北海道ツーリング2012



後志











「凄い荷物、バイクが可哀そうよ」
 妻が呆れた口調で呟いていた。
『キャンプや登山道具を積むと、こうなってしまうのだ』
 なんとなくいいわけがましく応え、自宅を出発する。

 本当は、8月の始めから旅に出たかったのだが、出張や他のスケジュールなど重なり、9日スタートとなる。

 吹きすざむ熱風の中、東北道を北上し順調に仙台市内へ到着。
   ”伊達の牛たん”という専門店で、塩・味噌ミックス1.5人前を食べた。味といい、ボリュームといい文句なしというところだ。テールスープもまたなんともコクがでていた。

 夏バテ予防に効果バッチリ、勇んで仙台港FTへ入る。
 ぼくの場合、莫大な荷を解き、船内で使う物だけを登山用のメインザックに詰め、またふたたびパッキングをする。ザックは荷の上にさらに固定させる。手間がかかっているようだが、デッキから客室への移動はかなり楽になるのだ。 

「このあたりは、震災の被害は酷くなかったのですか?」
 いかにも自転車の旅をしているという風貌の少年(学生)が話しかけてきた。
『とんでもない。このあたりも7メートル以上の津波に襲われました。さらに流出した重油が炎上し、大被害だったんです。慣れ親しんだ仙台港が燃えあがる映像を観て呆然自失となったものだよ。短い時間でよくこれだけ復興できたと思うね』
「そうなんですか。ぼくは、これから東北の被災地を巡りながら北海道に上陸するつもりです。去年は九州まで野宿しながら旅したんです」
 なんだ、ここからフェリーで苫小牧にいくんじゃなかったのか。
『東北はまだまだ大変な状況にある。でもね、どれほどたくさんの東北人が自分の身を犠牲にしてまで人々を救ったか、救おうとしたかという真実を知ってほしい。どうか有意義な旅をしてください』
 ぼくは学生時代、東北出身というだけで言われない差別を受けたことがあった。残念ながら現在もそういう状況(原発事故などから)にあるのは事実だ。
「わかりました。ありがとうございます」
 少年は笑顔で答え、ペダルを漕いでFT前を去っていった。

 乗船する準備をすべて整え、マシンを指定の場所に停め、売店などをのぞいたりしながら時間を潰した。なかなか混み合っていてフェリー職員や客たちの喧騒が港中にこだましている。そういえば、この日のチケットも1回で入手できずにキャンセル待ちでようやくとれたものだ。

 そんなこんなしているうちに乗船案内の放送が入ったので、マシンを置いてある所に戻る。

「もしかして、キタノさんですか」
 同じ福島ナンバーのBM乗りの方が声をかけてきた。

 郡山の”ぶっちー”さんとおっしゃるご仁だ。ぼくのブログ等を読んでくれているらしい。また筆者と共通の友人・知人が多く驚いてしまう。やはりホッカイダーの世界は狭いと痛感した。

 その後、係員の誘導でスロープから一気に船内へ入る。なんだかかなり奥で場所を忘れそうだが、エレベーター横に現在地の刷られた紙を入手し事なきを得た。
 船内で使う荷物は既にメインバックに入れてあるので、楽々とB寝台の船室に到着した。まず船内でやることは混まないうちにお風呂に入ることだ。先ほどのぶっちーさんも同じことを考えていたらしく浴室で再会を果たした。

 汗を流した後は、夕食バイキングへひとりで向かう。寿司やらステーキやらを堪能した。
 
 アルコールだけは別料金なのいだが、居酒屋に行ったと思えば安いものだ。がんがん飲んで、がんがん食べまくる。かなりヨッパになった頃、レストランを出た。

「キタノさん、どちらにいらしてましたか。探してましたよ」
 ぶっちーさんに声をかけていただき、また自販機で日本酒を購入(おい!)

 さらにペロペロになったあたりで、彼がツイッターにて、ぼくとのツーショット画像をアップするとかなんとか?

『ヨキニハカラエ』
 ヨッパでご機嫌のぼくは船内で呟いていたんだとさ。

 そして、各地から反応があったらしい。

「キタノさんにハウスするように伝えてください」
 二輪便利帳のちんさんより。

 つまり、いつものようにその辺で倒れないで寝台へ戻れということだろう。

 上機嫌で酒を煽っていると・・・

「自衛隊の方ですよね。どちらの部隊ですか?」
 迷彩柄のTシャツを着ていたぼくは、本物の自衛官の方から間違えられてしまう。いや恰好だけですよと応えるも「極秘任務ですか」などといわれ、なかなか信じてもらえなかった。

 そんな珍事件が勃発したりするうちについにヨッパライダー全壊に、もとい全開になった。ぼくはほとんど寝ているNagaさんへTELしたりと、やりたい放題だったらすぃ。

 そして、そのまま朝までソファーで寝ている北のサムライの姿あり。

 やっぱり、ちんさんの想像通りになってしまった。

 相変わらずぼくは、ぜんぜん成長しておらぬのお〜

 そして翌朝・・・

 なまら寒くて目覚める。なにごともなかったふりを装いながら、B寝台に逃げ戻るキタノさんの姿あり。なんだかカッコわるう。

 ベットでひと眠りした後、朝風呂に浸かりさっぱりする。そしてすぐに朝食バイキングの案内放送が流れてきた。普段は小食のくせになぜかバイキングだと燃える貧乏性の筆者、レストランにて大いに食べまくった。

 なんだか腹の具合が悪い。早くも食傷モードか?

 時間がどんどん過ぎていく。今度は下船案内が流れてくる。腹の中を消化していない食べ物が上下左右に揺れている。ピチャピチャと腹を鳴らしながら、愛機の前に辿りついた。

「夕べは先に寝てしまいすいませんでした」
 ぶっちーさんが謝っていた。

 当然、ヨッパなぼくには記憶がございません。気がついたら、エントランス側のソファーの上で猫のようにまるくなって寝ていたもんで。

『いい旅を!』
 晩成温泉へ向かうというぶっちーさんに別れを告げて、苫小牧港へ上陸。そしていつものようにメインザックの荷をツーリングバックに積み替えるため、パッキングやり直し。予定通りのことだ。

 ところで本日の行程は←まだ決めていない?

 先日、千葉のやまちゃんがニセコにアウトドアな宿があり、羊蹄山など登山に最適ですと教えてくれた。ダメモトで当日予約の電話をしてみたら、宿泊OKとのこと。

 その宿の名は・・・

 ニセコ・アンビシャス!

 ぼくのこれまでやって来た夏の旅のスタイルを根底から覆す恐るべし宿・・・

 もとい!よい意味で、有意義なストーリーへと結実させる運命になろうとは、この時は知るよしもない。

「あんたこれから、どこ周るの?」
 ぜんぜん知らないオッサンライダーから声をかけられるも、漠然とニセコでぇ〜すと応えるのみだった。

 ぼくを乗せた愛機ゼファーは、風雲急を告げる支笏湖方面へ機首を定めた。

 北の大地の空気も湿度が高くぬるかった。




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