北海道ツーリング2006
仙台港FTにて
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4月の末、俺は自宅の書斎で出勤前に爪を切っていた。 「あら、ずいぶん余裕があるのねえ」 妻が呆れたように呟いた。 俺は、つい先日、3年間乗り続けたサブマシン・マジェスティ(通勤専用)を下取りに出し、カブ90を購入した。転勤で、通勤時間が大幅に短縮したことと、いずれ決行されるかもしれない冬の北海道キャンプツーリングを想定していたからだ。 カブ90、車体が軽過ぎるし、苦手なロータリー式ギアでとても乗りづらい。まあ、慣れるしかあるまいと思い天気がよければできるかぎりアクセルを握るようにした。 この日もキックペダルでエンジンをかけ、順調に職場近くまで走行していた。裏道を通るので路面状況が悪く段差が多い。シフトアップしたつもりでギアを軽く踏み込むと急ブレーキ。つまりローに入ったようだ。さらに段差に乗ったあたりなので、バランスを崩した俺は宙に舞い、顔面からアスファルトへ叩きつけられた。 事故ってぞんがいあっさり起きるものだなあと痛感した。どんな熟練だって、運転が上手いといわれる人間だって、100%絶対に大丈夫ってことはない。とにかく俺は、道路に物体となって横たわっていた(ようだ) いろんな人に助けられ、そして励まされ、気づくと救急車に乗せられていた。 顔面骨折、全身打撲、前歯が4本吹っ飛び・・・ かつて、和製トム・ハンクスと職場の若い女の子から黄色い声で騒がれた俺の甘く端正なマスクが見る影もなくなる。 もう少しで、永遠の眠りにつくところだった。 結局、俺の2006GWは療養生活で消えた。 実に情けない話である。 そして3ヶ月が過ぎた。 「あなた、永久ライダーって威張ったって事故ったら、またいろんな人に迷惑かけるのよ」 妻は怪訝そうな顔で、パッキングしている俺の姿をじっと見ていた。 『別に威張ってないけど分かってるよ。じゃあ、行ってくるわ』 事故から3ヶ月が過ぎ、俺は完全に蘇えり、乗り慣れた愛機ゼファーを北へ向けて走らせた。 北海道ツーリング2006が始動する。 とにかく暑い。35℃は軽く突破しているだろう。 東北道〜仙台南部道路〜東部道路と乗り継ぎ、あっという間に仙台港へ到着。悶々とする暑さの中、フェリーの中で使用するものだけ登山用ザックへ詰め込み、デッキ内部へスロットルをあげた。 喫煙ロビーで、本を読みながら酒を煽る。まだ体が旅に順応していない。俺は本当に北の大地へ向かっているのだろうか? いつの間にかB寝台で熟睡していた。 北海道が近づいている。なんとなく体がこの感覚を取り戻していた。 やがて接岸、そしてマシンと共に勢いよく下船した。 今日は日高の沙流川キャンプ場で久々に弟分のラッシャーと合流する予定である。ラッシャーは北海道ツーリングを終え、明日、苫小牧から帰還するそうだ。 その前に夕張の快速旅団で購入したいものがある。それはハリケーンランタン(灯油ランタン)、かつて、あの植村直己も使用してという話だ。なんとしても欲しい。 北海道も暑い。いや温い?蒸し暑いか? Tシャツ姿で夕張へと向かう。なんと走り慣れたルートなのに道を間違えるなどのアクシデントもあり、意外にタイムロスしつつ、旅団入り。 |
「キタノさん、いらっしゃい。お久しぶり」 団長Gen氏がにっこりと微笑んでいた。 実は今夜の沙流川の宴には、お忙しい中、団長氏も参戦していただけるのだ。すいませんねえ。つき合ってもらって。 そしてハリケーンランタン購入。使用上の注意点など教えてもらった。 |
お昼は、久しぶりに「新快速丼」をオーダー。この丼は、美味しいのはもちろんなんだが、スタミナがつき、夏バテ対策にはばっちりだろう。 また、昨年に引き続き、この夏のEOC美流渡の事前の準備もしっかりとしてもらうなど、すっかり旅団にはお世話になってしまった。 暫く歓談し、お先に沙流川C場へ向けスロットルをあげた。沙流川へ向かう道は、どこも雨上がりで路面が濡れていた。 どうやら俺は、偶然にも雨雲を追うように走行しているようである。珍しいことだ。とうとうカッパを着ることなくラーメン屋「樹海苑」、「穂別キャンプ場」など永久ライダーには懐かしい地を通過しながら沙流川キャンプ場へ到着。 団長氏の分と併せて受付を済まし、ラッシャーの参天を探した。すると屋根付き休憩所横で青いシェルターを発見。間違いなくラッシャーだろう。 中を覗くと、元旦宗谷岬をカブ90で2年連続で制覇した男ラッシャーが、カワイイ寝顔で横になっていた。 |
『俺だ、ラッシャー』 「キタノさん、お久しぶりです。来なかったらどうしようかと思いましたよ」 ラッシャーは屈託のない笑顔を見せた。 さっそく俺はテントを設営し、炭焼きコンロを出した。ラッシャーが手慣れた様子で、炭火を大きくしている頃、団長氏到着。 |
空気はやっぱり温い。曇っていて星も見えない。 そんな中、団長氏は伝蔵とは違う参天を張っていた。ちょっと小雨になると有効なタープも取り出すなど相変わらず実験実証主義でいろいろ試しているらしい。近年は海外からの輸入商品の取り扱いにもかなり力を入れている。 「いや〜このあたりのキャンプ場なら沙流川が最高でしょう。でも流石に近過ぎるのでワンパターンになってますよ」 と団長氏は笑っていた。俺は近くにいいキャンプ場があって羨ましいと思うなり。 俺が持参した肉が次々と焼きあがる頃、ラッシャーはサラダオイルをあたため、コロッケなどを揚げ出した。しかし、なかなか上手くいかないようだが、就中、比較的、よく出来た一部のコロッケをご馳走になった。 ラッシャー疑惑?の真相をきっちりと追求?しながら宴は盛り上がる。 『しかし、そうだったのか。いや〜それが健康な男として当然のことだよ』 俺は、したり顔で頷く。 団長氏もにこにこしながら、聴いていた。 実にいい話じゃねえかあ〜(TT) あっ、別にエロいことではない。まあ、出会いって、いや若いって素晴らしいことだな。 以前にも何度か描いたが、ラッシャーは事故で足が悪い。しかし、そんなハンデをものともせずに大学卒業後は、自分と同じ立場の人間を助ける仕事に就きたいという高尚な理念から、4年制の医療系専門学校へと進学している。 来年は3年生だ。いよいよ現場実習が多くなり、もう今まで程、長期間の旅をするのは難しくなるそうだ。 ラッシャーによると、同じくキタノの弟分であるマツは、この3月に大学院を卒業し、日本を代表するような大企業に就職したとか。とにかくラッシャーに輪をかけた学生の鏡のような真面目な青年だった。この夏は、研修のため北海道ツーリングを断念したらしい。 筆者はね、会津の出だ。まっつぐで真面目な若者が大好きなのだ。 少し、風が出てきて心地よい。 ラッシャーがご飯を炊きだした頃、団長氏は「お先に」と言い残し、テントへ入った。 時代は動いている。皆、日常の旅路の中で懸命に戦っているのだ。 ウイスキーを飲み過ぎた俺の頭もコクコクと動いている。 ハッと目覚めた俺は 『ラッシャー、今頃、米を炊いても喰えんだろう』 ボソッと言う。 「大丈夫ですよ。明日の朝にでも炒めて食べますから」 透き通るような笑顔だった。 『そうか、おまえの大好きなチミケップライスにすんだな』 ラッシャーは呆れた顔をしながら 「ケチャップライスなんですけど」 と呟いた。 沙流川の夜のしじまは、急速に広がっていく。 翌朝、俺は頭痛で目覚めた。やはり飲み過ぎたか。 団長氏とラッシャーは朝食をとっていたが、俺はどうにも食欲がない。 ラッシャーが、どうぞというので、シェラカップへ「チミケップライス」をよそってもらう。 |
『おっ、意外とイケますなあ、チミケップ』 「違いますって、ケチャップですって」 やがて団長氏が 「じゃあ、16日に美流渡で」 と手を振り、笑顔で出撃して行く。 そして、この日から道内は信じられない怒涛の灼熱地獄の日々へと突入していくのだ。 |
ホント、信じられない。 沖縄は「亜熱帯」といわれるが、北海道はな、一応、「亜寒帯」なんだぞ! それはアカンタイ? |