北海道ツーリング2016前編











受難その3






 朝は7時までぐっすりと眠った。久々の布団は実に心地よい。ゆっくりとシャワーを浴びて、朝食バイキングをがっつり食べた。天気も快晴で本日も暑くなりそう。

 ビジホをチェックアウトして、ショップまで歩いた。昔、名寄駅前には常設テントがあり、無料で泊めてくれていた。あれは1987年の初北海道ツーリングの時だった。天気が悪い日でとても助かった記憶がある。名寄泊はあれ以来だった。ずいぶん遠い時代まで来てしまった。なんて感慨に浸っているうちにD二輪商会に到着した。

『おはようございます。昨夜はどうもお世話になりました』
「おはようございます。ゆっくり休めたかい。部品が届いて仕上がるのは明後日の午後になりそうだな。それまでどうします。なにレンタカーを借りて、旅を継続する。う〜ん、それが一番いい選択かもしれないね」

 ゼファーは故障して動けなくなったが、筆者自身は充分動ける。旅を停滞させる理由はない。社長に駅前でレンタカーを借りてくる旨を告げ、徒歩で名寄駅方面に向かった。暑い。ぞんがいトヨタレンタリースまで遠かった。汗を拭いながら店内に入る。

 いらっしゃいませ。只今、大変混み合っておりまして、車種は選択できません。ビッツ4WDになります。よろしいですね。只今の11日10時〜13日の14時までということになりますね。保険料込みで2万3千円でございます。この時期、非常に混み合っているので延長は出来かねます。ではお気をつけていってらっしゃいませ。

 レンタリースを出るとD二輪商会へ戻り、ビッツに荷物をどんどん積み込んだ。

『それじゃあ、ゼファーをよろしくお願いします』
「どちらまで行くんだい。私はねえ、東北が好きで30回以上東北ツーリングをしているんだ。キャンプツーリングって楽しいよね。また稚内方面に戻ってキャンプし直すなんていうのも面白いんじゃないかい」
『ちょっとそれだけは勘弁してください』
 そう告げると社長も従業員の方も腹を抱えて笑っていた。

 よし、ビッツ始動。考えてみれば北の大地で四輪の運転するのは初めてだ。これが北のサムライの旅かよと知らないところでおかど違いの批判をされるかもしれないけれど、筆者個人の自由な旅の空だ。新たなる展開も大いに楽しもうではないか!





 とりあえずR239、通称”下川国道”で西興部〜興部まで、つまりオホーツク海に出よう。しかし、下川国道、交通量が少なくて走りやすい。またAT車のビッツ、クーラーが心地よく効いて、ラジオからはリオ五輪や甲子園大会の中継が聴けてあまりにも快適過ぎた。今までの超苦労しながらのゼファーでのツーリングはなんだったのだろうか。

 そんなことを思いながら天北峠のワインディングをクリアしていった。やがて道の駅”にしおこっぺ花夢”へ辿りつき小休止することにした。小さな道の駅だったけど、お盆前のせいか少し混み合っている。四輪の旅は確かに快適だ。でもやっぱりゼファーイレブンが恋しい。

 家人に愛機が壊れ、そしてその後の激動の出来ごとを携帯からメールしていた。

 ここ何日かね、暮れに他界したおばあちゃん(妻方)の夢を見ていたの。なんだかパパの身に何かよくないことが起きてるって伝えてくれている気がしていたわ。やっぱりそうだったんだ。いくらお金がかかったって無事ならそれでいいじゃない。でもきっとおばあちゃんが、パパに今は無理にオートバイに乗っちゃだめって教えてくれていたのだと思うわ。

 その返信を車中で読んでとても優しかった祖母の姿を思い出してしまい、また少しだけ込み上げてしまう弱いキタノの姿があった。





 天北国道をひたすらオホーツク海に向かって進んだ。四輪はクーラーも効いて確かに快適だけれども飽きてきた。こんなオッサンになって老いぼれた筆者なんだけど自撮りというやつをしてみた。なんだかずいぶんやつれているなあと思った。旅先でこんな危機的なアクシデントなど初めてなもんで、心身共に崩壊寸前のダメージを受けてしまう。





 ようやくオホーツク海側へ到達した。北に向かうか南下するか少し迷う。このまま北に向かって、また稚内はもう勘弁なんで南下することにした。

 有名なレストランとか食堂で昼食をして話題づくりをすればいいのかもしれないけど、あんまり食欲がない。コンビニでコーヒーとサンドイッチだけの簡単な昼食で済ました。

 海岸沿いを走り、網走湖方面へ向かうつもりが、どこでどう間違えたのか遠軽〜生田原〜留辺蘂とか内陸の国道を走っていた。ゼファーばかりか筆者の頭脳もいかれてきたらしい?そしてなぜか美幌国道を走行していたりする。

 かなり時間は押していたけれどもここまで来たら和琴湖畔キャンプ場を目指すしかないだろう。美幌峠から見た西陽に照らされる和琴半島は本当に美しく見えた。

 和琴かあ、何もかもが懐かしい・・・






 というわけで、和琴湖畔キャンプ場へ到着するも凄い激混みだった。現在、8月11日だ。まだお盆には突入していない。なのにこんなに混み合うとは想像を超えていた。

 湖心荘にはもう駐車スペースはない。とりあえず進入禁止ぎりぎりのスペースにビッツを停めた。

「こんにちは。当キャンプ場をご利用ですね。本日は大変混んでいるのでここで荷物を降ろして、リヤカーで荷物を運んでいただきます。お車は少し戻りますが公共の駐車場の方にお停めください」
 若いおねえさんから声をかけられた。
『そうですか。了解しました。ぼくは本当は福島のライダーなんだが愛機のレギュレーターというやつが壊れちまってねえ。レンタカーで移動しているんだよ。レッカー代7万5千。バイクの修理代は8万円近くなるかな』
「私は、このキャンプ場のヘルパーです。私も宮城から来ているライダーなんですよ。レギュレーターですか。それにしても痛い出費ですねえ。わっ、お車の中、ツーリング用具一式がそのまま詰まっているじゃないですか。なんとお気の毒に!ほとんどテントを張るスペースがないほど、混み合っていますが、なんとか場所を確保しましょう」
 そう言って、スペースを探しに行ってくれた。

「なんだ福島の自衛隊さんか。久しぶりだなあ。なにバイクが壊れてレンタカーでまわってるって。しかし、あんたが四輪でここに来るなんて真夏の夜の珍事だなあ。ワハハハハハ!とりあえず、ここいらのスペースならなんとかテントが張れるだろう。ゆっくりしたいなら、もう少し早めに来るか、後にずらさないとこんな目に遭うんだ。まあでも、のんびりしていくといいよ」
 オーナーのおじさんが、笑いながら自転車で奥のサイトの方へ駆けていく。

 しかし、和琴の夕陽は相変わらずお見事の一言に尽きた。





 そんなわけで、わずかなスペースにテントを張った。今宵は混んでいるのでタープは諦めよう。

 ああそうそう、まだ受付をしてなかった。管理棟へいこう。ところが売店のあった部分はシャッターが降ろされていて、昔のレストハウスの入り口の戸は開いている。

『あれ〜、こっちが受付になっていたんだ?」
「もう、去年からこのスタイルになっているんだよ。久しぶりだね。おにいさん」
 いや、もう売店のおばさんからおにいさんと呼ばれるにはいささか薹が立ってしまったけれども。

『今夜から1泊で宿泊をお願いします』
「あら、今年は短いんだねえ」
『まあ、いろいろ事情がありまして。とにかくお世話になります』
 そんなわけで、テントの前でご飯を食べながらビールをしこたま飲みました。

 やがて、ハイボールに切り替えた頃、相当ヨッパになってテントに入った。

 そして、あっという間に爆睡・・・

 この頃から、旅の記録が停止してしまった。ここまで、記録を残していたという事実の方が奇跡的だったやもしれない。

 お休みなさい!



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