北海道ツーリング2007








洞爺湖の夕陽



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「キタノさんじゃないですか。いやあ、びっくりです」
 目を丸くして驚いているイトウさんの姿が俺の左横にあった。
『まったくだ。本当に奇遇だね。まさに二度あることは三度あるってやつか』
 広い北海道の旅の中で、三度も出会うとは凄いことだ。彼も神威岬の積丹ブルーにいたく感激していたようだ。

『俺はね、積丹岬などは過去にも訪れているのだが、神威岬は外していたんだ。なんでも網羅するように見てしまうと、なかなか、もう一度来る気力が失せてしまうでしょ』

 たとえば、礼文島は過去3度も上陸している。しかし、8時間コースや澄海岬、ゴロタ岬、無人島であるトド島など、いろいろまわっているが、意図してゴロタ岬からの眺望と双璧といわれる景勝地”礼文岳”には登ってない。俺は島に渡る大義名分を自分なりに維持しているつもりなのだ。

 炎天下、そんな会話をしつつ、またも大汗をかいて駐車場へ戻った。

イトウ氏
「キタノさん、朝食はとられましたか」
『ああ、一応、セイコマで本当に軽くなんだが食べたよ』
「もしよければ、この近くで”うに丼”を食べませんか。朝の7時半から、やっているようだし」
『うに丼か。積丹は本場だね。じゃあ、俺もいってみるか』
 ということで、ここから近い食堂”うしお”へ向かう。
 うしおへ到着すると既に先着のライダー2人がうに丼を食べていた。

 テーブル席へ腰かけ、メニューを見ると
「うに丼の赤と黄の違いはなんですか」
 イトウさんは首を傾げた。
『赤はね、バフンウニで・・・』
 俺が言いかけるとオーダーをとりにきたおばさんが、
「黄がムラサキウニです」
 続けて言っていた。

ムラサキウニ

バフンウニ
 やがて豪華絢爛の”うに丼”が運ばれてきた。お見事。本当に素晴らしい。俺は2200円のムラサキウニでイトウさんは高級なバフンウニ3000円を注文したのだが、両者、殻だしの新鮮で絶妙なうに丼だった。

 恐らく今まで食べたどの”うに丼”も、ここの味を凌駕するものはないと確信した。ほっぺが落ちるほどの濃厚なウニのボリュームだ。
 すっかり、絶品のうに丼に満足して外へ出た。イトウさんはスカイツーリングということで、札幌でバイクを預け、千歳空港から今夜の羽田行の便で帰宅するそうだ。

 とにかく道の駅”いわない”まで、R229を一緒に走ることにした。彼に先に走ってもらうが、流石に若いだけあってペースが速い。俺は歳のせいか、終始のんびりと走行していたら結構ひらきが出てしまった。

 道の駅”いわない”着。ライダーの姿も多いような気がする。やはり暑いが、イトウさんと暫し歓談する。

「この旅では本当にお世話になり、ありがとうございました」
 彼は過分な礼を言いながらマシンに跨った。ニセコパノラマラインを走破してから、札幌に向かうそうだ。
『こちらこそ』
 俺は、最後まで礼儀正しい男、イトウさんの後姿を見送った。

 礼儀正しき人は心正しき人なり・・・

 またEOCで再会する日を楽しみにしています。

 各いう俺も今宵が、この夏、北海道の最後のテン泊の日だったりした。なんだか旅が長く続いたせいか、日数の感覚がかなり麻痺している。

 果て?どうしたらよいものか。

 とりあえずR229、つまり”ソーランライン”を南下してみるか。ジリジリと暑い道のりをひた走る。まあ、海岸線の道なんで、極端には暑くないけど。

 しかし、どのぐら走ったろうか。恐らく寿都町を過ぎたあたりのセイコマで小休止し、水分を補給した。

 俺のマシンの横にいつの間にか函館ナンバーのバイクが停まっており、ほぼ同年輩のライダー(実は年上)が携帯でお話中だったが、やがて電話を切った。

 その瞬間を見計らって、
『こんにちは。俺、明日の夜に苫小牧から帰るんですが、今夜のキャンプでお薦めポイントはないですか。毎年、道東や道北には来ているんですが、日本海側のこのあたりは近年、走ってないので、すっかり疎くなってしまって』
 思い切って訊ねてみた。

「そうですね。明日の夜の苫小牧発なら、いろいろ走れますよ。ぼくの地元の函館だって、不可能な距離じゃないと思いますが、余裕をもって洞爺湖周辺がいいかも知れませんね」
 本当に親切な対応をしてくれる方だった。

『なるほど、洞爺湖ですね。たまにはいいかも知れません』
 ちらっと東大沼キャンプ場を想定していたのだが、あんまり欲張り過ぎるのもなんだろう。お礼に”永久ライダー”ステッカーを差し上げると、
「永久ライダー!おお、これはいいフレーズだ。ぼくも20数年、バイクに乗り続けているし。少し、結婚した頃にブランクはあるけどね」
 彼は満面の微笑みを浮かべながら、さっそく愛機に貼ってくれた。

「実は毎年、洞爺湖の中島まで友人とカヌーで渡っているんだが、意外とカヌーだと遠いんですよ、あの島って。でもさあ、洞爺湖サミットの時にかぶったら捕まっちゃうかな」
 また吹き出していた。本当に明るくて気さくな方である。

『では、ありがとうございました。また、どこかで』
 俺はマシンからゆっくりと氏に向かって手を振り、スロットルをあげた。

 ソーランラインを少しだけ南下し、黒松内町方面へ左折した。つまり内陸部へ入る。途中、広大な原野の中の一本道をつき抜けた。
 あれ?

 快晴なのに気温が劇的に低下してきたぞ。とてもTシャツ姿ではいられない。慌ててジャンパーを着込んでまた走りだす。

 どうやらオホーツク高気圧が張り出して来たようだ。本州でいえば秋空というやつなんだが、北海道の夏は、本来、こういう感じだったような気がする。
 この旅で一番快適な空の下、豊浦町に入ると太平洋が見えてきた。日本海から太平洋まで一応横断したことになるが、このあたりも涼しかった。

 虻田町でドライブインに入り、昼食をとる。なんとなくスタミナをとろうと”ポークステーキ”をオーダーしたのだが、千円ぐらいで凄いボリューム。目玉焼きまで乗っていた。しかし、朝はうに丼で昼はポークステーキとはリッチな食事が続く。

 すっかり満腹となり愛機に跨った。腹が苦しいとぼやきながらスロットルをあげ、心地よいワイディングをひらりひらりと楽しみながら洞爺湖畔へ到達した。

 洞爺湖か。この湖もなんだか懐かしいなあ・・・

 なんて思いながら、セイコマで買出しを済ませ、湖に沿った道路を走りつつ幕営地を物色していた。

 来夢人の湯・・・

 フィンランド木材を利用したログハウスの温泉施設だとか。利用料も360円と比較的お安い。さらにキャンプ場(仲洞爺キャンプ場)も隣接している。ここがいい。管理棟に向かい、さっそく受付を済ませた。サイト料400円も適切だし、管理人のおばさんも非常に親切な方だった。

「本来、バイクは道路を挟んだ駐車場に停めてもらうんだけど、心配なら管理棟横の倉庫の脇に停めていいよ」
『はあ、そうさせていただきます』

 荷を解き始めていると最後の最後に衝撃の事実が・・・

 トップケースを固定しているキャリアのボルト4本のうち1本が折れて吹っ飛んでいた。

 オー、マイ、ガアッ!

 ナンタルチア。あまりの過積載での長旅にキャリアのボルトが耐えきれなかったらしい。恐らく今日までバイク屋もお盆休みだろう。ボルトが途中から折れているので、ホームセンターで部品を購入しても自力での修復は困難だ。

 とにかく管理人のおばさんに頼んで、針金をもらいボルトが飛んだ部分をグルグル巻きに固定した。あと一日なんで、なるべくトップケースには荷物を入れないようにしてキャリアの負担を軽減させながら走ることにしよう。この過積載で荷崩れなど起こしたら大惨事になりかねないし。

 不幸中の幸いなのが、この洞爺湖から苫小牧までがそう遠くないことだ。欲張って道南方面まで足を伸ばさなくて本当にラッキーだったと思う。
 陽は西へ大きく傾いている。意気消沈しつつもテントを設営した。さして広くない林間のサイトだが、盆のハイシーズンを過ぎたせいか、とても閑散としていた。

 今宵は静かなキャンプが期待できそうだ。さらに木陰が陽を遮ってくれているので、テントの内部も涼しい空気に満ちている。

 蜩のかまびすしい鳴き声だけがこだましていた。
 風呂へでも行くか。来夢人の湯も人気がなく、じっくりと温泉を楽しむ。

 しかし、途中から、多分?地元のおじいちゃんたちが、どっと入ってきたので風呂からあがることにした。

 風呂上りの涼しい空気も心地よかったし、サイトから望む西陽に照らされる中島の光景も美しい。
 混んでさえなければ、洞爺湖畔のキャンプも本当に快適だと思った。

 前室で肉や野菜を炒めつつ、ビールを飲む。やはり、こういうスタイルこそが、俺の旅の基本だ。

 やがて、酒をグランブルーへ切りかえると、酔いがどっとまわってくる。
 アクシデントが頻発し、心細くなっていたのかも知れない。またしても妻に電話を入れた。

『キャリアのボルトが飛んでしまって参った』
「で、どうにかなるの」
『ああ、トップケースの荷物を軽くして、なるべくキャリアに負担をかけないようにするつもりだ』
「それで、本当に大丈夫なの?」
『明日は最終日なんで、なんとかなるだろう』
「気をつけてね」
『明後日には、無事に帰るよ』
 なんだか、昨今は、妻というより、ほとんど母性を感じていたりする。旅に出ると自分の弱さというか脆さばかりを痛感する本当に情けないこの頃の自分だ。

 今宵、読んでいる小説も浅田次郎の短編集だ。三十年近くもコンビナートの荷役をし、酒を飲むだけが楽しみ。そんな男のもとに十五夜の晩、偶然、転がり込んだ美しい女・・・

 第一話はそんな展開だったか・・・

 ふと洞爺湖上空に月が出てないか気になって、ジッパーを開けて夜空を見上げた。月は見えないが、この時期限定の花火が天空に人為的な光彩を放っている。

 やがて、その花火の轟音も消え、あたりは漆黒の夜のしじまに覆われていた。まるで祭りの後の余韻、いや侘しさのような匂いだけが、微かに漂っていた気がしないでもない。

 2007年夏、北海道最後の夜の記憶がいつの間にか尽きていった。 



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