北海道ツーリング2015











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五稜郭



 やっぱり7時ぐらいに起床。自宅でも普段は6時前には起きているんだけど、なんとなくダレて来ているなあ。お天気は晴れていた(今のところは)。そして、だらだらと洗顔を済ませた。

「ゴロウさんも羊蹄山を登りに行っちゃったのかなあ」
 村長が心配して大部屋を覗きにきた。
「あ〜、いたいた」
 と安心しておられる様子。大丈夫、昨夜話した通り、ぼくは今夜企画の明朝出発などという本格山行はしませんよ。

 朝食のおかずはシシャモだった。ご飯のお代わりまではできなかったけど、大変美味しく頂戴しました、ご馳走様でした。食器を下げる作業を手伝ったあと、出発の準備に入った。





 残りの日程は、あと2泊だ。本日は函館方面へ向かい、道南のどこかで野営するつもりだ。最終日の明後日にニセコのアンビシャスに帰ってこれるかどうか微妙な状況である。まあ天気次第では最終日までキャンプを続けるやもしれない。とりあえずユミさんに料金を精算し、明後日にお世話になるなら連絡を入れるとだけお伝えした。

 ここで、キーボーさんファミリーとはお別れだ。テントはアンビの駐車場で乾して、もう1泊しませんかとキーボーさんから誘われたが、当初の目的である稚内から函館まで縦断することを達成したい。また来年お会いしましょう。

 以前に書いたかもしれないけど、キーボーさん夫妻は若い頃、ここアンビシャスでヘルパーをされていた時に知り合い結婚に至ったそうな。素敵だねえ。あんまり、昔は昔はというのもなんだけど、一昔前は夢やロマンがたくさんあった時代なのだ。

 別れ際に1枚、キーボーさんファミリー、ユミさん、珍しく筆者も一番手前に写っている。

 さて、行くか・・・

「いってらっしゃい」
『いってきます』
 皆さんから手を降られながら、マシンがゆっくりと動き出した。





 暑くもなく寒くもなく爽やかな羊蹄国道を南下していく。暫くすると道の駅「らんこし・ふるさとの丘」の看板が見えたので立ち寄ってみる。

 昨年も書いた記憶があるのだが、売店のソフトクリームが味が濃くて美味しいのだ。がぶがぶとかじりついた。

 ソフトクリームを食べて、さて出発だ。





 チーズホンデュが旨い黒松内から長万部へ。海岸線に到達した。本当に晴れのよい天気だ。途中、「浜ちゃんぽん」というのぼりが気になった。以前にも見た記憶がある。しかし、まだ午前中で店は開いてない。正式な店名は「長万部三八飯店」というらしい。TMにもボリューム満点の浜ちゃんぽんとあんかけ焼きそばが人気と掲載されていた。いずれ機会があれば立ち寄ってみよう。

 のんびりと噴火湾沿いのR5を南下していく。天気がよいときの磯の香はとても好きだ。やがて八雲町も過ぎていく。

 森町に入り、道の駅「YOU・遊・もり」で小休止。PAが非常に混み合っていた。ここで、缶コーヒーを飲んだ。だってかなり眠いのだもの。しかし、やっぱり函館って遠いねえ。





 とりあえず相当な時間を要して函館朝市に到着した。もう、お昼は過ぎているので、それなりに腹は空いている。ということで、久々にきくよ食堂で「ウニ・イクラ丼」を食べてみた。1999年にヨッシーとこの店て食べた以来だけど、素直に美味しいと思った。ばくばくと完食した。

 昔は、店のオバサンたちが、ご飯が足りなかったらたすよ〜なんていう大雑把で豪快な感じのお店だった記憶がある。今は改装されて、かなり上品な雰囲気のするお店になったと思うなり。





 続いて五稜郭タワーに移動。1996年ぐらいに五稜郭そのものは見学した記憶があるがタワーは初めてだ。2006年に新タワーが出来たそうな。

 ラッキーなことに二輪駐車場は、道路を挟んだすぐ近くに無料で設けられていた。四輪のPAは混雑していたけど、二輪の方はガラガラだった。

 しかし、五稜郭タワーの1階売店コーナーは、観光客でごったがえしていた。最上階まで昇るエレベーターも順番待ち状態である。





 かなりエレベーターの順番待ちをして、最上階に辿りつく。ここから五稜郭の全貌をデジカメで撮影しのだがイマイチだった。↑の画像は、最上階にあった模型です。

 堅固な洋式城塞に見えるが、箱館戦争の末期は、新政府軍の軍艦「甲鉄艦」からの艦砲射撃にずいぶん悩まされていたようだ。やがて降伏開城する。

 1914年から「五稜郭公園」として一般開放されるようになったという。そして、千数百本の桜が現在も残っており、道内有数の桜の名所となった。

 ちなみに明治初期にほんの少しだけ樹立した蝦夷共和国の総裁・榎本武揚は、後に明治政府の高官となり活躍する。しかし、彼は蝦夷共和国降伏の日にすべての責任を負って自刃しようとした。慌てて止めに入った側近の指が、刃で何本か吹っ飛んだそうだ。典型的な江戸っ子気質で義に厚かった榎本は、土方たちを死なせてしまったことに自責の念もあったのだろうか?





 土方歳三の像があった。京都の新撰組時代は、鬼の副長として敵味方から大いに恐れられた。

 闘える地があればどこまでも闘うという信念を貫き、鳥羽伏見から甲州〜関東〜会津、そして箱館まで転戦し、とうとう戦死する。

 二股口では、新政府軍を一歩も寄せつけず、榎本軍唯一の常勝将軍だった。不敗のまま撤退命令が出て、やむなく五稜郭に戻る。

 箱館では、京都時代とは別人のような穏やかな人柄となり、新撰組の若者の相談に親身になって乗ったり、飲みに連れていったりしていたそうだ。筆者は、こっちの方が温かい人間味の溢れる真の歳さんのような気がしてならない。

 土方の戦死を知った若い隊士たちは、まるで母を失った子供のように嘆き悲しんでいたと資料には書かれていた。





 五稜郭タワーの目の前にラッキーピエロのお店があったので入店してみた。実は数え切れないほど函館に来ているけれどもなぜかラキピは初めてである。

 凄い混雑していたけど、ようやく順番にありついた。一番人気は「チャイニーズチキンバーガー」だそうだが、ここはあえて「ラッキーチーズバーガー」とアイスコーヒーにしてみた。

 なんと骨太で、美味しいハンバーガーなのだろう。非の打ちどころがない。これでは昔、函館市内から○クドナルドを駆逐させてしまったという伝説もなるほどなりと実感した次第だ(現在は○クドナルドは復活している)

 しかし、ついさっき”きくよ食堂”で「うにいくら丼」を食べたばかりなのに食べすぎだと思う。少し、腹がもたれてきた。





 さて、函館までツーリングで到達するという初期の目標は果たした。あとはキャンプ地へと入るのみ。ひたすらR5の北上を開始する。目的地は、東大沼キャンプ場だ。

 なんとか夕刻に到着するも駐車場から荷物を運ぶ。ゴミは捨てられない。近くにあった流山温泉は閉鎖。付近にコンビニとかなし。しかも混んでるし。いくら無料のキャンプ場とはいえ、筆者には向きません。ごめんなさい。無理だ。

 というわけで、有料だけれど慣れ親しんだ「グリーンステイ洞爺湖」に戻ることとした。もう、時間も押しているので、道央道も利用しよう。

 途中から雨も降ってきた。一騎駆けの北のサムライが風雨を浴びながら、道央道をひたすら北上していく。ようやくグリーンステイ洞爺湖に到着したのは、あたりが暗くなりかけた18時前後か。受付もギリギリの時間帯だった。

 オートサイトを用意してもらい、慌ててテントを設営した。近くに若い団体さんたちのグループがいたけどあまり気にならなかった。

 お湯を沸かし、焼酎をちびちびと飲みながら、モツ煮込みを食べる。なんとなく夏も終わりだなと実感しながらシュラフに入った。 



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