「酷い雨だわ。もう、キャンプツーリングなんて嫌」
 宗谷岬からオホーツク国道を南下中、もの凄い勢いの雨にやられた。

 でも、浜頓別を過ぎるとなぜか雨があがってきたわ。
「今夜もキャンプするしかないか。わたし自身が決めたことだし」

 セイコマへ今夜のキャンプの食料調達に入った。自炊をするのは面倒くさいから、サンドイッチひとつとジュースだけ買って表に出ると信じられないぐらい大量の荷物を積んだ大きな黒いカワサキ乗りの男が駐車場に入ってきた。山賊?なんか凄まじい存在感というか、圧倒的なパワーが漂っていたの。

 サングラスをした男の動作はのろい。ゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってくる。どうしよう。でも特に害意はなさそうだけど。

 とにかく
「こんにちは」
 って無理に作り笑いを浮かべてお辞儀をしてごまかしたわ。怖くて、それしか言えなかっのが真相なんですけど。

 よく日焼けした男は、サングラスを外して、ギョロっとした意外にかわいい大きな目で、わたしを見つめたの。旅の匂いが濃厚に漂っていたわ。濃い、濃過ぎる。カウボーイのようなバンダナと薄汚れたジーンズ生地のジャンパー。この人、なんで登山靴を履いてるの?

 旅系って言うの?

 今まで、こういうライダーに絶対関わったこともないし、見たこともないわ。下品だけど、正直、わたしチビリそうになったの。

「おう、こんちは」
 なんだか拍子抜けしちゃった。だって満面の笑みを浮かべてるんだもん。

 男が店の中に入った瞬間、スロットルを慌ててあげて、クッチャロ湖畔キャンプ場まで逃げ出しちゃった。なんか山の中でクマちゃんに遭った少女みたいだと受付に着いたとたん吹き出してしまった。

 ここのキャンプ場って広くて気持ちいい。さっそくテントを立てて、さっきのサンドイッチをパクパクって食べちゃったわ。

 凄く綺麗な湖に映る夕陽のシチュエーションを楽しんでいたんだけど、気になることが・・・

 それは、こんなに広いキャンプサイトなのに利用者は、わたしひとりみたい。
「こんなのやだ。絶対に怖過ぎるよ。本物のクマが出そうじゃない」
 思わず、わたしは叫んじゃった。

 すると、遠くに炎が見えた。誰かサイトでテントを張ったみたい。なんだか救助隊が現れたようで、とても救われた気分。せっかく張ったテントを撤収し、パッキングし直して灯りの方向へ吸い寄せられるように走った。

「こんばんは、隣にテント張らせてもらっていいですか?」
 って言ってしまった瞬間、わたしの体は固まりました。

『おう、いいよう』
 存外、気さくな声が返ってきた。

 きゃーっ!

 さっき、セイコマで遭った、いえ出合ったクマちゃん。黒いカワサキ乗りの。襲われたらどうしよう。もうお酒(後年知ったことなんですが珈琲酎)を飲んでヨッパになってるみたい。わたし、こういう人って、生理的に受けつけないよ。トオルとは、まったく似ても似つかない正反対の男だわ。

『どうした?明るいうちにテントは張った方がいいぞ』
 男は武骨な声を張り上げた。

「キャッ!」
 どうしよう?今さら、やっぱ張らないなんて言えないし。結局、わたしは、ほとんどベソをかきながら、テントを広げてしまったの。

 なんで、こんな目に遭うの?そもそも女の意地だけで、北海道をソロでキャンプツーリングしようだなんて思ったのが、間違いだったんだわ。

 わたしはバイク、いえキャンプしてまで北海道を旅しようだなんて思うはずもない、普通の女子大生だったのよ。

 あれは去年の春、オートバイに乗った女性エッセイストの写真集を駅前の本屋で見つけたことから始まったの。わたしの体に電流が走ってしまったわ。だってカッコよかったんだもん。そして、わたしもオートバイに乗るって、すぐに決心したの。

 翌日には、近くのバイク屋さんへ行ってみた。免許もないのに。

 そして見つけてしまった。中古だけど運命のバイクに。凄く綺麗なスタイリングの赤白のバイク。まるで、わたしに乗ってくれって誘ってるみたい。

 CBX400Fっていうの。旧車っていうワリには、高額だった。かなり無理して、ローンの手続きを済ませたわ。

 翌日からは教習所通いの日々が続く。苦労したけど最短で普通二輪免許(旧中免)を取得できた。こう見えて、わたしは高校時代、中距離の選手で運動神経は抜群だったのよ。

 そして、その週末、バイク屋さんへCBXを引き取り向かった。

 購入したばかりのジェットヘルをかぶり、心配そうな店長さんに見送られ、スロットルをあげ、クラッチを離したら、いきなりエンストをしてしまった。かなり恥ずかしい。居合わせたお客さんたちからも大爆笑されちゃって。

 もう、わたしは完全に舞い上がって、立て続けにエンストを繰り返してしまって。どうしていいか分からなくなり、涙が落ちてきた。

「大丈夫ですか?送りますか?」
 これが、わたしのモトカレとの出会いだったの。

 ちょっと線が細そうなのが気になったけど、わたしが好きなアイドル系のイケメンだったし。そんなことより、
「よろしくお願いします」
 藁をもすがる思いで言うのが精一杯の状況だった。

 アパートの自転車置き場まで伴走してもらったけど、無我夢中で、その時のことはなにも覚えてないの。

 帰り際、彼が
「ぼくはカワダトオルっていいます」
 爽やかな口ぶりで名乗った。
「わたしは、ウチダマキです。今日は本当にありがとうございました」
 お礼を言うと
「じゃ、マッキーだね。今度、一緒にツーリングに行かない」
 と誘われたの。

 初心者のわたしにとって願ってもないことなので、ふたつ返事で了承し、トオルとメアドを交換したわ。

 トオルとは週末のたびにツーリングに出かけた。街中、あるいは峠での基本的な走り方、バイクのメンテナンスなど、トオルは実に親切にノウハウを教えてくれた。そして、ふたりが恋に落ちるのには、そう時間がかからなかった。楽しかったし、本当にトオルを愛してしまったの。

 やがて夏が近づいてきた。

 トオルから、あの運命のツーリングの話を持ち出された。
「夏の北海道へ、キャンプツーリングしに行こうよ」
 って。

 トオルとふたりっきりで、キャンプしながら北海道ツーリングをする・・・

 素敵だわ。

 でも、これが最悪のシナリオの序曲になっちゃうなんて。

 あの時は、知るよしもなかったけど。




HOME  INDEX