第3章 スカイバレー



最上川源流付近   


 スカイバレー


 スカイバレーは今年7月から有料が解除されなんと無料で走行できる。そのせいかコーナーには、走り屋がつけたらしいタイヤのスピンした跡が真っ黒になって蛇行していた。

 確かに走り屋が泣いて喜ぶヘアピンカーブの連続。とてもとても景色を楽しむなどという余裕はまったくない。右に左に小刻みにバンク、フルブレーキ、スロー・イン・
ファースト・アウト等、道は空いているが一応暴走にならない程度に留めつつ走行した。でもまあ、久々に熱き血が燃えたぎった。

 白布峠のパーキングで、煙草を一息ふかし小休止。この一服がたまらなく美味い。

白布峠P


 


滝展望台から
 やがて山形側へ県境突破。このあたりは東北有数の紅葉の名所と言われている。綺麗に色づいた木々に描かれた紅葉の秀逸さに目を奪われながら山を下る。

 しばらく愛馬を走らせると滝展望台だ。駐車場付近には、このページ冒頭の画像「最上川源流」の碑が建ててあった。ここが最上川の源流か。なんかちょっと感慨深い。さらに少し歩くと赤滝・黒滝が遠望できる。紅葉の景色とあいまって実にすばらしい眺望だ。

 しばし、まったりと景色に見とれる。 



 米沢側から逆ルートでスキーに来たことがある「天元台」付近を過ぎると白布大滝があり、愛機を停車させた。この滝は昔、修験者が滝に打たれながら修行したところらしい。近くでみるとなるほど。テレビの時代劇で見るシチュエーション。ちょうど滝の下に人間が入れるような型へ自然に
なっている。

 ご老人が、ずっと写真を撮影し続けているため、そのままモデルになっていただく。

 白布大滝からしばらく走ると、やがて収穫の終えた田園地帯となり、米沢市街へと突入していく。


白布大滝



上杉鷹山公
 米沢市内へと入った。大自然の中から急に町へ出ると時間や人の流れになんとなくついていけなくなる気がする。

 こんなときには、いきなり本丸突撃が兵法の心得。上杉神社へと向かった。しかし、謙信公以来の武門の名門中の名門の上杉家の陣屋跡(外様ゆえに幕府へ遠慮して天守閣は建てなかった)だけある。平日にもかかわらず観光客でごったがえしていた。

 強い日差しの中、駐車場から神社に参拝すべく歩く。途中、おそらく江戸期随一の名君であった上杉家10代藩主鷹山公の銅像があった。思わず拝礼する。
 


 どのくらい名君だったかというと・・・

 鷹山が養子となった上杉家は、当時財政困難の危機に瀕していた。鷹山は自ら勤倹の範を示し、人材を登用するとともに、学問を広め、産業の振興藩政改革に英断を振った。七卿の強訴や天明の飢饉など(領内から一人の餓死者を出さなかった)の不測の事態にもよく対処し、疲弊した民心の回復を図り、失墜した藩政を一新して米沢の窮地を救った名君である。

 かの有名なジョン・F・ケネディ米大統領が、最も尊敬する政治家は「上杉鷹山」だと賞賛してやまなかった事実はあまりにも有名である。

 鷹山公が家臣に示した和歌。

 「なせば成る。なさねば成らぬ何事も。成らぬは人のなさぬなりけり」

 万事について可能性を示す遺訓である。



                          上杉神社


 上杉謙信公は、天正6年(1578)3月13日、越後春日山城で逝去された。

 葬儀は3月15日、大乗寺良海を導師とし、壮厳を極めたそうな。遺骸は甲冑を着け、かめに納めて密封され、不識庵に納め、のち城内墓所に納めた。

 慶長3年(1598)上杉景勝公(2代目)が会津に移封されると、越後領主堀秀治が、その遺骸の移転を請う。景勝公、会津若松城内に御堂を造って移す。慶長6年(1601)景勝公米沢移封に伴い、遺骸を米沢城に移し御堂に納める。

 慶長17年(1612)祠堂を造営し、中央に遺骸、左に善光寺如来尊、右に毘沙門天を安置する。明治4年祠堂を改め、謙信公、鷹山公ニ柱を祀り、上杉神社と称し神祭を行う。明治5年10月2日神号允許、置賜県社に列せらる。


 明治9年5月21日、社殿竣工、遷宮祭を行う(5月21日、謙信公遺骸を御廟山移葬する。)明治35年4月26日別格官幣社に列せられ、摂社に鷹山公を祀り松岬神社とする。 


 大正8年大火にて類焼、同12年4月竣工。総工事費46万5500円、国庫交付金38万3500円(当時)。

 旧米沢城本丸の奥御殿跡に建てられており、松が岬公園の中央に鎮座している。

 設計は米沢市出身、日本建築学の権威者で、文化勲章受賞者である伊東忠太博士。


(資料:米沢観光協会)

上杉家の馬印「毘」が感慨深い



米沢牛のサーロインステーキ
 上杉神社への参拝を済ませ、静かに愛馬にまたがった。

 そろそろ福島に帰ろう。R13へ入り、栗子方面に向かうとするも腹が空いた。米沢と言えば「牛」っしょ。

 米沢牛のステーキを食べよう。旅は地のものを食べるのが鉄則だ。しかしこの旅、かなり贅沢すぎるような気もするが・・・

 女房の顔がちらついて気が引けるが、R13号沿いのレストランにて、米沢牛のサーロインステーキをオーダー。熟成された肉で実に美味いぞ!


大滝宿


 すっかり腹をつくって、R13を巡航した。やがて栗子峠を越えて福島県内へ戻った。

 そして大滝宿の看板が目に入った。よし寄ってみよう。昔は米沢街道の宿場町として栄えていたが、今はすっかり寂れているとか。僕も1996年頃、ここに来たことがあるが廃屋ばかりだった。

 しかし、廃屋がリフォームされ、いろいろなお店が開店している。復活の兆しありか?国道から反れて奥まで入ってみたが、人の住んでる気配を充分確認した。

大滝宿にて



倉庫?蔵?
 そして、倉庫のような蔵のようなレトロな雰囲気の建物もあり。

 犬に吠えたてられたことからも人が住んでいるんだろうな?

 なんかとっても不思議な雰囲気が漂っている。観光地かと言えばそうでもない。人の気配はすれど、その姿なし。

 八墓村か??


 もう、そろそろ国道へ引き返そうかと帰路へ着こうとしていと「洞窟水」の看板があり。

 ちょっと怪しそうなんだけど「どうぞ、ご自由に」という看板へつられ、愛機を停めて、しばし歩く。

 洞窟だ?文字通り、この中に岩清水が湧いているのだろうか?とにかく入ってみよう。 

洞窟水



洞窟内の岩清水
 そして洞窟へ突入。

 冷んやりとした空気が漂っていた。奥の水場には、コンコンと水が湧き出していた。自然なというか営業ムードも大いに感じるが確かに美味い岩清水だった。

 ここから池に水が流れているようだ。そして池の中の魚を勝手に獲るなとかいう看板もあった。そんなことするやつって、いるんかいな?

 と思いつつ、愛機に火を入れる。


帰路

 R13から通称「フルーツライン」へ右折してしてみた。

 家に帰る前に温泉へ入ってみよう。福島市内の奥地に「微温湯温泉」という一軒宿がある。

 ジャリが浮くながらもなんとかアスファルトの上を我慢して走った。しかし、やがてダートへ。凄まじいダートの登りだ。Uターンもままならない。昨年のキンムトーの惨劇が頭を過ぎる。ガードレールも消える頃、下を見ると谷底だ。諦めよう。この場は潔く・・・

悪路から帰る!


 男は引き際が肝心だ。きっぱりと微温湯温泉は諦め、次の機会へとすることにした。

 荒れ放題のダートを何とかUターンして、アスファルトへ戻った。安心感から、煙草を取り出し一息ついた。

 春日部ナンバーのおじさんが車で登ってきた。
「微温湯温泉って、この道ですよね」
『だと思いますが、僕のバイクでは無理でした』
 と言って別れた。


 まあ、そんなわけで自宅へ無事辿り着く。

 もうひとつの愛機「マジェスティー」や愛犬のコロが待っていてくれた。

 今回、もしかしたらオートバイでは始めての山形入りだったかも知れない。北の大地一点張りの僕だが、しっかり地元東北も旅して置くべきだと痛感した次第である。

 そして次回は微温湯温泉へのリベンジを最優先で果たしたいと誓う北野であった
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記事 北野一機