北海道ツーリング2007















 やっぱり、暑さで目覚めた。こんな早朝から、どうして日差しが強烈なのだろう。テントから這い出すと灼熱の太陽が容赦なく照りつけ”ミンミン蝉”の鳴き声がかまびすしい。

 前室を見るとフレームが折れ、フライシートが引き裂かれた見る影もない無残なテントの光景が否応なく目に入り、また落ち込んでしまう。

 イトウさんも起きだしたので、一緒に公衆浴場まで歩いた。途中、湖面にクロテンの姿が一瞬見えたが、すぐに排水孔の中へ隠れてしまった。しかし、暑い。

 公衆浴場は今日もぬるめで、いい湯だった。例年、飛び上がるほど熱かったのに、今年はどうしてしまったのだろう。とにかくじっくりと湯船に浸かりキャンプサイトに戻った。

 朝食は相変わらず登山用の梅粥だ。あんまり食欲もないのでちょうどいい。イトウさんはしっかりと米を炊き、納豆+キムチをおかずにご飯を食べている。なるほど納豆のほかにもう一品キムチを添えると飽きがこないかもしれないし、実に旨そうだ。

 食後、テントの応急処置を済ませる。イトウさんに手伝ってもらいながら、折れたフレームをリペアパイプで繋ぎ、ガムテープで固定した。フライシートも破れた部分をガムテープで覆う。まあ、これで当分はなんとか凌げるだろう。そしてテントの撤収を開始する。

 昨夜、イトウさんと多和平キャンプ場に行ってみようということになっていたのだ。365度の眺望を見に展望台には行ったことはあるが、キャンプ場までは利用してない。

ちんさん
 実は先月、”EOCあだたら高原”に無理を申しあげて参戦してもらった二輪便利帳のちんさんの一押しキャンプ場でもあるので、気にはなっていた。

 それに俺はもう和琴に4連泊だ。いい加減、それそろ動かないとヌシ化してしまいそう。

 5日ぶりに大量の荷物を満載し、過積載復活となる。バイクを垂直に立てるのも難儀するぐらい本当に重い。焚き火台や山道具まで持参なので軽量化は難しいところだ。
「また来年ね」
 売店から、おばさんに手をふられ出発。しかし、バイクに乗っていても暑い。途中、信号待ちで、タンクバックのマップを見ながらボウっとして微速前進していると前の車に激突しそうになるし。

 でもまあ、多和平は弟子屈の市街地を抜けるとすぐそこなんで、あっという間に到着。
 キャンプサイトは、まだ時間的に早いので閑散としていた。今、立っているのは、遅出の人か連泊組のテントだろう。

 イトウさんとサイト内を歩き回り、なるべく傾斜のないところを選んでテントを立てた。しかし、設営中にも汗が滝のように滴り落ちてくる。
 このあと、イトウさんは知床方面へ向かうそうだ。俺はどうしよう?厚岸に行って牡蠣でも食べてこようかな。あのあたりは涼しそうな気がするし。ということで、夕刻の再会を約束してスロットルをあげた。
 道道13・14、つまり虹別〜標茶を通過して厚岸に向かったが、洒落にならない暑さ。日差しが強いとかのレベルじゃなくて、日差しが痛い。去年も暑かったけど比じゃない。過去何百日も走り抜いた北の大地の中でも一番暑いかも知れない。

 画像は途中、何気に休憩した牧場近く。バイクから降りるとアスファルトからモワッとしたヌルイ空気が立ちのぼり、自然に汗が噴き出してくる。涼を求めて夏の北海道に来ているのに意味がない。
 厚岸に入った。さて牡蠣を食べよう。R44沿いに”海鮮・焼肉ゆっけ”の看板が見えた。店頭でも牡蠣などを炉辺で焼いている。

 ここにしよう。店の中は、普通の食堂という感じなのだが、隣で海産物の直営をしているだけあって、オーダーした牡蠣の美味いのなんのって。レモンをちょっと絞って食べると肉厚で臭みがなく絶妙な味だ。5枚で500円。俺は安いと思うね。
 こちらは”かき丼”、まあ、鶏肉の代わりに牡蠣を使った親子丼といったところだ。不味くはないが、やはり先に生牡蠣の方を賞味してしまったので、どうしてもインパクトが足りない。ただ、珍しいので話のタネによいかも知れん。

 いや、食べた、食べた。もう腹一杯。さて、これから北太平洋シーサイドラインでも南下して涼んでみるかとMAPを確認しアクセルをあげる。 
 R44を釧路方面に向かったが、さらに海沿いの道道142へと左折した。この道も北太平洋シーサイドラインに入るらしい。このあたりは、過去に散々走りまわっているが、なぜか道道142は初めてのような気がする?

 目論見通り、海風が涼しくとても心地よかった。内陸部とはまさに別天地のような爽やかさである。ということで仙鳳趾村の海岸付近で、この画像を撮影。遠くに大黒島が望める。
 涼風の道道142を快走した。

 ロウソク岩、タコ岩など海岸の奇岩を横目に気になるキャンプ場”来止臥”の入口前を通過。昆布森を過ぎたあたりから内陸部へ右折し、ミルクロードを突っ走る。

 周囲は広大な牧草地帯になるが、またもや灼熱地獄に。朦朧とする意識の中、アクセルを惰性で握っていた。途中コンビニで買出しを済ませ、ふらふらになりながら多和平に戻ると駐車場のバイクの数が半端じゃない。広い駐車場に横1列になってびっしり。いや1列どころか、3列になっていた。百台?もしかしたら2百台?カワサキコーヒーブレイクみたいな様相である。まさに圧巻だ。でもキャンプサイトそのもののキャパが広大なんで、テントはまだまだ張れそうな気がする。多和平キャンプ場の人気、恐るべし!

 イトウさんのタープの下で椅子に腰掛けて本を読む。するといつの間にか日が暮れてくる。気温も劇的に低下してきて、とても過ごし易い。しかし、イトウさんは遅いなあなどと思っていると18時半頃、無事帰還。 
 今夜は俺もジンギスカンを調達してきたので、イトウさんのピラミッドグリルで肉を炙って、酒のツマミとした。彼はお土産に毛蟹を購入してくれたのでご馳走になった。イトウさんは蟹の食べ方がまだ不得手のようなので、これも伝授する。

「キタノさん、ウトロの某食堂ってぼったくりですよ。高いわりに量はぜんぜん少ないし、ホッケは真空パックに入ったものを使ってました」
 温厚な彼が珍しく怒っていた。
『ウトロなら、そこじゃなくて一休という店がお薦めだよ』
 といいつつ、俺のHPのグルメ情報に渦中の某食堂が掲載されていた。帰ったら削除しないと。
「お客の子供が、出された”いくら丼”を見て、えっ?これだけと思わず言っちゃったんですよ。そしたら、店のおばさんが、ムッとした顔になって、俺は思わず笑ってしまいました」
 イトウさんは今度は吹きだした。知床も世界遺産に登録されてから、なんだか変わってしまった気がする。

 多和平の夜はゆっくりと更けていく。星空の見事なキャンプ場と噂に訊くが、残念ながら今宵、星降る夜までには至らなかった。

 翌朝、イトウさんはここを拠点に根室方面へ足を伸ばすと言っていた。俺はまだ決めてないが多分移動すると思う。15日に美流渡のオフで再会しようと彼に告げ、ホンダの名車CB1300ボルドールの勇姿を見送った。
 
 ギラギラと照り輝く灼熱の太陽の中、俺はダラダラと撤収作業を済ませた。果て?俺は、これからどこへ向かうべきか。明後日の美流渡オフに備え、少しでも彼の地へ近づいておきたいのだが、この暑さで気力が湧いてこない。

 でも昨日の体験から、海岸線を南下すれば快適に進路をとることが出来そうな気がする。

 よし!

 襟裳を目指そう。途中でキャンプして、翌日に十勝あたりから日勝峠越えをすれば美流渡まで、そう遠くはない。これで決まりということで、スロットルをあげた。

 だが、あちこちで、ショートカットを試みると標茶の山中で完全に迷いまくり、なぜか弟子屈方面に逆戻りしてしまうなどのハプニングもあり。こんこんちきめ!結局、迷走の挙句、R391に出戻り、シラルトロ沼、塘路湖、達古武沼を横目にしながら釧路に辿り着く。なんたるロスタイムだ。

 お盆休みの渋滞の中、釧路の市街地を通り過ぎる。途中、たまたま見つけた山岡家でラーメンをすすり昼食とした。しかし、美味いけど脂が胃に重い。また大量の汗が噴き出してきた。

 白糠〜浦幌を通過。もう地理的には十勝エリアに突入したと思う。気温がまた劇的に低下していた。涼しいというより寒いのでジャンパーを着込んだ。とりあえず、今夜は久々に晩成温泉キャンプ場で野営するか。今宵の食料、酒などもそろそろ調達しておこう。ところが、このあたりにコンビニが存在しなかった。

 ガ〜ン!

 晩成温泉キャンプ場を通り過ぎてしまったが、やっぱりコンビニがない。あれやこれやという間に広尾町まで到達し、ようやくセイコマ発見。買い物を済ませ、店員のおねえさんに、このあたりにキャンプ場はないかと訊ねると、ぞんがい丁寧に広尾キャンプ場の位置を教えてくれた。

 ところが、1泊千円のこのキャンプ場は、どうしても俺の嗜好に合わないファミキャン用のサイトだったので気が進まない(俺は我儘なもんで)
 やむなく晩成温泉まで引き返すと、往復60キロのロスタイムとなってしまう。周囲は既に暗くなっていた。慌てて受付を済まし、いつの間にか出来ていた温泉横のサイトにテントを幕営した。以前はさらに奥の海岸に面した吹きっさらしのサイトのみだけだったので、なんだか助かった気分。

 急いで、テントを張り終えて温泉でまったりする。晩成温泉、いつ来てもいい湯だ。疲れが本当に癒された。
 テントに戻り、肉を焼いてグランブルーをじっくりと煽る。また小説を読み出し、気分よく酩酊してきた頃、レース用のモトクロスと四輪バギーが轟音を発しながら、海岸を好き放題に乗りまわしていた。もう、23時近いぜ。隣の子連れライダーの父親もこれじゃ寝れないよと怒りの声をあらわにしている。

 そんな大馬鹿行為もやがて収まり、周囲は急速に静寂へと包まれていく。

 と思ったら、今度はキャンプサイトのすぐ横の道路で若い男女数人が花火をおっぱじめた。もう、夜中だぜ。俺は学生時代、ディスコでも爆睡していたぐらいなんで、多少の喧騒には寛容なんだが、深夜の花火はいくらなんでもまずいしょ。流石に注意しようと思ったら、俺より先に近くのテントのオッサンが怒り心頭で怒鳴りつけ若者たちを追い払った。

 そんな騒ぎの中、俺は、すっかり浅田次郎の短編小説集”月のしずく”の世界に引き込まれていた。

 やがて、俺の意識はきっぱりと途絶えてしまったらしい。

 太平洋の波の音だけは、いつまでもこだましていた。

 翌朝は爽やかな涼しい空気の中で目覚めた。本当にぐっすりと快眠し、気力が横溢してきたぞ。今日は美流渡オフだ。気合いを入れて走るか。

 米を炊き納豆3パックをおかずに飯をぶちこんだ。テントもテキパキと撤収し、パッキングも完璧に済ます。まだ時間的に早いので、暖機は遠慮し、チョークをあげたままキャンプ場を撤収した。

 早朝の澄んだ空気を浴びながら、十勝の大酪農地帯、幕別町、更別村を駆け抜ける。R38を左折して清水町へ突入。そして日勝峠へと。この時間帯になると気温がジリジリと上がりだしてくる。でも日勝にしては珍しく霧もなく絶好の峠越えを楽しむことができた。

 日高に入り、道の駅でアイスクリームを食べながら小休止している頃になると尋常じゃないぐらいぐらいの灼熱の太陽が照りつけ始めた。もう耐えられないぐらい暑い。干物になりそうだ。

 ひるまず、スロットルをあげ、石勝樹海ロードを走っていると”樹海苑”の看板が目に入った。今日は朝からずいぶん走った。少し早いが昼食にするか。

『こんにちは。お久しぶり。樹海ラーメンお願いします』
 まだお客は誰も居ない。
「いらっしゃい。おや、あんたかい。こんなに暑いのに樹海ラーメンでいいのかい?冷たいラーメンもあるよ」
『ええ、樹海ラーメンでいいよ。それが楽しみで来たんだし』
 なぜかおばさんが調理していた。後から訊いたんだが、おじさんは昨年他界されたそうだ。かなりショック。
「おばちゃんが作っても味は同じだよ」
 テーブルに山菜がどっさりと入った樹海ラーメンが運ばれてきた。

 美味しいけど暑くて汗がボロボロ。おばさんは、ペッボトルに入った冷えた水を持ってきて、
「どんどん飲んで、おばちゃんが汲んできた天然水だからね」
 お言葉に甘えて、ガブガブと水を飲みながらラーメンを頬張った。

 ここからおばちゃんの長時間に渡る大演説を拝聴する。

 北海道の男はダメよ。人はいいけど口ばかり大きなことを言って。稼ぎが少ないのにギャンブルは好きだし、酒飲みも多い。借金もする。でも基本的に堪え性がないから、すぐ自殺するし。離婚率も交通事故も全国ナンバーワンよ。本当にだらしがないわ。そこいくと北海道の女は強いよ。働き者だし、本当によく辛抱する。あんたんとこの嫁は北海道?じゃないわよねえ。北海道からもらえばよかったのに。うちの旦那はねえ、酒も煙草ももちろんギャンブルだってやらなかったよ。本当に無口で硬い人だった。やっぱり男は北の男よ。といいながらおばちゃんは東京の出なんだけどね。子供の頃は父親が江戸っ子の職人気質っていうやつ?口より手が早くて本当に厳しかったの。北海道に嫁ぐって決まった時なんか二度と東京へは帰って来るなってはっきり言われたもんだわ。となりのスタンドを開業した時も多額の借金背負ったけど、全部完済したわ。人間、真面目にやればなんでもできるものよ。ただ何年か前まで働いてくれていた大阪のおじいさんライダー、あの人はとても偉大だった。こっちの方がいろいろ学ばせてもらったわ・・・

 約1時間半続く・・・

「でもね、近頃の若い人はおばちゃんの話が煩わしいという人もいるの。今風にいうと”ウザイ”っていわれるのよねえ」
 おばさんは、小さく溜息をついた。
『そんなことないよ。俺はラーメンも楽しみだけど、おばさんの話も楽しみなんです』
 俺は冷たくなったラーメンの汁をすすった。
「あんた優しいねえ」

 次の客が来た。やっぱりライダーのようだ。

 俺は交代するように店を出た。

 樹海ロードには一片の雲もなく、どこまでも続く灼熱の蒼空だけが広がっていた。



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