北海道ツーリング2008








画像提供:yasupaさん


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我が敵は我にあり



 函館の中心部から、湯の川方面へ向かう。豪華温泉旅館が林立するR278を走るが、このまま恵山へいくルートは過去に走破済だ。ここは山沿いへ行ってみよう。

 ということで、トラピスチヌ修道院を過ぎ、道道83を突き進む。本当に山の中の街道だった。途中、トンネルがいくつかあったが流石にもう気にならなくなり、順調に川汲峠を走破していくと”川汲公園”の標識があった。とりあえず立ち寄ってみるか。
 川汲公園は、散策路やキャンプ場まで併設する大きな施設である。だが人影はまばらだし、周辺をを歩くもキャンプ場は確認するに至らなかった。

 まあ幕営するにはまだまだ早い。長椅子に横たわって、煙草を吹かした。当初はあんまり気の乗らない今回の北ツーだったけど、いよいよ旅の終盤になってくると日常に帰るのがとても鬱になってきた。
 そんなことを思いながらスロットルをあげる。すると秘湯っぽい川汲温泉がすぐに見えてきた。いつの日か、もっとオヤジ、いや老人になったら、この温泉も利用してみよう。

 そして、太平洋側の恵山国道へ合流する。なんだか久しぶりに走る道だ。大船かあ、昔、このあたりでキャンプしたことがあった。そういえば、このあたりの寿司屋で”蕎麦寿司セット”を食べた。本当に美味しかった記憶があるが、建物は廃屋と化していた。ずいぶん前に廃業してしまったらしい。

 寂しい気分で、100度の温泉が10分間隔で15Mも噴き上げるという”しかべ間欠泉公園”を通過。そして、道の駅”つど〜る・プラザ・さわら”も通り過ぎた。砂原町って確か森町に合併されたんだっけ?ここのラズベリーソフトクリームがなかなか美味しかった。あれはいつの頃だったか?2001年頃か?随分遠い記憶になったもんだ。

 R5へ合流し、一気に長万部まで北上する頃になると陽が落ち、周囲が暗くなってきた。そろそろ、今夜のキャンプ場を探さないといけない。

 コンビニで酒や食材を調達し、駐車場でツーリングマップルを眺めていると、
「こんばんは」
 駐車場で休んでいたツーリングライダーから、とてもよい笑顔で挨拶をしていただく。
『お晩です。今夜はどちらにお泊りですか』
「私は明日の明け方には離道するので、このまま一気に函館へ向かいます」
『そうでしたか。俺も明日の夜には苫小牧からフェリーで帰路に着きます。今夜は、このあたりで野営するつもりです』
「このあたりなら、長万部公園のキャンプ場が近いですよ」
 と、言いながら彼はわざわざTMを広げ、場所を示してくれた。
『ありがとうございます。そのキャンプ場にしてみます』
 本当に笑顔がいい青年だった。いつの日か、北の大地のどこかでまた会おうな。

 なんだか雲が多くなり、急激に冷え込んできたが、俺の心には暖かな炎が灯ったような気分になる。なんて思いながら長万部公園へ向かった。 

 長万部公園キャンプ場着。しかし、管理棟には人気がない。もう受付は終了してしまったかとふと思ったのだが、よくよく見ると奥の方に灯りが見えた。
『すいません。今夜、キャンプさせてください』
 と、少しドアを開けるとおねえさんが出てきて、
「わかりました。では、こちらの用紙へ記入してください。サイト料は5百円になります。あとゴミは全部持ち帰りになります」
 とのこと。

 ゴミ持ち帰りは痛いが、もう他のキャンプ場へ移る気力がないので渋々承諾した。
 渓流に面した静かなサイトへテントを立てる。そして飯を炊き、粗末なおかずで夕食を済ませた。

 画像には写っているけど納豆3パックは明日の朝食のおかずにするつもりだ。

 食後、ラジオをつけ、また本を広げる。俺は完全に活字中毒なもので。
 思えば、今宵が2008年夏の北海道ツーリング最後の夜だ。でも俺はまだまだ戦えるぞ。もとい、旅を続ける余力は充分に残している。今からでも山にだって入れるし、どんなトレッキングにも後れを取らないつもりだ。なんて悔恨の念も今さらながら多々溢れてきた。こんな弱っちいままで、この夏の北の旅を終わらせてよいものか。自問自答を繰り返しているうちに、いつの間にやら深い眠りについていた。
 翌朝、起きだしてテントの外へ出てみると、やはり曇天だった。道内全域の天候が下り坂らしい。なんだか気が滅入ってきたが、クッカーで飯を炊き納豆をおかずにこの夏最後の北の大地での朝食を済ました。やはり炊き立てのご飯に納豆はとても合う。

 そしてテント撤収。朝の体操がてらてきぱきと済ませた。数張ほどのツーリングライダーのテントを横目にしながら長万部公園を去る。なかなかのんびりしたサイトだが、有料なのにゴミ持ち帰りだけは勘弁だと思った。
 墨を落としたようなあいにくの天候の下、R37を北上していく。こんな天気だと本当に気が乗ってこない。噴火湾は霧がかっていて、沖がまったく見えなかった。そして肌寒い。苫小牧まで意外に長い道のりである。

 ええい、面倒くせい。少し手抜きだが久しぶりに道央道を使うか。豊浦から高速道路に乗る。豊浦噴火湾PAで、申しわけないが昨夜のキャンプのゴミを処分させていただく。すいませんねえ。しかし、こんなことを旅系ライダーへさせている矛盾に行政は気づいているのだろうか?かなり疑問だ。

 濃霧の道央道をひたすら北上していくが、トンネルばっかし。頭がくらくらしてくる。さらに伊達あたりで、日本で一番高い高架橋へ突入。

 ひゃあ〜、なんだこれ?標高は500メートル以上あり、ガードレールがとても低い。霧で前方はよく見えないけど、下界の街並みはなぜかよく見える。なんだか俺は嫌がらせばっかり受けているみたい。

 いや違う。俺の心が弱すぎるんだ。

 我が敵は我にあり!

 でも弱っちいチキンライダーは、たまらず室蘭で高速を下りる。久々に”試される大地”という言葉が彷彿してきた。そして完全に雨模様。モンベルのゴアのカッパを身にまとって室蘭の山中を彷徨う。ここはどこだ?と思っているうちにようやく市街地へ辿りつく。

 ふたたび荒天のR36を北上し始めたが、苦しいばっかりの展開だぜ。とにかくアクセルを延々と握り続けた。途中、入浴朝食つき千円と看板へ表示している温泉施設もある。確かに風呂には入りたいけど朝食は済ませている俺は、じっと我慢の子であった(かなり古い)

 まだ昼間なのに薄暗い室蘭街道を駆ける。カッパにあたる雨滴の音だけが異様に耳に響いた。白老を過ぎる頃、霧に煙った苫小牧の工場地帯がようやく浮かび上がってくる。なんとも寂寥感漂う光景だった。

 とりあえず遅い昼食でもとるか。いつものように港の市場に併設されたマルトマ食堂へ向かった。早くしないと14時には閉店になってしまう。なんて思っているうちにマルトマ食堂着。

 ところが・・・

 大行列だった。店の外へはみ出すほど人が並んでいる。この列に混じるほど、俺は食を追求するグルメな旅人ではない。がっかりしながら踵をかえした。

 しかし、北海道ツーリング歴だけは長い俺はすぐに昼食の代案を思いついていた。柳町のラミタ(羅魅陀)だ。永久ライダーの軌跡のグルメ情報にも掲載している店である。久々にラミタで本物の札幌ラーメンを食べよう。

 ラミタはTMへは載ってない。少し迷いつつも過去の記憶を辿りながら、ようやくR36沿い、ジャスコの少し先に独特の雰囲気を漂わす店舗を発見した。ここを訪れたのは何年ぶりだろうか?1999年にヨッシーと一緒に美味しいカレーラーメンを食べた。その翌年は、ひとりで食べにきた。
「いらっしゃいませ。食券を購入されてください」
 元気な従業員のおばさんから促され、こってり醤油ラーメンのボタンを押した。
『トッピングでチャーシューをつけたいのだが』
「では、こちらのボタンを」
 店内は常連客で賑わっている。さらにタクシーで乗りつける営業風の男女もいた。

 暫し人間模様を眺めているうちにこってりラーメンが運ばれてきた。
 これだ!

 ラミタの札幌ラーメン醤油味の真髄は。見た目は脂濃そうだけど一口飲むと意外にあっさり。でもダシ、いや旨味は充分に効いている。麺は典型的な札幌系だった。なんだか嬉しくなる味だねえ。とても美味しくいただきました。

 さて、まだ乗船まで若干時間はある。旅の間、放置プレイ状態の永久ライダーサイトはどうなってしまっていることやら。R36へ戻り、いつものネット喫茶へ少しだけ寄ってみることにした。

 雨の中、喫茶へ到着し、自分のサイトを覗いてみると、EOC穂別へ参加したいという旨の小坊主さんの書き込みがあった。うわっ、もう2週間近く前だ。仙台の小坊主さんは今回のEOCには参戦されてない。キタノの返信がないから参加を自粛されたとすれば大変な失礼をしていたと思う。

 EOCは、こじんまりとしたキャンプ会なので当日参戦も全然OKなんです。またキタノは旅に出ると基本的にネットから離れるので、どうにも防ぎようのないイレギュラーな事態に陥っていたようだ。

 それでもMSRさんが機転を利かせ、キタノに代わって小坊主さんの投稿へ返信してくれていた。フォローありがとうございます。

 小坊主さん、次回こそは必ず一緒にキャンプしましょう。心からお待ちしています。

 ネット喫茶から出ると外はやっぱり雨だが、そろそろフェリーターミナルへ行こう。降りしきる雨の中、苫小牧港へ到着。太平洋フェリーの受付窓口で搭乗手続きをとり、指定の二輪駐車場へマシンを停めた。まだ早いせいかツーリングライダーの数は少ない。

 とりあえず売店へ買い物に向かった。しかし、待合室は非常に混雑している。なんとか酒や食料は調達し、マシンへ戻ると雨はあがり、並ぶ二輪車の数も相当増えていた。ソロのツーリングライダーよりも団体ライダーが多い。ほとんどは俺よりも年長の高級マシンを駆るオジサンばかりだ。そして仲間内で写真を撮ったりしながらはしゃいでいた。

 人の旅の仕方はそれぞれだし、特に否定はしないが俺の旅とは対極をなす皆さんが多くなったような気もする。でも本人が満足できればよいことだ。

 やがて乗船する。

 荷物をB寝台に置き、ロビーでTVを見ながらビールを飲んでいると出航の銅鑼が鳴る。ゆっくりとフェリーが轟音を発しながら動き出した。不景気のせいか世の中が、少しずつ狂い始め、また確実に来年の夏も北海道に来れるかはかなり疑問だ。

 でも状況が許す限りは北の旅を継続したい。

 前述した通り、再来年の渡道は今から不可能だとはわかっている。

 いろいろな思いが一気に彷彿してきた。苫小牧の街の灯は遠ざかりやがて見えなくなる。なんとなく俺の大切なものと無理矢理引き離されたという感じがした。

 船内でもビールからウイスキーへ切り替わる頃、いつもの野営のように全身へ心地よい酔いがまわり始め、船室へ戻り熟睡してしまった。

 今宵のフェリーはひどく揺れていたような気がする。 



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