男を覗いていたのがバレたの?ひょっとして武芸者?

『あんた、さっきセイコマにいた人だろ。オホーツクは真夏の夜でも冷える。遠慮しないで出て来いよ。火にあたれ。肉と酒ならある。火、肉、酒、さらに信じらないくらい綺麗な夕陽、まさに至高の宴じゃねえか』
 男はからからと笑っていた。

 どっ、どうしよう?怖いけど男の話を聴いてみたいわ。異邦人のような旅人の話を。とって喰おうというタイプじゃなさそうだし。えーい、ままよ。

「こんばんは、わたしは、さいたまのマッキーでぇーす」
 自分の声がかなりヘン。ヤダ!緊張のあまりうわずってしまったわ。そして、わたしはテントの前で直立不動の姿勢で固まっていたの。

『マッキーか。よろしくな。俺はキタノだ。福島から来たんだ』
 炊き火台の炭をかき回しながら、男は名乗った。
『キャンパーなら、マグカップ、シェラカップ、箸ぐらいはあるだろう。それも持って来いよ』
 有無を言わさぬ句調に
「あっ、はい」
 と吸い寄せられるように焚き火台の側の丸木へ腰かけてしまったの。

 網の上には、美味しそうなお肉が乗っていた。
『どうぞ、遠慮なく食べてね』
「いただきます」
 恐る恐る箸を出してつまむと・・・

 美味しい。なんて美味しいお肉なの・・・

 かなり恥ずかしいんだけど、バクバクといただいてしまったわ。トオルの手の込んだ料理も美味しいけど、キタノさんのシンプルなお肉はキャンプの味がしたわ。なんでもセイコマで購入した塩ホルモンというお肉らしい。

『よほど腹がへってたんだな』
 キタノさんは、ニヤニヤ笑ってるし。
「・・・・・」
 もう、穴があったら入りたいくらいだったわ。

『酒も飲むかい?』
「い、いえ、わたしは、あの・・・」
 わたしは普段、お酒は飲まないんだけど、キタノさんは、もう、わたしのマグカップに黒い液体を注ぎ、パーコレータで暖めたお湯で割っていた。不気味なお酒だわ。でも一口飲むと甘くてほんのりと苦い珈琲の味がした。そう、旅の味、野営の味というワイルドな感じかな。

 美味しいわあ・・・

『酒なら、まだ買い置きがあるから、いくらでも飲んでいいよ』
 じっと炭火を見つめながら、キタノさんは呟いた。

 陽が落ちて、ランタンの炎が周囲を優しく照らしている。湖の上空には美しい星が輝きだしてきた。時間がゆっくりと穏やかに過ぎていく。

 この夜のわたしは、いつものわたしじゃ絶対になかったわ。注がれるままにどんどんカップのお酒を飲み干しちゃったの。

 いろいろな旅の話をしたわ。キタノさんは、学生時代に北海道ツーリングにハマり、以来、毎年のように北海道ツーリングをしているそうだ。道内はもう網羅するように走っているみたい。離島巡りまでされたらしい。特に礼文島や知床、サロベツがお気に入りだとか。

 その内容が波瀾万丈で抱腹絶倒してしまうほど実に楽しかったわ。わたしもキタノさんのような旅ができたら、どんなにおもしろいかと本当に羨ましく思ったの。第一印象とこれほどギャップがある人を初めて見たわ。

 また意外に普通のサラリーマンで、奥さんや子供さんまでいらっしゃるそうだ。よく奥さんが、こういう旅を許してくれているって驚いたわ。わたしが、奥さんなら絶対に認めないけどね。

 わたしも酔った勢いで、いつの間にかモトカレ、トオルの話をしていた。

 一緒に北海道をキャンプツーリングしようって誘われて、ホントときめいたわ。事前に北海道ツーリングについて、トオルとふたりで調べる作業も楽しかった。早く夏になれって毎日思っていたの。

 そして、待望の8月になり、ふたりで大洗からフェリーで苫小牧へ向かったわ。苫小牧は雨だったけど富良野に近づいてくるにつれ、お天気も回復しきて最高のロケーションだったわ。美瑛の丘のあまりの美しさにわたしは涙が出ちゃって。

 キャンプもトオルがテントを張ってくれたの。料理も全部トオルがもの凄く凝った料理を作ってくれたし。料理が苦手なわたしの出番などまったくなかったわ。夢のようだった。本当に幸せな旅ができて嬉しいと心から思ったわ。

 でも最終日、トオルが突然怒り出したの。
「なんで、おまえは何もしないんだ!」
 って。
「俺は、そういう依存臭の漂う女が大嫌いなんだ」
 え?わたしには、なぜトオルが怒っているか理解できなかったわ。突然、キレるんだもん。

 そして、トオルは、ひとりで出発しちゃったの。

 取り残されたわたしは、泣く泣く苫小牧港へ向かったわ。けどトオルの姿はなかった。トオルは苫小牧〜大洗便をキャンセルして小樽から新潟へ向かったって、後で風の噂で訊いたの。

 さいたまへ戻ってからもトオルへは何度もメールしたけど、なんの返信もなかったわ。

 本当に落ち込んでいたわたしへようやく届いたトオルからのメールは・・・

「俺とマッキーは根本的に合わないようだ。別れよう」
 それっきり、トオルはメアドを変えたようだし。バイク屋の常連さんの話だと新しい彼女も出来たとか。

 でも、今年も北海道へキャンプツーリングに来ているのは、やはりトオルへの未練が断ち切れないのかな。一人前に旅していれば、きっと、わたしのところへトオルが帰って来てくれそうな気がして。

 キタノさんは、真摯にわたしの話を聞いてくれたわ。見た目はトオルと正反対だけど、とっても暖かそうな人柄のようだ。

「こんなわたしなんですけど、どう思いますか?」
 旅人キタノさんなら、わたしの気持ちをきっと理解してくれるわ。絶対慰めてくれると思ったの。

 ところが・・・

『そっ、そのトオル?ジャニーズ系は好きじゃねえが、俺もそいつと同じ意見だ。キャンプは平等だ。女だから、男がベテランだから、なんてイイワケなど一切通用しねえな。一緒にキャンプ旅するなら自ら最低限動かないと。なんで少しでも手伝おうて思わなかったんだ。なにもしないヤツはキャンパーの資格なんざねえよ』

 なんで、キタノさんまで、わたしを全否定するの?




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