北海道ツーリング2005後編
AOさん撮影
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俺は、風を切りながら日高道を駆けていた。やや雲が多く、適度に日差しが途切れるので快適な走りを楽しんでいた。 そして苫小牧へ。 昼食は久々に漁協に併設された「マルトマ食堂」で焼き魚、ホッキ汁などを楽しもうと決めていた。ところがお盆のためお休み。 がっかりしながらマシンへ戻った。 「食堂はお休みですか」 オフ車で乗りつけた若い女性ライダーから話しかけられた。 『ああ、盆休みだってよ』 「え〜、ショックう」 彼女もヘコんでいた。 「これから、どこで昼食をとるんですか?」 小柄で真面目そうな方だ。 『俺は、この先のサンロードという施設向かいの水産会社直営の食堂に行くつもりです』 と答えると、 「あ、あの私もご一緒していいですか?」 彼女は恐縮しながら言っている。 甘ったれんじゃねえ! なんて優しい(女にだけ?)ワタクシは言いません。「どうぞ」とぶっきらぼうに呟きながら例の食堂へ向かう。 幸い、ここの食堂は営業中だった。俺は鮭定食、彼女は確かホッケ定食だったかな・・・をオーダーする。 「私は山梨から来たんですよ」 彼女はニコニコしながら話していた。 「実家は塩山にあります。学生です」 よく喋る娘だ。 やがて定食が運ばれて来て、俺はTVニュースを見ながら寡黙に箸を動かしていると ”宮城県沖地震が発生しました。仙台で震度5強、福島市で震度5弱、局地的に震度6になった模様です。今入った情報によると被害は福島県側に集中しており・・・” マジっすか?驚愕の事態だ。慌てて携帯を取り出し、女房の携帯へTEL、繋がらず。家電へTEL、これもまた繋がらず。どうしよう・・・ 「どうかされましたか」 彼女は俺の慌てぶりにびっくりしている様子。 『俺の自宅は福島市内だ。家には妻子が居る。そして電話が通じねえぞ』 俺は取り乱していた。 「あ、あの、この先にネット喫茶がありました。そこで情報を収集されてみては」 これは助る。 『いい情報をありがとう』 飯を半端に外へ出た。彼女も着いてきてくれた。 「余計なことかも知れませんが、こういう時こそ慎重に運転されてくださいね」 『ありがとう。俺は北野だ。ホームページもある。ヤフーへも掲載されているから、「永久ライダー」で検索すると必ず分かるはずだ。じゃあ、これで失礼する』 お名前は失念したが、山梨の学生さん、これを見てたらあの時は失礼しました。改めて御礼申しあげます。 ネット喫茶をすぐに見つけた。インターネット席に着き、情報収集。負傷者はかなり出ているが死者の情報はまだない。ひたすら、ネットサーフィンを繰り返した。 時間的にそろそろフェリーターミナルへ向かわないと。クーラーのある環境から外へ出る。凄い熱気だ。暑い。 そして、再び携帯から妻へ連絡をとると、ようやく繋がった。 『俺だ。大丈夫だったか?』 「ええ、大丈夫よ。パパの書斎の本が多少崩れたけど。でもなんだか船に乗ってる気分だったわ」 余裕で話しているので一安心。全身の力が抜けた。 苫小牧港フェリーターミナルへ到着。乗船手続きを済ませ、乗り場手前まで移動した。ツーリングライダーも続々と集結し出していた。 「北野さん」 やまちゃんだ。 「柿崎商店でうに丼を食べましたが、結構高かったですよ」 やまちゃんは、既に缶酎ハイで一杯やっていて、ご機嫌モードになっていた。 苫小牧の陽は既に大きく西へ傾き出し、オレンジ色にきらめく陽光が旅の終わりを告げるかのように鮮やかな光彩を放っていた。 「来年はテント持参でEOCに参加しますね。本当に楽しかったです」 やまちゃんは、屈託のない微笑を見せていた。 ともさんとヨーコさんは、まだ見えないが、 『ふたりによろしくな。俺は先に仙台便へ乗るわ。また来年な』 と言い残し、愛機に跨る。 やまちゃんは、かなり寂しそうな顔をしてお辞儀をしていた。でもこの後、大洗便で、ともさん達と1時過ぎまで宴会をしていた模様。さすがヨッパライダーやまちゃんだ。「さすらいのヨッパライダー」シリーズの影の主役は、やまちゃんかも知れねえな(笑) 仙台便、つまり太平洋フェリーへ乗船した。船内は混みあっていた。既に陽が落ち苫小牧の街の灯が穏やかに揺れていた。 出航の銅鑼が高らかに鳴る。 |
すべて事実、これが直球のみで描いた旅人北野の2005年夏の旅の軌跡だ。 俺の現状で出来る限り、そして最大限の規模で体を張った旅をしただけだ。 俺は、誰になんと言われても精一杯やった。最善を尽くしやり遂げた。 少しだけ、旅を回想すれば、すべて知床旅情の歌詞が彷彿してしまう。 知床岬完全攻略・・・ 信じられるのは自分自身の生き延びようとする確固たる意志、不屈の気力・体力のみ。 俺は、基本的に山屋じゃない。ただのキャンプツーリングライダーである。 がっ・・・ 今シーズンから突如として山行を始めた。膝や脹脛を何度も痛めつつ、ルートを変えながらの百名山「安達太良山」頂上踏破は8回に及ぶ。うち7回は単独行である。悪天候で頂上到達断念も含めれば十数回は安達太良山系を俺は歩いていたことになる。 「北野は登山に狂った・・・」 毎週山行を繰り返す俺は、家族や周囲から、かなり呆れられ半ば奇人扱いにもされた。 実は、週末の本格登山を繰り返していたのは、すべて、過酷な「知床岬踏破」を想定してのなりふり構わぬ訓練に他ならない。わざと難易度の高いコースを後半は歩くように心がけた。また県内の他の山々も次々と踏破してきた。 つまり知床岬踏破のためだけに執念で山屋のバディをつくり、サバイバル術の実戦的な経験と勘を短期間で集中して練りに練っていたのだ(お蔭で山行にもかなりハマってしまう)。 一切の甘えなど赦されない、極限、そして壮絶な自己責任の世界だ。延々と続くゴロタの連続。行く手を阻む「念仏岩」、「兜岩」などの難所の数々。そして羆密集地帯での野営の恐怖。 道なき道をテン泊しながら2泊3日を要し、徒歩にて悪戦苦闘の末、ついに長年の悲願知床岬縦走を完遂。 旅人北野が体を張って、コツコツと積み上げてきたハイパー北海道ツーリング系、旅系読み物サイト「永久ライダーの軌跡」、このサイトの歴史始まって以来の快挙の影には日々の地道な努力、週末の山行の効果もかなり大きい。 壮大なスケールで描いた日本最後の秘境、世界遺産「知床岬」。 死線を彷徨った知床岬踏破の軌跡は、俺の旅人としての野営と山行の技術・経験の粋を結集した極限の集大成なのである。 でも、この踏破の軌跡も飽くまで北海道ツーリング中のヒトコマであり、主が「ツーリング」で「岬踏破」を従として位置させたところに永久ライダーの真骨頂がある。 俺の今後の北海道ツーリングは、どこへ行ったかではなく、そこで、どんな足跡を残せたかということに重きを置きながら展開していくに違いない。 為せば成る。 「サバイバルツーリング!」 大袈裟な表現かも知れない。でも俺は、この言葉の意義を生涯を賭けて追い続けていくことになるだろう。 知床の素晴らしい大自然の魅力と難攻の果てに辿り着いた岬への震えがくるほどの達成感、その感動を読者諸氏へ存分に表現できたのなら、俺はこの旅で思い残すことなどなにもない。 俺は知床岬で盗まれたものが、ふたつだけある。 それは・・・ 「俺の心だ」 もうひとつは・・・ キタキツネ野郎に盗られた「スリッパ」の片っ方なんだけど。 まさに男のマロン! |