北海道ツーリング2012



後志




”とおまわり”にて



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 羅臼の民宿”とおまわり”さんへ到着。民宿というより、いい意味で羅臼の漁師さんの家という感じがした。ぼくは以前から、こちらの宿について知っていたし、かねがね利用したいとも思っていた。というより旅人の間ではかなり有名な宿である。

 とにかく凄い量の料理でもてなしてくれるそうだ。近頃、えらく食が細くて、さらに昨夜の二日酔いが残る筆者で大丈夫だろうか。

 玄関をくぐると、既に今夜のお泊りお客さんがおられ、何人かと挨拶を交わした。宿の奥さんに部屋を教えてもらい、荷を解いて暫しくつろぐ。横になって単行本などを読んでいるとついウトウトとしてしまった。

「お風呂ですよ」
 の声で目覚めた。そして、ゆっくりと湯船につかった。とても快適であったが、そろそろ野営がしたいという血が騒ぎ始めているのも事実だった。
  「ご飯ですよ」
 その声が聞こえず、というよりも風呂あがりのぼくはまた寝入ってました。
         ↑
 どんだけ寝るんじゃ・・・

 奥さんが、わざわざ起こしに来てくれた。ほとんど筆者は介護が必要になったかも?
 さて、いよいよ夕食だ。今宵も出ましたメンメの湯煮。実はこれが食べたくてこちらの宿にお世話になったといっても過言ではない。

 皆さん、醤油をかけて食べておられましたが、ぼくは以前TVで見たとおり、敢えてソースをかけて食べてみた。旨い。実に旨い。こんなに美味しいお魚、うちの方では絶対に食べれない。
 
   オーナーさんが、次々にお魚のてんぷらを揚げてくれる。10年前の筆者なら楽勝だったのだが、寄る年波には勝てぬ。

 後半は完全に戦意喪失。かなりの量のおかずを残してしまった。ぼくと同じ歳といわれるオーナーさん、本当に申しわけありませんでした。
「あっ、出すのを忘れてた!」
 オーナーが料理の出し忘れに気づいた。
「もう、出さんでも腹いっぱいだから大丈夫です」
 お客の誰かが言ったけど遅かった。 

 ニシンの煮つけだそうです。もう、本当にグロッキー。もったいないけど、これ以上食べたら、マジで体調が心配になってくる。
 
   食後は宴会に突入。いろいろなお酒を御馳走になった。

 なぜか生クリームどら焼きも頂戴した。ぼくは酒飲みのわりに甘いもの好きなもので、パクパクと食べきってしまう。
 スキンヘッドのオーナーさんはもともと埼玉の方だった。学生時代、旅の途中で漁のバイトをしているうちにハマってしまい、羅臼に定住したそうだ。そして、旅の宿を開業し、現在にいたる。とにかく愉快な方だった。

 優しい奥さんは、地元羅臼の方だ。ぼくは持病の薬を紛失してしまい困っていると話したら、羅臼町立病院を紹介してくれた。ただし、お盆明けで相当混雑するのは必至らしい。

 隣に座っている長髪の男性は、ぼくと同業だそうだ。羅臼になにかを調査に来ておられると言っていたが失念してしまった。

 明るい女王様は、ぼくがつまらないオヤジギャグを飛ばしても必ず笑ってくれるので救われた。

 どこかのYHでヘルパーをされているという若い彼女は、盆明けの休みをもらって旅しているそうだ。

 常連のニシさん(と呼ばれているとばかり思っていた)は、ニシという本名ではなくニシンというニックネームだそうな。つまりニシンさんというわけです。お顔がニシンに似ていると羅臼の漁師さんたちからいわれ”ニシン”と呼ばれるようになった。

 北大のワンゲル部では合宿で、こちらの宿をよく利用するそうだ。とにかく半端なく食べるんだとか。漁師のバイトを紹介してやると学生さんたちは使えるので好評だったらしい。

 残念なというか訃報も。相泊の食堂”熊の穴”のオジサンが昨年6月にお亡くなりになったそうだ。オバサンは営業の継続を断念し、店は売りに出ているとのこと。

 2005年の知床岬縦走においては、オッサンにどれほどお世話になったことか。

「キタノ、また来年も羅臼に来い!」
 別れ際に見せたオジサンのよく日焼けした笑顔を思い出すと胸に熱いものがこみあげてきた。ご冥福をお祈りいたします。

 次々に古き良き北海道が消えていく。

 宴は、とても楽しく、いつ果てることなく続いていった。

 終了したのは多分深夜1時ごろか?

 そこから、ニシンさんは夜釣りにいかれたとか?

 部屋に戻り横になる。相部屋の方が煙草を吸いに外へいくと言っておられたが、ぼくはすぐに爆睡モードになっていた。  




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