北海道ツーリング2016前編











受難その1



 5:50にぐらいに起床した。どうやら身体にだいぶキャンプ旅が馴染んできたようだ。

 早朝の凛と引き締まった空気の中、トーストと熱いコーヒーという簡単な食事を済ませた。

 近くの水道で洗顔をしていると、後ろから肩を叩かれる。

 よう、キタノさん、来てたのかい。こっちは、西興部のキャンプ場から移動してきたばかりなんだ。これからどこに行くんだい。なにクッチャロ湖方面かい。稚内でオイル交換したいだあ?ああ、この店なんてどうだい。でもよう、ボッタクリって書いてあるよう(笑)まあ、洗顔中邪魔したね。気をつけてね!

 おとうだった。

 そうか、ここのキャンプ場は、おとうがシーズン券を購入するほど常連のキャンプ場だった。多分、例のスナックにはウイスがボトルキープされていることであろう。

 お互い苦笑いしながら別れた。

 次に来る時は、久々にエルムにボトルを入れてしこたま飲んで、ガンガン松山千春の曲を歌いまくるかあ〜

 そして、テントを撤収し、パッキングを完璧に済ませ、オロロンラインのクライマックスに向け、スロットルをあげた。もしかしたら、北のサムライと愛機ゼファーもクライマックスに突入していたかも知れぬ?

 雲海の上の利尻山山頂の光景がとても美しかった。





 このあたりで、デジカメのバッテリーが切れてしまった。やむなく予備のデジカメを出す。バッテリーは、シガーソケットに繋いで充電を始めた。思えばこれも後の悲劇の遠因になるのかなあ?

 ここは、抜海岩あたりだ。ついでに撮影しておこう。十数年ぐらい前まで真下に民家があった記憶もあるのだが、今はもうなにもない。

 アイヌの伝説もある。昔、このあたりに仲の良い夫婦が暮らしていたそうな。ところがある日、大喧嘩をしてしまい夫は他の女性と舟で宗谷海峡方面へ出てしまったそうな。それを見た妻は怒り狂いこの岩に登り、海が荒れるよう懇願した。するとたちまち大暴風が起き舟は沈んでしまい、二人は死んでしまった。

 それ以来、この岩に登ると宗谷海峡が荒れてしまうといわれるようになったらしい。

 やはりぼくの今回の旅のトラブルは妻の祟りかも?・・・

 ピー





 抜海岩の麓には、抜海岩陰遺跡という海食小洞が存在する。先史時代の生活の場だったようだ。先史時代っていつ頃か?まあ、大和民族が文字をもつ前の時代だということは間違いないだろう。本州の縄文時代の末期あたりなのかなと勝手に想像してしまった。

 1963年に発掘調査され、オホーツク土器が大量に出土されたそうだ。

 実は狩猟民族は乱獲さえしなければ、農耕民族と違い飢饉がないので、ぞんがい安定した日常生活を送っていたそうな。鮭マスは無尽蔵に獲れるし、アザラシなどの海獣を生で食べればビタミンCを補給できる。鹿や兎もたくさんいた。もう少し、歴史を遡ればナウマンゾウまで存在している。

 北海道、樺太、千島に暮らしていた古代オホーツク人の生活の場は、もしかしたらユートピアだったのかもしれない。





 続いて、抜海駅に行ってみた。

 何年か前のNHKのドキュメンタリーで観た記憶がある。いわゆる秘境駅というやつで鉄道マニア垂涎のエリアらしい。毎年、年末になるとわざわざこの駅を目指して本州からやってくる旅人がいるそうだ。サロベツ原野の真っただ中にある無人駅、なにもないからたまらなくいいそうだ。

 筆者としては、長年胸につかえていた宿題が次々とクリアされていったのでさっぱりとした気分になったぜよ。

 今のところは・・・





 まだ昼には時間があるけど、そろそろお腹が空いてきた。昨年同様、”漁師の店”で昼食を摂ろう。というわけで、ノシャップ岬近くのお店に入ると先客が何人かいた。

 オーダーしたのは、ウニ丼と宗八ガレイ、ツブ貝である。これも昨年同様なんだが、どれも格安で美味しい。

 すっかり満腹となり、ゼファーのセルをまわした。

 この夏、北のサムライをさんざん苦しめた悲劇の序曲はここから始まった。

 あれ?最初に少し、反応があっただけでエンジンがまったくかからない。セルが動かないのだ。やっちまった。これはバッテリーだろう。バッテリーってやつは、いつどこでダメになるかまったく読めないのだ。とりあえずJAFに連絡した。

 荷物を降ろして待機していると、

「キタノさんですか。JAFの者です。さっそくケーブルを接続しましょう」
 感じのいい30代ぐらいの男性だった。
『よろしくお願いします』

 とりあえずジャンピング作業で応急処置をしてもらうとゼファーは蘇る。

「アイドリングを高めにして、40号沿いのオートバックスまで行くともし
 かしたら、このバイクのバッテリーを取り扱っているかも知れません」

『お世話になりました。行ってみましょう』

 エンジンを切らずに(この場合、すぐにエンジンを切ったらまた動かなくなるので)もう一度、パッキングをしていた。

「あのよう、店の中まで排ガスが入ってくるからよう、よそで作業してくんないかい。あっち行けよ」
 メディアでは、人情が売りの店主から苦言を呈された。まあ、確かに仰せの通りなんだがこういう言い方をする人だったんだ。ついさっきまで利用していたお客なのに。また、TVの前だけではイイカッコしてたオヤジだが、現実にはダメだこりゃ。偽善?もう二度と来ることなどあるまい。まあ、筆者のイキザマはいつもこんなもんだ。日常でも非日常でも俺はこういう扱いに慣れている。

『わかりました。今すぐバイクを移動します』

 店の前から細い路地までゼファーを移動させ、パッキングを完了させる。

 しかし、故障するのはしょうがないけど、なんで日本最北の街で壊れてしまうのだろう。もう、毎年、こんなことばっかしだ。なんて思いながら、スロットルを握っていると・・・

 パン、パン、パーン・・・

 ミスファイアが連発している。明らかに愛機の様子がおかしい。単純にバッテリーがいかれただけではない気がした。

 そして、信号待ちで、またエンジンストップだ。セルはまったく反応してない。

 旅先で、本当にただ事ではない事態に陥ったと思いながら、再びJAFに連絡した。





 JAFは混み合っていて1時間ぐらい到着に時間がかかるそうだ。それは致し方ないことなので、現在地の情報をお知らせする。

 待っている間に自転車に乗った老人にいろいろ声をかけられたり・・・

 なんだ福島からバイクで来たのかい。そりゃ、ずいぶん遠くからだ。なに?バッテリーがダメになった?そりゃ難儀なことだ、去年、東京に住むうちの息子も四輪だけど、やっぱりバッテリーがやられて稚内からの帰りにずいぶん苦労したそうだ。JAFが間もなく来るのかい。うまく動くようになるといいねえ。

 ところで東京のうちの息子がね・・・

 というより、本当に困った最悪の状況なのに、どうして昨今の老人って異様な好奇心だけで、無差別に声をかけてくるのだろうか?暇なんだろうけど、見たこともないGGの息子の自慢話など聞きたくなかった。結局、息子の話を一方的にしまくって立ち去った。

 なんてイライラしているうちに・・・

「やっぱりダメでしたか。オートバックスは、あと2キロぐらいなのに惜しかったですね」
『どうも何度も来ていただき申しわけありません』
 そして約2キロ先のオートバックスまで辿りついた瞬間にバッテリーは尽きた。

 オートバックスの店員さんにゼファーのバッテリーの在庫を確認してもらったところ存在しないとのことであった。お客さん、でもね、市内にはサイクルとバッテリー専門の店があるので、問い合わせて見てはどうですか。電話番号も調べましょう。

 なんてオートバックスの店員さんは親切なのでしょう。

 さっそくTELしてみると・・・

 その型番のバッテリーは扱ってないが、古くなるけど他のバッテリーで代替できるかも知れない。なんとか自力でうちの店までバイクを持ってきてくれれば対応しましょう。

 というわけで、バッテリーを外して2時間ほどオートバックスで充電してもらう。「バッテリーは、1200ボルトまで回復しているので、おそらく大丈夫でしょう」

 と、店員さんが仰せなのだがそれでもセルがまわらない。強制的にジャンピング作業で繋いだらようやくエンジンがかかった。

 オートバックスの店員さんに親切に対応してくれたことを謝し、スロットルをあげる。カウンターのお姐さんが、なんとバッテリーのお店までの地図をプリントアウトしてくれていた。

 MAPの通りに順調にバッテリーの店に到着。そしてまたここでバッテリーが尽きた。もう、なにをやってうまくいかない。

 電話をもらってすぐに来るのかと思ったらずいぶんかかったね。もう少し早ければメーカーに注文出来たのだが、あいにくメーカーもそろそろ盆休みだ。ちょっとキツイかもしれないなあ。まあ、代わりに昔の液バッテリーをつけて様子をみるか。そっちのバッテリーは、預かって今夜充電などをして見てみよう。とりあえず、保証金として1万5千円置いてって。あとテントを持っているなら森林公園キャンプ場に泊まるといい。明日エンジンがかからなかったら、下り坂を利用して押しがけでエンジンをかけるといいよ。

 昔の液バッテリーでどうにかエンジンはかかった。ご主人さんによろしくお願いしますと一礼してキャンプ場に向かった。

 稚内森林公園・・・

 久々に訪れたけど、本当に山の上なのだ。上の画像は翌朝撮影したもので明るいけれども実際は周囲が暗くなりかかっていた。けれどもテントとタープをなんとか設営終了する。

 タープを設営中、隣のテントの方がいつの間にか接近していた。多分、ライダーさんなのかなあ。連泊しているようだ。

「こんなに風が強くてもタープを張るんですか」
『はあ、ちょっと設営に苦労してますが、なんとかなりそうです』

 そういうと彼はご自身のテントの中に消えていった。

 風の中でタープを張る作業ぐらい、この最狂のマシントラブルに比べればあまりにも楽勝過ぎる。

 近くのファミキャンの子どもたちは、大騒ぎをしていたが保護者に促されると20時には就寝したようで静かになる。

 ぼくはコンビニで買ったおかずを食べながら、ビールやウイスキーを早いピッチで飲んだ。稚内の夜景を見ながら急速に酔いがまわってくる。とてつもなく長い1日であった。

 明日の筆者の運命はどうなってしまうのだろうか?

 もう、思考能力が追いつかない・・・

 さすが稚内。夜はかなり冷えるなんて思っているうちに意識が消えた。



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