北海道ツーリング2005前編
尾岱沼
6
「昨夜の雨、大変でしたね」 珍しく俺に怯えていたライダーがビビリながら話しかけてきた。 『ああ、ご覧の通り、テントの中までびっしょりだよ』 俺は苦笑いしながら答え、温泉へ向かう。 体を流し、さっぱりして帰ってくるとなんとカラスが俺のバッグの中の食料を口バシで引き出していた。 |
『こっ、こらあ』 と慌てて走るも登山用のアルファー米ワンパックが犠牲になる。こんこんちきめ! |
まったく和琴のカラスは始末が悪い。ブツブツ言いながら朝食の準備をした。今朝の食事は納豆玉子(玉子は売店で1個30円で売っていた)、ごぼうサラダ、椎茸の油炒め、シジミ汁。なかなかヘルシーメニューだ。 天気はどうやら日中は持ちそうだ。食事を食べ終えたら今日もテントやシュラフを乾さなきゃ。 しかし、玉子納豆って美味い。普段はそんなことなど思ったこともないのが・・・ |
太陽がさんさんと輝き出してきた。とにかく昨夜濡れたものは乾しまくり。しかし、暑い。俺はラジオをつけたまま、またもマットの上で爆睡してしまう。 どのぐらい時間が経過したことだろう。もうテントやシュラフ充分乾いたようだ。しかし、上半身裸の俺のバディは日焼けでヒリヒリする。たまらず、屈斜路湖の水に浸かり涼をとっていた。 そのとき・・・ 「あのう、すいませんがラジオ聴いてないなら消していただけますか」 明らかに年上の年輩のおっさんだった。 『耳障りでしたか。それなら消しますが』 慇懃な言い方だったので、この時はムッとはしなかった。 「私は、ミンミンゼミの声や湖の波の音を大切にしたい」 なるほど一理あるか。でもわざわざ俺のテントの前でセミの声を聴かずとも自分のテントで聴けばいいものを。それに白日のもとキャンプ場でラジオが煩いとは神経質な人だ。特にボリュームを大きくしているわけじゃない。まっ、いいか。俺は煙草に火をつけ、椅子に腰掛け湖を眺めていると・・・ そのオヤジは、別の旅系のキャンパーにもなんだかんだ言い掛かりをつけているじゃねえか。どうやら彼には、環境に対する極めて個人的なルールがあり、その範疇を少しでも超えると黙ってられずに他所様へまで干渉しまくる性分のようだ。 ダメだこりゃ。こんなエコ(環境)オヤジと同じキャンプ場へ一緒に居たら、必ずぶつかる時が来るだろう。俺も自分の価値観は持っているが、人の道に外れない限り、他人に押しつけるようなマネは絶対にしない。いや、むしろ、それが大嫌いだ。さらにエコオヤジは和琴に当分滞在するという情報も入手する。 これは困ったが、俺自身、それそろ動きたくもなっていた。旅人が動きを止めたら、その瞬間、旅系ではなくなる。どんな清流も動きが止まればその水はよどむ、いや腐る。北のサムライに滞在型は似合わない。激しく行動するのが真骨頂だ。 俺は躊躇いなく撤収の準備をし、マシンに跨った。 管理人のおじさんが 「自衛隊さん、もう行っちゃうの」 驚き顔で囁いていた。ちなみに俺は自衛官ではない。過去にも何度も書いたが、遥か昔から管理人のおじさんは、俺のことをそう勘違いしているだけだ。 『また、暫くしたら来ます』 と言うとにっこりと頷いた。 多分、エコオヤジは、ここで近いうちにトラブルを起こすことになるだろう。俺は北海道キャンプツーリングしかなんの取り得のない男だ。でもこと旅に関する勘は、どういうわけか妙に当たる。ここはある意味ツーリングライダーの聖地だし、いろいろな旅人が、ここを目指してやって来る。そして、これから大混雑となるだろう。セミの声どころではなくなるしね。エコオヤジは、それに耐えられないだろう。 一顧だにせず、和琴を旅立った。 俺は中標津、別海町の広大な牧草地帯を彷徨っていた。日差しは微妙、曇ったり晴れたり。でも暑い。虹別の農村公園でベンチに座ると小さな男の子が俺の前を走って通り過ぎた。 「小さい子供を見ませんでしたか」 若いお母さんが心配そうに尋ねてきた。 『すぐ、その先に居ますよ』 と教えるとすぐに安堵したような表情になった。 |
しかし、腹がへった。別海町をボーっとしながら走行していると「レストランロマン」の看板が見えた。確かここはボリュームが凄いことで有名な店だ。 さっそくポークチャップミニをオーダー。出てきた料理を見てびっくり。これでミニ。400gもあるそうだ。ミニじゃなければ700gもあるらしい。スゲー。 しかもこんがりと焼けてして美味しいし、超満腹。大満足だ! |
店を出て、また彷徨するうちにいつの間にか海に至る。ここまで来たら、近くに尾岱沼青少年旅行村キャンプ場があるはずだ。以前、日中に洗濯しに立ち寄ったことがあった。 海岸沿いを注意深く南下するとすぐに分かり左折する。管理棟で受付をすると利用料700円。 「ゴミを出しますか」 と、訊かれ 『そりゃ、キャンプですから」 と答えるとプラス100円で分別袋7枚を渡された。 |
こんなに袋を渡されても困るが、まあ、しゃあない。 ただ、若い男女の管理人は非常に親切で、なにかと気を遣ってくれる。 「このキャンプ場は、昨夜までの雨の影響で芝が濡れている部分がありますから、あのあたりがいいですよ」 広大なサイトの説明も実に丁寧な対応をしてくれた。 海に近いサイトへテントを張った。近くにファミキャンの人たちが幕営していたが、特に気にならない。 しかし、今夜の俺のテント、2張り立てた。雨になればすぐに新品の山用テント(アライ・トレックライズ0)へ逃げ込む算段だ。かなり邪道。 ここも蚊が多いなあ。蚊取り線香は一応焚いたが、既に何箇所か刺されている。まあ、虫刺され痕はキャンパーの勲章である。 マグカップにウイスキーを注いだ。遠くに港の灯りが揺れている。ラジオをつけたが、ここにはモンクを言う人も居まい。 少し風が出る頃になると肌寒くなり、テントに入り、また一杯ウイスキーを注いだ。酔いが心地よくまわってくる。 本当に俺程度の力量で人跡未踏のシリエトク(知床岬)まで踏破できるのだろうか。俺自身は命を落としても後悔はしないが、妻子を路頭に迷わせるわけにはいかんのだ。 実は今回、掛け捨ての旅行傷害保険にも加入してきた。以前、キンムトーで遭難しかかったとき、ろくに生命保険へ加入していない事実に気づいたからだ。家のローンはあと18年もあるし。 旅の直前、家人へ保険証書を渡してきた。 『俺になにか遭ったら使ってくれ。数千万はおりる』 「あなた死ぬ気で行くの?どうしてそんなに知床岬にこだわるの?」 家人は少し泣いていた気がしたけど、俺はわざと目をそらしてしまった。 『知床岬、つまりシリエトクを踏破することが、俺の長年の夢だったんだ。そのためにずいぶん周到に調べたし、身体も相当訓練したつもりだ。大丈夫、必ず無事に還ってくるよ』 俺は無理矢理笑って家を出た。今回は結構シビアな旅立ちだった。 俺は口先だけの男ではない。 でも・・・ 道なきルート、エゾシカを滑落死させるほどの超スペシャルな難所やヒグマがウジャウジャと闊歩してるシチュエーション・・・ 正直、おっかねえ。 大袈裟とか思う方もいるかもしれないが、俺はかなりビビっていたし、本当は無事に生還できる自信もなかった。 熊に喰われたら、どうしよう? 垂直の壁、念仏岩から滑落したら、どうしよう? もう、40も越え、妻子があり、ある程度の社会的責任もある人間が、普通は考えもしない行動かもしれない。 反面、心の半分は長年の夢であるシリエトクへはなにがなんでも行きたいと熱望している。 この夜、そんな自分との対話が延々と続き、なかなか寝つけなかった。 シリエトク突入まで、あと4日。 運命の日がいよいよ近づいている。 震えるほど怖かった。 熊撃退スプレーを握り締めながら、いつの間にか眠りに落ちる。 |