北海道ツーリング2013








芦別駅前







   6時起床。弱い雨が降っていた。様子を窺いながらテント内でシュラフを畳んだ。ついでに米を炊き始める。うまいぐあいにご飯が仕上がった頃、雨がやんだ。

 しかし、なんの取り柄のない筆者だが、飯炊きにいたっては絶対に失敗がない。先日、あるBBQ会である部外者の若者が表面だけ筆者の飯炊きの真似をして大失敗をやらかしたことがあった。
 ただ、おかずは手抜きだ。インスタントシチューをぶっかけただけである。極力、料理にかける時間を短縮したいので”ぶっかけ”バージョンが多い。これ以外だと納豆3パックぶっかけシリーズが主流かもしれぬ。  
 食後、洗い物を済ませ、サイトを全面撤収した。マシンへのパッキングも完璧だ。暖気も済ませ、いわみざわ公園を後にした。

 さて、道東方面に向かうことは確定しているが、北海道の内陸部でまだ立ち寄った記憶がないのが芦別だ。是非、訪ねてみたいところである。というわけで桂沢ダムの方向へ進んだ。

 曇天の中、桂沢ダムを過ぎ夕張国道を北へと走る。途中、道道135との分岐にぶつかった。今まで幾度となくこの分岐を右折して富良野方面へ向かっていた。今回は敢えて直進して芦別に向かうのだ。

 時々、小さな集落があったけど、えらい山の中の道を抜けてようやく芦別に入った。とにかく駅前に出てみよう。
   芦別駅前着。なんというのだろうか、このペーソス。どこかでみた記憶がある。そう昭和の福島県内の常磐線沿線の駅そっくりだ。

 かつて炭鉱で栄えた町に共通するオーラが漂っている。商店街も人が歩いている姿が見えず、シャッターが閉じたままの店もあった。
 ところが、駅前からバイクを走らせ、10分もすると今度は法隆寺そっくりの建物が現れた。

 なんじゃこりゃ?

 ホテル五重塔?10階建てのホテルらしい。その背後には”北海道大観音”という巨大な観音様が立っていた。

 芦別とは不思議な街である。
 
 
 とりあえず、近くにあった道の駅”スタープラザ芦別”に入って落ち着こう。昼近くなってきたので腹もへってきた。

 お盆が近づいているせいか、駐車場がかなり混んでいたし、人もたくさん歩いていて凄い活気だ。同じ市内でも駅前とはずいぶん様子が違う。
 道の駅2階のレストラン”ラ・フルール”に入ってみた。芦別で噂のガタタン料理を食べてみたい。

 オーダーしたのは、ガタタンラーメンだ。このラーメン、あんかけちゃんぽんラーメンと表現するのが適切かもしれない。このほかガタタンチャーハンも美味しそうだった。
 
 味は自分でタレで調整できるが、濃い味系の筆者好みだ。昔、炭鉱労働者が酒を飲んだ後、締めで食べていたそうな。尚、この料理の考案者は満州から引き揚げてこられた方で、ご自分のお店のメニューにしたらしい。その店はずいぶん前に閉店したが、ガタタンの味を懐かしむ人々の声が多く市内の飲食店で復活していった。

 食後、芦別国道を南下していった。ようやく空に晴れ間が見えるようになる。こうなると気温がどんどん上昇してきて耐えがたい暑さとなってきた。

 しかしすぐに雨雲がやってきて、あっという間に雨模様になった。気候が本当に不安定な今年の夏だ。南富良野の道の駅に避難してカッパに着替えた。ここのパーキングでKH乗り?がかなりオーバーアクションでキックしてエンジンをかけていた。1発でかからず2度3度と苦労しながら足を振りおろしていた。

 近くにいたオジサンたちが興味深々というか、至近距離でほとんど凝視している姿に驚く。キックスタートのマシンがそんなに珍しいか?元RZ乗りで現在もカブ90を所有する筆者は凝視している人たちに違和感を感じていた。オッサンの自分がいうのもなんだが、あの場にいた中高年のオヤジどもの好奇心というやつは動物並だと思うなり。人の不利は見ても見ぬふり、武士の情けという言葉を知らぬのか? 
 道の駅の奥にあったラベンダー畑。天気が悪くてイマイチなのだが、富良野のラベンダーを久々に見た気がする。

 本当に懐かしい。ここ数年、あまりにもいろいろあり過ぎた。知らず知らずのうちに筆者も変わってしまったような気がした。でもここのラベンダーは変わらずにいた。
 
   狩勝峠のワインディングを一気呵成にクリアして十勝平野に出た。またも天候が回復してきて蒸し暑い。道の駅”うりまく”にて小休止し、カッパを脱いだ。

 鞍を付けた馬が柵の中にいた。声をかけてみたけど反応せず。
 10年ぶりか?東瓜幕の直線17キロを走破した。アップダウンを繰り返しながらもどこまでも直線を駆ける。

 ぞんぶんに直線を堪能した後、上士幌に入る。時間もおしてきた。今宵は上士幌航空公園キャンプ場にて幕営しよう。 
 
   ところが、航空公園のキャンプ場はバルーンフェスティバルの真っ最中で 、あの広大なキャンプサイトがほぼ満員御礼の状況と化していた。

 今更、他のキャンプ場へ移るのもメンドイので、5百円を支払い受付を済ました。そして狭いほとんど通路横みたいなところに幕営する。
 お風呂は上士幌市街地にある町営の”ふれあいプラザ”という温泉に入った。なかなかいい湯だったけど、フェスティバルの影響なのかかなり混み合っていた。

 航空公園のキャンプ場を最初に訪れたのは8年前ぐらいか。当時は無料で、もっとのんびりしていたような気がする。まあ、昔の話だ。 
 
   テントサイトに戻り、ご飯を炊いた。おかずは鯖をフライパンで焼く。シンプルな夕食だがこれはこれで美味しい。

 学生時代を思い出す。横浜の安アパートで、朝夕、シンプルな食事を摂っていた。米だけは母方の実家の会津からふんだんに支送られて来たので助かった。
 バルーンフェスティバルの本部から21時ぐらいまで放送がガンガン流れていた。風が強いため、夜のイベントというか、競技は中止になったようだ。

 でもキャンプ場の盛り上がりは異様な感じだった。熱気球とやらにまったく興味のない筆者は簡単にメモをつけて、がんがんワインを飲み早めに寝てしまった。 
 



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