北海道ツーリング2011



きたの細道




男鹿半島入道崎にて







 早朝5時には起床。キャンプ旅に出たときの筆者の朝は早い。すぐにシュラフ・テントの干し方を始める。まだ陽は薄いが確実に酷暑になるだろう。

 朝食はインスタントピラフにしよう。お湯を注いで20分ぐらいで出来てしまう山用のものだ。しかし、出来上がったピラフは、とてつもなく不味い。半分近く残し、ギブした。ちなみにゴミは全部持ち帰りだ。キャンプライダーにこれをやられるととても辛いのだ。いっぱいいっぱいの荷物なのにさらに荷が増える。

 完璧にパッキングを済ませ、マシンを暖機していると虻が再攻撃してきた。もう、しつこ過ぎるぞ虻野郎。被害に遭う前にスロットルをあげた。

 R345を北西の方向、つまり日本海に針路をとった。いやあ見事な田園風景、日本の農村の朝だ。空気もまだひんやりとしていて実に心地よい。そして”ふくら”という集落に到達するとR7となり、あとはひたすらシーサイドラインを北上することになる。

 にかほ市に入っても左側は、ずっと日本海ブルー。美しいがずっと同じ光景が続く。海沿いで基本的に涼しい風が吹いているから、ついウトウトと。危ないなあ。時折、コンビニで缶コーヒーなどを飲んでは眠気を醒ました。

 TMにとりたての魚をお好みで調理してくれる刺身定食、焼魚定食がおすすめ店とかいくつか標記してあるが、まだ時間的に早いらしくどこも開いてなかった。ただただ酒田街道を北上していく。なんだかそろそろ秋田?
   道の駅にしめで小休止。どうやら秋田入りしたようだ。売店がいくつか並んでおり、一番奥の魚屋兼食堂のような店で”岩牡蠣”を購入した。レモン汁をふって、肉厚の牡蠣をぱくり。美味い。海のエキスたっぷりで食感もよい。もうひとつ、いや、ふたつぐらい食べたいところだが我慢した。

 このあたりから、気温がぐんぐん上昇してきた。凍ったレモンジュースを肩から吊るしたケースに入れ、信号のたびに水分を補給する。
 暑くて暑くて耐えられない中、どんどん北上していく。しかし、基本的に暑がりの筆者は道の駅岩城を見つけるとためらわずに飛び込んだ。さっき休んだばっかりなのに。

 ちなみに昔、岩城町を治めていた岩城氏は、戦国時代の磐城地方(現在の福島県いわき市付近)を支配し、勢力をもっていた大名であった。ところが関ヶ原の戦いで、西軍に加担したため、磐城の大封を没収されてしまった。そして、現在の現秋田県岩城町あたりの領主となる。今でもいわきへの思いが捨て難く、いわき市を御本国と懐かしむ人々も多いそうだ。
 さて、道の駅岩城なのだが、ここは道の駅というより、飲食店が立ち並ぶ商店街のような様相だった。

 筆者は一番端の魚介類を調理する店で、子持ちニシンとサザエの串焼きをオーダーしてみた。いったん焼いたものをレンジでチンしただけなので、味はそれなり。

 ただ、先刻の岩牡蠣、今食べたニシンやサザエで、本日の魚介類は限界かな。
 
 やがて、牡鹿半島が大きな島のように見えてきた。多分、このあたりは、潟上市だろう。週末だけあって、道路が混雑してきた。

 道路左手に見えてきた、聞いたことがないネーミングのホムセンへ入る。駐輪場へ愛機を停めると、
「おれも××××だったんじゃ××」
 老人から話しかけられた。

 しかし、訛りがきつくて意味が理解できない。すると今度はゆっくりと標準語に近い感じで話し直してくれた。
「おれも昔は、大型ライダーだったんだ。もう、体力がなくてバイクには乗れん。一応、50年前の免許じゃがな」
『そうですか。バイクに乗れないのは残念ですね。でもね、オジイサン、お若いころの思い出を大切にお元気でね』
 そういうと、老人はにっこりと微笑み、店内に消えていった。

 筆者はあと何年ぐらい大型バイクに乗れるだろうか。20年?いや10年?まあ、大型がだめになっても小さいバイクで旅に出続ける男でありたい。そう、俺は永久ライダーなのだ。

 筆者は、ホムセンで防虫スプレー、虫除けスプレーなどを手に入れ、再びスロットルをあげた。なんだか終わりのないというか泥沼化した旅になっていると思うのは気のせいだろうか?
   ようやく男鹿半島一周ルートへ入った。いやあ、なんて素晴らしい光景なんだ。しかし逆に、この断崖絶壁の凄まじさよ。近年、老化が著しいキタノさんは、あんまり刺激が強いのがダメなんです。景色がいいのはわかった。でも高所恐怖症の苦しさは言語を絶するぞ。これが四輪とか車重の軽いスカブなどなら絶対に症状が出ない・・・といっても信じていただけないと思うけど。 
 昔の観光地に到着。廃業した土産物屋や食堂が立ち並んでいた。もしかしたら、バブルの頃ぐらいまでは凄い賑わいを見せていたかもしれぬ。市で管理するトイレに入ったら、虻がいてズボンを落として用が足せぬ。卑怯だぞ、虻野郎と捨て台詞を残しながら、真下の男鹿桜島リゾート・キャンプ場へ移動した。   
   ここでキャンプしてもよいかなとも思ったが、またも駐車場からサイトまで遠いので断念する。

 さらに先端に向けてマシンを進めると、ようやく入道崎へ到達した。

 売店が立ち並び、流石に観光客で賑わっていた。 
 筆者としては、特にどうとも感慨のない地だ。いや、もっと観点を変えて、きちんと観光すればよいのかもしれぬ。でも、こう暑くては、なんともやる気が出ない。

 R7へ合流し、延々と北上しているのだが、なんだか内陸部に入っていく気がすると、一応歴戦の旅人の勘が能代あたりで、ようやく機能した。

 とりあえず、腹が減ってきたので、ラーメン専門店へ入り、味噌ラーメンをオーダーした。普通に美味しい味噌ラーメンを完食した後、オーナーに竜飛岬方面を目指しているのだが、このまま進んでよいものか訊いてみる。

「とんでもない。引き返して、4つ目の信号を右折してR101方面へ右折しないと海岸線沿いを北上できませんよ。R7をまっすぐいったら弘前です」
『え〜、そうだったんですか』
 とにかく親切なオーナーへ訊いてみてよかった。被害を最小限にとどめ、R101をドナドナと北上していく。

 40分ぐらいすると、ハタハタ館という温泉施設があり、”御所の台”というキャンプ場が隣接されているはずだ。

 暫くすると大きな駐車場と渦中のハタハタ館の看板が見える。駐車場に入り、キャンプ場を探すとバンガローばかりの施設があった。これが御所の台という野営場かい?なんて東北には、ナンチャッテキャンプ場が多いのだろう。比べちゃいかんが、北の大地のスケールにはてんで及ばないと思った。

 ところが・・・  
 やや右側に御所の台キャンプ場発見。設備の整ったハイレベルの林間野営場だった。受付のおねえさんに用紙を提出すると、
「福島市からですか。本当にこのたびは大変でしたね」
『いやあ、それほどでも』
 心から同情されてしまったりした。

 利用料千円、さすがにキャンプ王国北海道に近いだけあると思い直した。 
 
 テントを設営したあと、なぜかキャンプサイトの入口にあった居酒屋食堂に入る。

 こういう感じに飲み屋さんがあるとつい嬉しくなる。とりあえず、刺身の盛り合わせとサザエの壺焼をオーダーし、地酒に下鼓を打つ。いやあ、キャンプとは思えませぬなあ。

 さて、いささかヨッパになった。そのハタハタ館という温泉施設に入ってから寝よう。キャンプ場で割引券も購入したしね。少し、ふらつきながら風呂に入り汗を流した。いやあ、本当に疲れが取れる心地よさよ。

 最後に露天風呂に浸かってから、テントに戻ろう。

 ところが・・・

 ギャー・・・

 大量の虻が、筆者の下半身に襲いかかってきた。痛いって、ホントに痛い。露天風呂に浸かりながらも痛みが増してくるので、慌てて内湯に避難した。

 内湯に入り、何気に足を見ると黒い点々が?

 つまり、虻野郎が、筆者の足に十数匹噛みつきながら水死しているという、おぞましい光景が待っていた。さらに筆者のお尻の核心地へ近い部分にも虻が噛みついて戦死している模様。症状は痔と同じかと思う。

 ノウ〜

 歴戦の旅人であるキタノさんは、ほとんど満身創痍でテントに戻り、お尻の激痛で気絶していたそうな?

 北東北、恐るべしっ!




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