北海道ツーリング2015















はじまりはいつも雨



 8月某日、北海道ツーリングの出発日だ。今シーズンは、転勤で生活のスタイルがまったく変わり、休日返上が多く、トレッキングはおろか、キャンプツーリングでさえ、今シーズンが初である。つまりぶっつけ本番だった。
 
 北海道ツーリングの荷物の整理もついてない。急がねば。バックにキャンプ旅に不可欠な道具類を詰め込んでいく。

 絶対に必要なもの・・・

 テント、タープ、シュラフ、炊事道具、カメラ、携帯、充電器の類い。それから、山道具といつもの順番の通りだ。

 まあ、なんとか午前中で準備を完了させた。しかし、今シーズン、筆者がまだキャンプツーリングしてないなんてあり得ないことなんだが現実はシビアであった。

 筆者は、このところ夏バテ気味で食欲がない。妻に冷たいお茶漬けを作ってもらい、それを無理矢理食べた。なにか腹に入れておかないとますますバテそうである。

 14時過ぎごろ、東北道を北上した。雲が多い天気で、気温は思ったほど高くない。まあまあ快適に有料道路を走行しているうちに仙台港フェリーターミナルに到着した。どうやら、筆者が一番乗りのようである。パーキングの最前列に愛機を停めた。





 やがて次々とツーリングライダーのマシンがやって来て、結構な行列となる。しかし、やはり年配のライダーさんが多い。ライダーの平均年齢が50歳となった現実を痛感する。

 筆者は17歳で中免を取り、22歳で試験場一発の限定解除を取得してCB750乗りになったのだが、当時は間違いなくライダーの平均年齢は20代だったと思われる。

 ただ、救われるのは道内を旅する若いチャリダーが激増していることだ。彼らは本当に力走しながら青春を謳歌していると思う。





 乗船手続きを済ませた。今宵のフェリーは”きたかみ”だ。いつものようにB寝台を確保している。寝像が悪い筆者としては60センチ間隔の2等の雑魚寝だけは避けたい。

 やがて、二輪車の乗船案内が始まる。先頭を切って、”きたかみ”のEデッキへ突入した。何十回フェリーに乗ったって、この瞬間はわくわくします。ぼくだけかもしれないけど。

 荷物をB寝台に置く。

「あの、そこは違うと思います」
 2階寝台のご婦人から指摘された。

 1階は、どうやらご主人が予約されていた寝台らしい。ぼくももう一度チケットをよく確認してみると、ひとつ奥の寝台だった。失礼しました。

 荷物を置いたら、着替えてまずは風呂だ。ぼくはとにかく混む前の最初に風呂を済ますことにしている。とくに温泉というわけではないが、仙台港を望みながら入るお風呂は実に心地よし。





「レストランより、夕食のご案内をいたします。間もなく7時から開店いたしますので、皆様のお越しを心よりお待ちいたしております」

 この放送、今まで何十回聴いたことだろう。

 2階のレストランの入り口には、既に軽く渋滞ができていた。

 流石にお盆前の太平洋フェリーである。





 夕食は例年通り、レストランのバイキングにした。食欲不振だったのだけれどもステーキやらお寿司も食べ放題なので、がんがん食べる。明日から当分、移動しながらのキャンプ生活が続くと思われるのでスタミナをつけておかないとならない。

 太平洋フェリーオリジナルの赤ワインも美味い。これをチビリチビリ飲みながら、多種なおかずを頬張る。まさに至福の瞬間だ。





 爆食してラウンジに戻った。先ほどの赤ワインの残りを口ずさみながら、28年前の初北海道ツーリングを思い返した。

 あの頃は、本当に金がなくて、太平洋フェリーの中の食事は全部カップラーメンで済ませていた。

 夕食バイキングを食べれるなんて、なんと贅沢というか、幸せなことなんだろう。






 食後、プロムナードのソファーでくつろいでいると白髪頭の老人がスタンドコーナーのカウンター越しに太平洋フェリーの従業員の女性に絡んでいた。

「こんなに綺麗なお姐さんがいるなら、もう少し飲んでいこうかな。水割りをちょうだい」
 本当に辟易するほどの大声だった。

「お姐さん、実は彼氏とかいるんだろ」

 言いたい放題、やりたい放題である。

 非常に大きな声で見苦しい老人だった。従業員の女性は、軽くかわしていたけど、ああいうジイサンがライダーだったら、絶対にピースサインなんか返したくないと思う。

 ほどほどの時間に寝台に戻る。かなり疲れが溜まっていたせいか、あっという間に爆睡してしまった。もしかしたら鼾、またはうなされた声で、同室の方々にご迷惑をかけてしまったかも・・・

 夕方から窓の外は雨だった。かなり強い雨が降っている。

 はじまりはいつも雨・・・

 というより、これからは、ほぼ毎日のように雨が・・・




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