北海道ツーリング2013








開陽丸と愛機







 5時起床。朝からなんだか生温かい。外に出ると朝露でテントや芝がびしょびしょに濡れていた。濡れたテントをかまわず畳んで撤収する。続いてマシンへのパッキング作業も素早く終了した。かなりキャンプ旅のリズムを取り戻してきた。

 ガスカートリッジが切れたため、朝食を自炊するのは断念した。暫しマシンを暖気し、コンビニへ向かう。そしてサンドイッチと缶コーヒーで簡単な食事を済ました。店員さんに事情を話すと昨日からのゴミも快く捨てさせてくれた。

 腹も作ったので、早朝の福山街道を駆ける。最初は山の中のルートだったのだが、あまり涼しくない。むしろ朝から熱風に近い。やがて海岸線の福島町に入った。

 福島町といえば第41代横綱千代の山雅信、58代横綱千代の富士貢を輩出した相撲の町だ。時間的に早すぎて記念館は見学できなかったけど、大横綱を2人も生むとはなんとも凄い。なんて感心しながらアクセルを握ると予備タンとなったので、コスモのスタンドへ入った。

「福島からですか。ここも福島なので奇遇ですね」
 ナンバープレートを見てスタンドの従業員の方が笑っていた。
「実はぼくの友人が以前小名浜に住んでいて、気候が温暖だよと言っていたのですが、本当ですか」
『ええ、いわきの小名浜ですね。みかんが生るし、タイヤは1年中ノーマルでも可能なぐらい温暖ですよ』
「郡山とか福島市はどうなんですか」
『冬はスタットレスタイヤじゃないと無理です。会津は日本有数の豪雪地帯です』
「へえ〜、同じ福島県内でもまったく気候が違うものなんですねえ」
 従業員はしきりに頷いていた。

 ガソリン満タンで意気揚々と筆者と愛機ゼファーはさらに南下し、とうとう道内最南端の”白神岬”に到達する。
   ここから竜飛崎まで僅か19.2キロだそうな。しかし海上のガスが濃くて本州はまったく見えなかった。

 まあ、そんなに期待していたポイントではなかったけど、知らなければ普通に通り過ぎてしまうような小さな岬だ。

 でもせっかく来たのだから記念に一枚画像を撮影した。
 ここからは追分ソーランラインを北上というカタチになる。海岸線を暫し走ると見えてまいりました白亜の櫓”松前城”が。とくに城郭マニアではないのだが、一度は拝見したかったお城である。
 福山城とも呼ばれるそうだ。戊辰戦争末期、つまり箱館戦争にて旧幕府軍の土方歳三(新撰組副長)率いる部隊と激しく闘い落城する。

 世界遺産級だった天守閣も第2次大戦後に失火により焼失した。
 
 長沼流軍学者・市川一学の縄張りにより完成したそうだ。艦砲射撃に備え砲台も備えるなど当時としてはかなり堅固で工夫がなされている。

 松前城の見学を終え、またまた北上開始。変わり映えしない海岸の光景を見ながら進んだ。ずっと磯の香がしている。でも決して嫌いではない豊穣な匂いに全身が包まれているような錯覚にとらわれていた。
   道の駅”上ノ国もんじゅ”に到達する。なんでも江差市街までの眺望が素晴らしいそうだが、ガスっていてよくわからなかった。

 時間的に早いせいか、道の駅は閑散としていた。というよりまだ営業してない。展示されて資料のみを暫し見学してスロットルをあげた。
 江差着。開陽丸の威容は実に素晴らしい。幕末期に幕府が保有していたオランダ製の軍艦だ。当時、3000トン級の軍艦が造られるのは海軍国家であったオランダでも珍しいことだった。

 箱館戦争中、任務で江差沖に突入した時、嵐に遭い座礁沈没した。旧幕府軍にとっては大きな痛手となる。1990年に復元され、現在にいたる。
 
 その後も日本海側の海岸線の道をひたすら北上していく。旧熊石町に入った頃、筆者の北海道の海岸線空白ラインはすべて制覇したことになった。

 さらに曇天の空の中、檜山国道を北上していく。懐かしい瀬棚町も通過。島牧村、弁慶岬も飛ぶが如く通過し寿都町に入る。雷電国道というのか、ソーランラインでいいのか、どんどん北へ北へと向かった。この日の日本海食堂は定休日で入店できず残念であった。

 岩内町を過ぎ、積丹半島へ突入。筆者はなにを焦っているのだろう。ほとんど休憩をとらずに泊村も過ぎた。
 
 道の駅”オスコイ!かもえない”に到達。生簀のホタテが低料金で販売されていたが、筆者は受付でソフトクリームを購入しなめていた。なかなか美味しい。

「このバイクは何CCだ?、どっから来たんだ?」
 ご老人から質問を連発された。
『1100ccです。福島から来ました』
「1100ccで、なに?どこから来たんだ?」
『福島から気ました』
「なに?聴こえない?どこからだ」
『福島です』
「聴こえない?」
『福島市内です』
 数回答えたらようやく理解し、「なんだ被災地か」といいながら70歳代?ぐらいの老人は興醒めしたように離れていった。自分でナンバープレートぐらい見ればいいのに。

 まったくなんだよ、その横柄な態度は。バアちゃん子のぼくは老人嫌いではないし、近い将来確実に老いる。でも好奇心が強く他人に干渉し過ぎて不快感を与える人をあまりにも数多く見てきた。かなりムッときたが堪えた。自分がどんなに老いても決して人の嫌がる干渉だけはしまいと心に誓う。

 神威岬が見えてきた。霧が深いので先端まで歩くのはやめた。それより腹が減った。ここは久々に”うしお”でウニ丼を食べておきたい。
 どうです、このウニ丼。質・量ともに”うしお”のウニ丼は日本一だと確信した。

 ウニが殻出しなのだ。合成保存料とかミョウバンとか一切関係なしの本当のうにの味がする。

 ちょっとワサビ醤油を垂らして食べると絶妙なり。 
 
 出がけにゼファーのガソリンが予備タンになっていたのを思い出した。しかし、ここから積丹岬にかけてガソリンスタンドがなかった気がする。若い男性従業員に訊くと積丹岬手前の信号あたりにある高橋商店向かいに給油機があり、ガソリンを販売しているとのこと。

 実際に満タンにしてもらい、オジサンから”岬の湯しゃこたん”という温泉施設を紹介してもらい、じっくりと汗を流した。
   無色透明だけれど、清潔な温泉で疲れがとれる。露天風呂も広く眺望があり、心地よかった。

 海水浴のオンシーズンだったから、それなりに混んでいたけど、時期をずらすと静かでのんびりした雰囲気になるんだろうなあと思った。

 今宵の野営地は、あまり気が進まなかったけど、海水浴場が併設された道営野塚野営場である。 
 案の定、ファミキャンでいっぱいだった。

「ここは混んでますよ。その辺のパーキングでテントを張った方がいいでしよ」
 酔った単気筒ライダーから声をかけられた。
『ぼくは狭くても一晩テントで凌げればいいのです』
 そういうと単気筒ライダーは消えた。
 
   ご飯にシチューをぶっかけただけの簡単な食事をしていると綺麗な夕陽が日本海に沈んでいく。 でも雲が多いなあ。なにかが起きそうな予感?

「うちの子供が行方不明だ」
 若い父親が叫んでいたりしてなかなか活況を呈している野塚海岸だ。
 ワインを飲みながらメモをつけているうちに寝てしまう。

 すっかり爆睡していた深夜のことだ。

「うちの子供が行方不明だ」
 若い父親がまたも叫んでいる。

”わかった、わかった。もう二度とキャンプに子供を連れてこないでくれたまえ”

 かなりムッとして目覚めた筆者であった。

 そして深夜未明・・・

”かつて経験したことのない豪雨”がフライシートに叩きつけられ、またも目覚めてしまう。

 筆者の明朝の運命は如何に? 



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