北海道ツーリング2015
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ネットの理不尽?
やっぱり7時ぐらいに起床。早寝しているのにいくらでも寝れるダメな野郎と化してきたようだ。さっそく洗顔し、髭を剃った。2階の大部屋に戻り、外を見ると雨は降ってないけれど、どんよりと曇っている。 本当にこの旅では、1日中晴天だった日などまったくなかった。というより、北の大地の天気が、ここ何年か変だと思う。確かに昔から周期的に冷夏とかやってきたけど、もっと根本的におかしくなって来ているのではなかろうか。 「ご飯ですよう〜」 1階から村長の声がした。 今朝のおかずは、目玉焼き、ウィンナーと野菜サラダだ。こういうスタイルの食事も結構好きだ。もちろん納豆が好物だという事実には変わりはない。なにせ納豆の消費量が全国一の福島県民だもの。子供の頃は、大豆を藁にくるんだ自家製の納豆を食べていた記憶がある。正月には、納豆に醤油と砂糖を入れ、餅にからめて食べていた。いわゆる「納豆餅」というやつだ。 おっと話が逸れてしまい失礼! |
テーブルを挟んで向かいのコウダさん(↑画像)は、チャリダーだけあってよく食べる。てんこ盛りのご飯をお代わりしていた。まあ、このぐらい食べないとチャリダーは体力的にやっていけないだろう。なにせご飯はチャリダーのガソリンと言われているぐらいだ。 キーボーさんの息子さんは、食が細いらしく、食べ終わるまで居残りを毎回命じられている。がんばれ少年よ。筆者も小学校の低学年ぐらいまで、肉が嫌いでご飯もそんなに食べれなかった。きみのその姿に非常に懐かしさを感じたよ。 筆者も給食を完食できずに担任から居残りを命じられ、しょっちゅうお昼休みが消えてしまった。それでも中学ぐらいから徐々に食欲が出てきて、高校から完全に大食漢になった。高校3年間で、身長が25センチ伸び、体重は30キロ近く増えた。柔道部だったので腕力も筋力も大いについた。 本日も村長の体調がよくないので、宿主催のツアーはお休みだ。食後、キーボーさん一家は、黒松内方面へと出かけて行った。 食後、大部屋にコウダさんがいらして、旅について熱く語り合った。どうせなら、昨夜ここで酒を酌み交わしながら情報交換をすべきであったと大いに後悔したが、まあ後の祭りだし、またいずれそういう機会がやってくる気がした。 コウダさんは、筆者よりいくつか年長の温厚な紳士である。昔は製薬会社で営業をされていて福島県内にもいたことがあるそうだが、脱サラして、福岡で人形師になられた。なんでも真田幸村の人形の大作を仕上げたばかりとか。 体重が100キロぐらいあり、旅の途中でよく前輪がパンクして難儀しているそうだ。若い頃は、北海道ツーリングライダーで、バイクでもずいぶんキャンプ旅をしていた。カムイワッカの湯の滝もメジャーになる前で、本当にパラダイスのようなスポットだったらしい。 渡道前に青森の恐山にも立ち寄ってきたらしく、かなり異様な雰囲気を感じたそうな。実はコウダさんは僧籍に入っておられて、その道の修行もずいぶん積んでおられる方なのだ。 筆者は、摩訶不思議な出来事にあまり関わりがなかった人間だったのだが、これだけ歳を重ねてくると人の死期が微妙に見えてしまったり、デジカメ画像に妙なモノが写ってしまう現象にいくつか遭遇している。 まあ、ここで詳しくは書けないけど、コウダさんからなるほどというお答えを頂戴した。 『いってらっしゃい!』 これから、ニセコパノラマラインに入り、ニセコ湯本温泉を目指すというコウダさんを宿の前から見送る。時間は既にお昼近くになっていた。僕も出かけないと。 |
筆者の行先は余市だ。実は3月までNHKの朝の連ドラの”マッサン”にいたく感動していた筆者は、あらためて余市を訪ねたい。かなりミーハーな理由だけれど。 まあ、バイクの運転があるんでニッカのウイスキー工場の見学は無理だが、久々に燻製屋で舌鼓をうちたいものだ。 というわけで、ナビを余市にセットして出発した。天気は曇天、少し肌寒い。時々、ぱらぱらと弱い雨にやられた。それでもめげずにスロットルをあげ続ける。 ところが・・・ なんか変だぞ?なんで喜茂別のきのこ王国を通り過ぎていくんだ?とにかく、ナビの指示通りに進んでいくと・・・ 中山峠のレストハウスではありませんか! このままじゃ、豊平峡とか定山渓、さらには札幌まで行ってしまうではないか。あやうくレストハウスに右折した。 あまりにもナビに頼り過ぎるから、こういう結果になってしまうのだ。やはりマップとうまく併用しながらルートをセレクトするのがベストだと反省した次第である。 トイレ休憩だけを済ませて、やむなく小雨の同じ道を引き返す北のサムライの姿あり。やっぱり、どう見てもその姿は「落武者」だったと思うなり。 そして、途中、筆者の腹はペコペコに減っていることに気づいた。もう、餓死するかもしれない。ちょうど喜茂別のきのこ王国の交差点近くのドライブインが目に入った。このあたりは何度も通っていて、ドライブイン羊蹄(冒頭の画像)は知っていたが、立ち寄ったことはない。いい機会だ。ここで食事をしてみよう。 「いらっしゃいませ」 オバサンが水を運んできた。 『ジンギスカン定食をお願いします』 「はい、ジンギスカン定食ですね。かしこまりました」 すると、ほぼ同時に入店した作業服を着た、少しガラの悪いオジサンたちも「こっちもジンギスカン定食とビールをくれ」と叫んでいた。もしかしてだけど、メニューがいっぱいあるのに筆者の真似をしたな? ところで、↑のゲーム機、なんと懐かしい。これは絶対に昭和の遺物だと思う。麻雀ゲームなのだが、この形のゲーム機が昔の喫茶店にはたくさんあった。筆者が、高校生の頃、インベーダーゲームで、さんざん名古屋打ちをやったのもこの機種だった。 もう2度とは還ってこない硬派キタノの青春時代の思い出に暫しひたる。 |
「お待たせしました」 オバサンがジンギスカン定食を運んできた。 鉄板から、ジュージューという肉や野菜が焼ける音がしている。タレは別の器に入っていた。一口肉をタレに絡めて食べると旨い。 マ・イ・ウ! これです。28年前、屈斜路湖の和琴レストハウスで食べていた北海道の伝統的なジンギスカンの味だ。なんというか、本州で食べるジンギとはまるで違う、いや昔から北の大地でしか食べれない独特の味なのだ。 実は、先日のSW中、1泊2日だが1999年に一緒に北海道ツーリングをしたヨッシーと南会津の桧枝岐にキャンツーへ行ってきた。帰りがけ、旧田島町に美味しいジンギスカンを販売しているお肉屋さんへ立ち寄った。ここのお店だけは、ドライブイン羊蹄の味にかなり共通しているかもと思ったのは後日の話だ。 |
動き出したのが、午後からだったので、既にいい時間になっていた。もう、ニセコへ戻ろう。 曇天で肌寒い道を北のサムライが引き返していく。やがて、ニセコ駅前に到達した。ここまで来たら綺羅乃湯で、汗を流していこう。ここは、いい湯なのはもちろんだが、500円という低料金と駅前の利便性がよいと思う。 アンビシャスに戻った。今宵の夕食のおかずは、ハンバーグである。箸で押すとジューシーな肉汁が溢れる。実に美味しい。すっかり満足しましたぞ。 今宵の宴会のメンバーは、キーボーさんファミリー。横浜ナンバーの年配ライダーさん。千葉の山ガールさんでした。 筆者が余市で燻製料理でも食べてこようかと思ったのだが、なぜか中山峠に出てしまったと経緯を話すと・・・ 「余市は、3月までのドラマ”マッサン”の影響で凄く混んでますよ」 キーボーさんの奥さんが言った。 『確かに、ニッカのウイスキー工場とかは無理ですね。バイクもあるし』 僕が言うと・・・ 「バイクを置いてウイスキー工場で飲んで電車で帰ってこいー」 老人ライダーがいきなり怒鳴った。 一瞬、周囲がシ〜ンとなり場の空気が固まった気がした。ドン引きなんですけど。 翌朝にも駐車場でパッキングしていると、こんなことがあった。 「ゴロウさん、今日はどこに行くの?」 『函館とか道南方面にしようかと考えています』 村長とそんな話しをしていたら、ジイサンが突然会話に割り込んできていきなり怒鳴った。 「ここだって道南だあー」 誰?この知らない荒れ狂った変な老人?赤の他人になんで因縁ばかりつけてんの? 『ニセコは普通に道央ですが』 というと、悔しそうな歪んだ顔をしながら消えて行った。 約1年後、「永久ライダーのくせに宿では顔見知りとばかり固まり、一見さんの自分は無視された」といい歳して2chに匿名投稿していた事実が発覚した。あちこちで、永久ライダーの悪口を吹聴していたらしいよ。本当に情けねえ老害だなあ。他の宿泊者に危害を加えるようなら北海道ツーリングなどやめなさい。 どうやら、ネットで読んだことのあるサイトの作者にかまってもらえなかったから悔しかったらしい。俺がな、こんな旅人の最低限の仁義を知らないような奴に絶対に関わるはずがないじゃん。だから”ねらー”とか”老害”ってキモイし、キライだ。筆者は、自費で正々堂々と北の大地を旅する一般の旅行者ぜよ。怪しい顔の匿名ジイサンなんざぜんぜん関係ねえだろう? 人として、これほど卑劣な話しなど聞いたことがない・・・ おっと夜の飲み会に戻る。 千葉から来られたという山ガールさんは、なんと明日、単独で羊蹄山登山にチャレンジするそうだ。実は、これだけニセコに来ている筆者ですら一度も羊蹄山に登ってない。筆者も登れるものなら、登ってしまいたい。そんなことを言っていると・・・ 「一緒に羊蹄山に登りますか。登山口まで、車にお乗せしますよ」 魅惑的なお誘いを受ける。 しかし、今回は羊蹄山の山地図も持参していない。なにより、今宵言われて、明朝から登るで済む山だなんて決して思えない。村長も利尻山に匹敵する山だと言っているし。 申しわけないが、今回は見送らせていただくことにする。 尊敬する冒険家・植村直己も実は大変な慎重派だった。僕のシリエトク踏破も5年越しの綿密な計画だったし、経験済のAOさんが同行してくれたから決行できた。ひとりだったら、やめただろう。 というわけで、驚愕するほどのイレギュラーな展開もあったけれども、総じていろいろな話題で盛り上がった宴会も今宵はオヒラキとなりました。 なんだか、とてつもなく長い1日だった。 |