北海道ツーリング2005前編




祝!知床岬踏破



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 カブト岩からの120M降下を後日改めて画像で確認するとその長さと角度は大変なもので、思わず戦慄してしまった。我ながらよく降りてきたものだと感心するばかり。

 空が暗くなってくる。まさか雨にはならないとは思うが出発しよう。

 若者パーティは、ずっと前に出発したようで、既にその影すら見えなかった。
 歩きにくいゴロタだが、あと岬までもうすぐと思うと足取りが軽くなる。赤岩が見えてきた。知床岬手前の最後の番屋地帯があるポイントだ。このなかの小倉さんの番屋には、今年から無線が取り付けられたらしく、ここで熊の穴との交信が可能とか。

 アカイワ川で暫し休憩し、番屋に向けて再び歩き出した。
 番屋が近づいてくるとお迎えが現れた。山岳救助犬セントバーナードである。これは多分、成田さんちの犬だろう。最初はワンワンと吠えられたが、無類の犬好きの北野だ。口笛を吹くと尾を振りながら歓迎してくれる。おや、AOさんがひいているぞ。どうやら犬が苦手らしい。

 小倉さんの番屋到着。皆さん昆布干し作業で大忙しだ。ここで荷物の大部分を預かっていただき、身を軽くし、シリエトクへ向け出撃する。
 海岸から崖を這い上がると広大な知床岬の草原が見えてくる。北海道を散々旅している俺でもこんなに雄大で素晴らしい光景など見たことがない。

 つ、ついにやったぞ。大地の突端、シリエトクの一部に到達したぞ。俺は成し遂げたぞ。今まで苦労がすべてこの一瞬で報われた。夢にまで見た知床岬を今、確実に歩いている。

 感動、というより、よくぞここまで、生きて辿り着けたものだ(TT)

 大地の突端、人跡未踏のシリエトク大草原に道などあろうはずがない。草を掻き分けるように歩いていると・・・ 鹿の骨?

 いや違う。鹿の角だ。偶然ながら凄いものを拾った。これは知床岬踏破のいい記念になる。持ち帰って書斎に飾ろう。
 去年、鹿の角が欲しくても見つけられなかったラッシャー、本当にすまねえ。

 彷徨うように草原を歩き、知床岬先端へゴール。

 長かった。辛かった。でも長年の悲願をようやく果たせた。もう、北の大地の旅で思い残すことなどなにもない。完全燃焼である。
 一次隊のメンバーでありながら、今年も岬につき合ってくれたAOさん、本当にありがとうございました。

 AOさんの存在なしでは知床岬へは絶対に到達できなかったと思う。

 また一次隊の手探りで試行錯誤しながらの踏破があったからこその成功である。昨年のメンバーは数少ない情報のかけらを苦労しながら拾い集めていた。

 そして、綿密な行程表をつくりあげるという徹底的な事前のシリエトク分析を構築させていた。なんの貢献もしていないキタノは、皆さんの叡智にただただ頭を垂れるばかりであった。

 昨年は参戦できなかったけど、コマンダーさん、ミヤタ、ラッシャー、歩きながらも俺は考え続けていた。一次隊の面々と一緒に歩けなくても俺たちの心はずっとひとつだった。

 2005年8月7日11時00分

 北のサムライ、日本最後の秘境”知床岬”到達。

 ついに禁断の岬”シリエトク”、大地の突端を自らの足で踏破した。

 そんな感傷に暫しひたっていると、なんとわらわらと人がやって来た。観光船に乗ってきた環境省の役人とアメリカの学術調査員だとか。岬って海からの上陸が禁止なんじゃないの?環境省の調査だから合法的か?でもどう見ても観光客なんだが?どうも環境省は好きになれないというかインチキ臭いコンコンチキである。もっと金字塔を打ち立てた余韻にひたりたかったのに、雰囲気が全部壊れてしまったじゃないか。

「一緒に写真を撮ってください」
 白人女性から英悟で声をかけられた。
『しょうがねえなあ』
 かなり照れながら答えた。女には国際的に甘い俺は、頭をかきながらOKすると、
「シカの角を貸してください。あなたではなく角を抱えて写真を撮りたいのです」
 とのこと。なんてこった。俺の語学力のなさを如実に示すエピソードである。

 その後・・・

 先端の先端で、海岸に降りて磯遊びをする。ちょうど干潮なので、かなり奥へまで入れた。

 観光船の船長が
「そこいらには花咲ガニがいるぞ」
 と叫んでいる。
『まじっスか』
 若者たちと必死に探索するも見つからず。

 やがて飽きてきた俺は岩の上に腰かけた。そんな北野の後姿がとても寂しそうだったとAOさんご自身のレポで後日述懐している。 
 若者パーティは海に飛び込んでいた。若いっていいねえ。

 しかし、アブラコ湾の湧き水がない。AOさんが船長のオヤジへ場所を確認し、手で湧き水を掘り出していた。ちなみに船長はウトロ生まれで、子供の頃は岬が遊び場だったとか。

 湧き水は冷たくて、とても美味しい。
「知床岬灯台はどうしますか?」
 AOさんが訊いてきた。
『あれは人口建造物なんで、見なくてもいいでしょう』
 と、俺は答えたのだが、やっぱり見ておくべきだったのかな?これを描いている今も特に後悔はしていない。 

 そして撤収。おそらく、もう訪れることはないだろう。寂しくて何度もシリエトクを振り返りつつ、草を掻き分けながら帰路についた。
 赤岩の番屋へ戻った。今度は一番奥の番屋で一人暮らしをする婆さんの黒い犬が出迎えてくれた。とても人懐こいワンだった。

 ここの婆さん(ユリおばあちゃん)は、亡くなったご主人との思い出の地、岬手前の番屋に夏になると必ずやってくる。

 また番屋に入ってきた熊をホウキで撃退したという凄まじい伝説を持っている。 
 極限の地では、日常ではあり得ないドラマがあるらしい。

 後日、ユリおばあちゃんが、夏の間昆布を採りながら、たったひとりで知床岬近くの番屋で、孤独な生活をしているという設定の感動のドキュメントが、NHKスペシャル「ユリおばあちゃんの岬」で放映された。

 たったひとりの孤独な生活?

 なんたる捏造だろう。すぐ隣に有力な無線を配備する小倉さんの番屋や成田さんの番屋が存在しているじゃないか。わざわざ他の番屋が映らないような小細工までしていた。

 取材班は真実を曲げても、ここまで辿り着く旅人は、滅多に居ないとタカをくくってたのだろうか?

 あのドキュメントは非常に好評で、職場でも感動しながら見たという人が多かったが、赤岩付近の真実を話すと誰もががっかりしていた。

 夢を壊してしまったようでスイマセン。

 でもドキュメントらしく、ありのままを堂々と描いても充分いい話になるのになあ。

 国営放送の嘘つき!

 ほらふきに受信料など払いたくない。

 小倉さんや成田さんは家族単位で昆布乾し作業を忙しそうにこなしていた。凄い活気溢れる光景だ。ユリおばあちゃんは、海に腰まで入りツブ貝を獲っていたが、やがてバケツを持って引き返してきた。

 そして小倉さんちの奥さんへ
「ほれ、いま獲れた貝だよ」
 と分けていた。
「ばあちゃん、いつもわりぃなあ」
 奥さんは礼を言いながらニコニコしていた。

 ユリおばあちゃんの後ろには犬のボクとクロがボディガードのように寄り添っている。ドキュメントによると、去年までもう一頭飼っていたが、ばあちゃんを守ろうとして羆に噛み殺されたそうだ。

 各番屋では熊対策のためか三頭ぐらいずつ犬を飼っているから犬だらけ。イヌイットの村を彷彿してしまった。

 犬好きの俺はポケットに入っている行動食のサラミを時折取り出してクロたちへ与える。すると大喜びしながら頬をなめられた。
 雨が降ってきた。岬踏破の後の雨で本当にラッキーだ。カブト岩の120M降下で雨にやられたら、目もあてられない惨状になったことだろう。

 昆布は雨にさらされると商品価値がなくなる。見かねたAOさんが昆布へビニールシートをかける作業を手伝っていた。

 俺は雨に濡れながら知床の海を飽くことなく眺めていた。その姿に哀愁が漂う(漂っていたと思う)
 それにしても熊の穴のオヤジ、遅いなあ。もう、とっくに15時をまわっているし。なんて考えていると、ようやく、おっさんの船が入ってきた。

 既に何人か釣り客が乗っている。おっさんが若者パーティへ
「あれ、2人じゃなかったの?」
 と不思議そうな顔をしている。
「いや、我々は先行の2人に便乗して、4人で予約をしたはずです」

 なんか揉めてるし。おっさんは、もう歳ですぐに忘れる。船をあてにし過ぎては絶対にダメだ。岬を狙うなら、熊の穴へ前泊してきちんとしつこいぐらい約束をして置かないと。

 便乗という言葉をさかんに使っているが、俺はとても”便乗”が不快でならなかった。

 我々2人に便乗するという最初から他力本願的な知床岬縦走だったのか。俺は年齢的にも体力的にもきつかったけど真摯にシリエトクへ辿り着くことだけに賭けていた。他人の行動に便乗する考えなどまったくなかった。このあたりは、若者らしい身の軽い行動力として捉えてやるべきなのかもしれないが?

 ただ、熊と漁師の王国、知床の奥地では、今どきの若者の常識など通らない秘境の世界であることは間違いない。帰りの船は釣り客回収のついでに乗せていただくという謙虚な姿勢だけは持ってほしいと思った。

 まあ、結局、鮨詰め状態になりつつも全員が乗せてもらえることとなったが。

「ライフジャケット、着けてくれ」
 雨が降りしきる中、真っ黒に日焼けしたオヤジの声があたりへよく響き渡った。

 最後に高校の柔道部に入っているという非常にがっちりとした男振りのよい青年が乗り込んできた。俺も柔道参段だが、とても敵いそうもない。

「俺の孫だ」
 彼は熊の穴のオヤジ自慢の孫だ。おやっさんは可愛くて仕方がない様子だった。

 若者(孫)が小船に乗って作業をしていたジイサン(成田さん)へ
「ジィ、そこらに網張ってねえが」
 と叫ぶと
「ああ、大丈夫だ」
 とジイサンが答える。

 その言葉を合図に船が沖へ向かって勢いよく動き出した。

『さらばシリエトク』
 俺は、胸の中で呟いた。
 船はぐんぐん加速していく。熊の穴のオヤジは噂どおり本当にとばす。悪戦苦闘しながら突破してきたポイントをあっという間に通過していく。

 雨に打たれながらも俺は一瞬、あまりの疲労からまどろんでいたようだ。AOさんは、ずっとデジカメを握って撮影していた。
「あのあたりが、ペキンノ鼻ですよ」
 と言った瞬間、カヌーツアーの軍団が上陸して盛大に焚き火をしている光景を発見。AOさんは、むっとしている様子だ。
 2泊3日の怒涛の知床岬縦走も帰りは僅か40分ほどで相泊へ着いてしまう。そして、若者パーティ諸氏へ挨拶を済ませ、下山届を出した。

 人跡未踏の知床岬踏破の軌跡。

 これで、なにもかもが終わってしまった。

 真夏の夜の夢のように・・・

 キタノの北の大地での最終地(シリエトク)到達の任務は完了である。

 歩きながらふとアイガー北壁初登攀者ハインリヒ・ハラー『白い雲』の一節が脳裏に浮かぶ。

”自分たちは別の世界にでかけて、また戻ってきたのだ。生活のよろこびと、人間のよろこびをもって帰ってきたのだ”



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